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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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絵馬堂が意外におもしろい!(6) - 八坂神社 -

洛東




八坂神社扁額集


 大きな絵馬堂をもつ八坂神社

 八坂神社は、大晦日の「をけら詣り」や初詣でもにぎわう神社ですが、楼門(西門)を入って左側(北側)に進む参詣者は少ないようです。

 八坂神社
  八坂神社 楼門(重文)

 境内の北西端あたりになるのですが、大きな社殿が建っています。
 桁行七間、梁間二間、入母屋造の立派な長い建物です。これが八坂神社の絵馬堂です。

八坂神社
  八坂神社 絵馬堂

 京都の寺社の絵馬堂では、北野天満宮や今宮神社、御香宮神社などと並んで大きなものです。実長を知らないのですが、おそらく最も長いのではないでしょうか。
 江戸時代の建築ですが、「京都御役所向大概覚書」によると、正保3年(1646)の社殿等修復の時に絵馬堂はなかったようです。「都名所図会」(1780年)には描かれていますので、その間に建てたと考えられます。

 八坂神社

 絵馬堂の内外に絵馬が奉献されていますが、現状では新しいものが多く、貴重なものは収蔵されているようです。

 幕末に出た「花洛名勝図会」巻1(1864年)にも、この絵馬堂は登場しています。

 「花洛名勝図会」より祇園社絵馬堂
  「花洛名勝図会」より祇園社

 なかなかリアルに描かれていますね。本文中には、

 絵馬舎[ゑまや] 本殿の西ニあり、世に名高き絵馬多し、「扁額軌範」に委[くは]し

 と記されています。
 ここに出てきた「扁額軌範」とは何なのでしょうか?


 『八坂神社扁額集』は明治43年の編纂

 「扁額軌範(へんがくきはん)」とは、京都の著名な絵馬を集めた書物で、文政2年(1819)に出版されました。清水寺や北野天満宮などが所蔵した大型の絵馬や、今日では失われてしまった貴重な絵馬などを収録しています。
 『新修京都叢書』にも収められていますし、現在ではウェブサイトでも見られて便利ですね。

 今回は、さらに絞って絵馬を紹介した書物、明治末に刊行された『官幣中社八坂神社扁額集』を紹介しましょう。明治43年(1910)に八坂神社から発行されました。わりと残っているようなので、かなりの部数が刊行され、参拝の記念などに買い求められたのでしょう。

  八坂神社扁額集
  『官幣中社 八坂神社扁額集』

 タイトルの通り、八坂神社の絵馬だけに絞っていますので、「扁額軌範」などより多数紹介されています。明治時代なので写真は入っておらず、いちいち描き起しているのですが、かえってその方が見やすい気もします。

 刊行時の宮司・保科保による序文が、巻頭に載せられています。そこに本書成立の経緯が記されています。以下、大意です。

 これまで八坂神社の額堂に掲げられていた扁額は、複雑で玉石混淆の状態だった。かねてより整理しようと思っていたが、今年(明治43年=1910)4月にようやく取捨選択ができた。保存するものが160点余り、お蔵入りにしたものが130点余り。完全に選別できてはいないが、かなり整然とした状態になった。
 歴史に関する画には、説明書きを貼付して、観る人の興味をひくようにした。
 たまたま「扁額軌範」という冊子を手に入れた。これは八坂神社、北野天満宮、清水寺に掲げた傑作の額を選んで、図付きで解説した本である。(中略)
 古来、馬を神社に奉献する例があった。のちになっても、これを献じる心をもって額に描いて奉納したという。絵馬は、画家が技をふるって描いて奉献したもので、その精神は現在の営利広告の心を挟むものとは異なる。描いているものを不朽に伝えるべきであり、殊に忠臣孝子や勇士などの歴史画は、観るものの感情を奮い起させて、教育上の利益も大きい。また、風俗や風景の画も好古家の参考になるだろう。
 「扁額軌範」編者らの志を継いで、この本を作成した次第である。


 八坂神社・保科宮司の弁によると、明治末頃まで、絵馬堂の絵馬は多数入り乱れた状態で掛けられていたようです。おそらく、奉納されるものを次々に掲げていったので、何がなんだか分からないありさまだったのかも知れません。それを明治43年(1910)に、ようやく整理できたというのです。
 その際、「観ル者ヲシテ興味ヲ感発セシメン」として説明を加えたのは、まさに絵馬舎が“美術館”的な存在であったことを示していて興味深く感じます。
 その説明書きの参考になったのが「扁額軌範」でした。

 その流れで作成された『八坂神社扁額集』も、「扁額軌範」に多くを依っています。本文中、○に「軌」の印があるものが「扁額軌範」を典拠とする解説で、○に「編」とあるのが本書の編者による解説です。

  『八坂神社扁額集』
  ○軌と○編に注意

 「扁額軌範」を大いに参考にしながらも、本書独自の解説を加えて編集しています。


 迫力ある絵馬の数々

 ここでは、その中のいくつかを紹介していきましょう。

  八坂神社扁額集
   祇園社古図

 八坂神社(祇園社)古図です。元徳3年(1331)の作とされています。
 写真の部分は、楼門(西門)の前あたりを描いていますが、図全体は、南は清水寺、そして八坂の塔を描き、八坂神社の境内を描写します。西は、鴨川を経て、四条寺町の御旅所あたりまでを描いています。
 細字の書き込みも、おもしろいです。写真の部分では、下部に、「西門の内側には、むかし“祓婆々”(はらいばば)という婦人が、頭に綿を載せ、幣串を振って、参詣人の不浄をお祓いしていた」と記されています。ありそうな話ですが、今からみれば不思議な光景ですね。


 仁田忠常の猪退治

 これは有名な図。

 八坂神社扁額集
    仁田四郎忠常斬猪図

 元禄15年(1702)に、海北派の海北友賢が描いた絵馬。海北友賢は、海北友雪の門人で、18世紀初頭に作品を残しています。絵馬では、このほかに清水寺の「村上彦四郎図」があります。

 本書には、絵馬が掛かっていた場所も記載されており、本図には「絵馬堂五ノ間ニ掲ク第九十一号」とあります。第91号は通し番号として、「五ノ間」とはどこなのか? 本書全体を見ると、最高「十三ノ間」までありますから、どうやらこの呼称は、桁行七間、梁間ニ間を 7×2=14区画に分けたものではないでしょうか。ただ、では五ノ間がどこかというと、はっきりと分からず残念です。

 勇敢にイノシシに乗っている人物は、源平合戦に源氏方について活躍した武将・仁田(新田)忠常です。源頼朝の臣下ですね。伊豆半島の付け根にある函南町に「伊豆仁田」という駅がありますが、そのあたりを根拠地としていました。

 この絵柄なのですが、建久4年(1193)に行われた「富士の巻狩り」の際の出来事をモチーフとしたものです。
 巻狩りのさなか、矢を受けた手負いのイノシシが頼朝に向かって突進してきました。仁田忠常は矢をつがえて射ようとしましたが間に合わず、咄嗟にイノシシの背に後ろ向きに飛び乗ります。
 イノシシは暴れ、忠常は烏帽子や沓(くつ)など脱げてしまいますが、腰の刀をイノシシに突き立てると、さしもの大イノシシも絶命したということです。

 「曽我物語」に描かれ、のち人口に膾炙したエピソード。絵馬は、忠常の大活躍を結構リアルに描写しています。画面のどこにも仁田忠常とは書かれていないようですが、昔の人をこの絵柄を見たら、すぐに忠常の猪退治だと分かったのでしょう。
 

 馬の絵馬

 馬そのものを描いた絵馬も多いわけですが、これは歴史画的な馬の絵馬です。

 八坂神社扁額集
  八幡太郎義家奮戦之図

 天明5年(1785)、江村春甫(石田幽汀の門人)による絵馬。絵馬堂の外壁(北面)に掲げられていたものです(第24号)。
 八幡太郎義家は、源義家のこと。勇猛な武者として、前九年の役、後三年の役などで名を馳せました。
 のち史実を離れて伝説の中の人物になっていて、前九年の役の際、敵将・安倍貞任に向かって、「衣のたては綻[ほころ]びにけり」と歌いかけると、貞任が「年を経し糸の乱れの苦しさに」と歌い返したところから、矢を射るのをやめた、という逸話が有名で、唱歌にもなっています。

 この絵は、その貞任の郎党・海部九郎が、怪力の義家に掴まれて馬上に引き上げられている図だと「扁額軌範」では説明されています。騎馬武者が義家、馬の尻の方に逆さまになっているのが九郎です。
 絵馬の歴史画は、制作された時代の人々がよく知っていた人物、事件を描いています。


 戒めの絵馬と滑稽な絵馬

 八坂神社扁額集
  玄宗楊貴妃之図

 こちらは一転して中国の歴史。玄宗皇帝と楊貴妃の絵馬です。
 宝暦12年(1762)、狩野永良の画、絵馬堂の外(南面)に掛けられていました(第11号)。狩野永良(1741-1771)は、京狩野の6代目。

 本書の説明には、こうあります。

 此図は宴楽に耽[ふけ]る所を写し出したるものなり。所謂[いわゆる]宴楽、度なきもの大にしては国を滅ぼし、小にしては家、若くは身を失ふに至る。此図を以て鑑戒となすべし。

 唐の皇帝・玄宗は、楊貴妃を寵愛して国を傾けました。
 宴にうつつを抜かすと、程度の大きい場合は国を滅ぼし、程度が小さい場合は家を失ったり、身を持ち崩したりする。この図を見て、戒めとすべし。そんな意味です。あぁ、おそろしい……


 八坂神社扁額集
  大黒布袋角力之図

 最後は、おもしろい絵柄を。
 絵馬堂の二の間に掲げられた絵馬(第63号)。長谷川等伯の庶子とされる長谷川新之丞(宗也、1590-1667)の筆。
 この図には、「明応三(1494)丁酉」の年紀があって室町時代ということになりますが、実物には「明暦三丁酉」とあって、これは1657年、江戸時代の作品です。
 本書掲載の絵馬は、あくまで“コピー”ですので、こういう間違いもあるわけです。

 絵柄は、大黒さんと布袋さんが相撲を取っているもの。 
 おなかの出た二人が、締め込み姿で取り組んでいるのが、なんとも言えずユーモラスですね。
 大黒、布袋が相撲を取るという絵画のモチーフがあるようで、恵比須さんが行司になったりします。
 おめでたい図柄ですね。

 昭和54年(1979)に発行された『京都の絵馬』には、八坂神社の絵馬調査の結果も掲載されています。75件の絵馬がリストアップされていますが、すでに「玄宗楊貴妃図」などは失われていたらしく、また多くの絵馬が剥落などの痛みが激しかったと記されています。




 八坂神社 絵馬堂

 所在 京都市東山区祇園町
 拝観 境内自由 (ただし上記の絵馬は見られません)
 交通 京阪電車「祇園四条」から徒歩約10分



 【参考文献】
 「都名所図会」1780年
 「花洛名勝図会」1864年
 『官幣中社 八坂神社扁額集』八坂神社社務所、1910年
 『京都の絵馬』京都市文化観光局文化財保護課、1979年
 『京都の絵馬』京都府立総合資料館、1980年
 京都市文化財ブックス7『近世の京都画壇』京都市文化観光局文化部文化財保護課、1992年
 『京都御役所向大概覚書』清文堂出版、1973年


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