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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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主夜神は、毎年12月に御開帳

洛東




壇王法林寺


 人々を守る主夜神

 前回紹介した主夜神。三条大橋東詰の壇王(だんのう)法林寺に祀られています。
 本居宣長「在京日記」の記述には、近年から深く信仰されるようになったと記されています。宝暦年間の日記ですから、18世紀半ばに信仰を集めていたということですね。 
 
 この主夜神が、どのように私たちを守ってくれるのか。「華厳経」の「入法界品」によると、例えば次のようなときに助けてくれるとのことです。

 ・闇夜で鬼神、盗賊に襲われたとき
 ・霧が濃く、暴風で、太陽や月や星が見えないとき
 ・海上や山、森林、広野などで進路に迷ったり、盗賊に襲われたとき
 ・海難者があれば、海神らに示唆して、暴風雨や波浪を静めてくれる

 主夜神は、鬼神や盗賊などが跋扈する夜に人々を守ってくれる神であり、海上や陸上で困難に遭遇した際に救ってくれる神さまなのです。
 とりわけ海上守護神として、アジアの海を航海した人々に信心されたようです。おそらく日本にも、中国の航海者などが伝えたのではないでしょうか。そして、壇王法林寺の袋中上人も、明へ向けて海を渡った僧なのですから、この主夜神を祀ったのは理にかないます。
 加えて、主夜神が「守夜神」に転化して、夜に忍び入る泥棒などの災難を除いてくれる神としても信仰されたのでした。


 12月の「主夜神大祭」で御開帳

 壇王法林寺
  壇王法林寺 本堂

 壇王法林寺の主夜神尊は、毎年12月の第1土曜日に御開帳されます(主夜神大祭)。私も、その折に参拝してきました。
 心の広いお寺さんとみえて、ご尊像を写真に撮ることも許されるのですが(みなさんスマホで撮っていました)、信仰の対象ですので、ここではアップしません。お姿は、壇王法林寺のウェブサイト等でご覧ください。

 本堂の須弥壇に向かって右脇に、入母屋造唐破風付きの立派なお厨子があり、その中に主夜神尊がいらっしゃいます。像高72cm、小ぶりな木造の坐像で、両手を合掌しています。宝冠を付けた姿が印象的で、光背に6体の化身を付けています。

 壇王法林寺
  旧主夜神堂に通じた川端門(西門)


 右手を上げる招き猫

 昭和初期に出版された井上頼寿『京都民俗志』(1933)には、「猫」の項の冒頭に、当寺の招き猫についての記載があります。

▽招き猫--三条大橋東詰の壇王の主夜神の神使は猫で、招き猫を出す。緑色の猫で右手を揚げてゐる。その為め徳川時代には、民間では左手の方の招猫より作らせなかつたと云ふ事である。 (413-414ページ)

 招き猫がいつから始まったのか、京都南郊の伏見人形ではどうだったかなど、詳しいことはなかなか分からないようです。井上氏は、当寺の招き猫が右手を上げているので、江戸時代には他では左手を上げたものしか作らせなかったと述べています。
 現在、こちらの招き猫は、確かに右手を上げた黒っぽい姿をしています。ただ、『京都民俗志』が「緑色」と書いているのが気に掛かります。戦前は、緑だったのでしょうか?

 壇王法林寺の主夜神のお使いが、なぜ招き猫なのか。そのことについては十分には分からないようです。もちろん「華厳経」には猫は出てきませんから、日本に入ってからの解釈なのでしょう。『壇王法林寺』には、角倉家で作った「黒猫の護符」との関係も指摘されています。

 壇王法林寺
  奉納された招き猫 


 商人からも篤い信仰を受けて

 壇王法林寺
  壇王法林寺 楼門(明治28年竣工)

 江戸時代には、一般的に現世利益をみたす神仏が篤く信心されるようになります。
 西鶴の「日本永代蔵」巻4には、「人皆欲の世なれば、若恵比須、大黒殿、毘沙門、弁才天に頼みをかけ、鉦の緒に取り付き元手をねがひしに、世間かしこき時代になりて、この事かなひがたし」とか、「世はみな富貴の神仏を祭る事、人のならはせなり」といった記述が出てきます。
 「日本永代蔵」は、貞享5年(1688)の作品ですから、先に示した本居宣長の時代(1750年頃)よりもかなり早く、この傾向がうかがわれたということでしょう。

 壇王法林寺の主夜神も京都の商人たちから信仰を集めたようです。
 当寺に伝わる「押絵貼 主夜神像」は、延享4年(1747)に京都の三井家が奉納したものだそうです。押絵は、羽子板の飾りに見られる技法ですが、この像も綺麗なものです。
 また、前回引用した宣長「在京日記」にみえる宝暦6年(1756)の万日講ですが、この年は本堂の改修が成った年で、主夜神堂の建立や川端門の塗り替えも行われました。その事業には、井筒屋河井家の援助が大きかったといい(『壇王法林寺』)、商人からの信仰が篤かったことがうかがえます。

 最後に、『壇王法林寺』に紹介された当寺所蔵の掛絵について触れておきましょう。

 宝暦3年(1753)に、清水寺の大悲殿の参道で、大勢の参列者で賑わう雑踏の中、一人の狂人が刀を抜いて民衆を傷つける事件があり、このとき田中某という人物が日ごろ主夜神を信仰していたため、不思議と難を逃れたという様子を伝えている。 (96ページ) 

 道中の安全を守ってくれると考えられていた主夜神に守護されたということでしょうか。掛絵には、雑踏の上に降臨する主夜神の姿が描かれています。




 壇王法林寺

 所在 京都市左京区川端三条上ル法林寺門前町
 拝観 境内自由 主夜神は開帳時(12月最初の土曜日)のみ
 交通 京阪電鉄「三条」下車、すぐ



 【参考文献】
 本居宣長「在京日記」、『本居宣長全集』16、筑摩書房、1974所収
 信ヶ原雅文ほか『壇王法林寺 袋中上人 琉球と京都の架け橋』淡交社、2011年
 「大方広仏華厳経」68、『大正新脩大蔵経』所収
 『望月仏教大辞典』世界聖典刊行協会、1933年
 「日本永代蔵」(『新編日本古典文学全集 68 井原西鶴集3』小学館、1996、所収)


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