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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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本居宣長の日記に登場! 壇王法林寺の主夜神は、江戸時代から信仰を集めている

洛東




壇王法林寺


 本居宣長「在京日記」に登場

 本居宣長は、伊勢・松阪の人ですが、若い頃から京都に憧れ、「都考抜書」(とこうばっしょ)という、諸書から京都に関する事項を抜き出した備忘録を作っていました。そして、宝暦2年(1752)、念願の京へ上り、約6年間すごします。その間、日記を綴っていますが、ことに宝暦6年、7年(1756-57)は詳細な日々の記録があります。

 宣長というと、後に国学の大人とされる人、さぞかし堅物だとイメージするのですが、実際は結構遊んでいたようなのです。

 ここでは、「在京日記」宝暦7年(1757)1月9日条を引いてみます(濁点、[ ]内は引用者)。

九日、いとさむけし、けふ[今日]なん祇園へまふ[詣]で侍る、いとさむき日にて、まふづる人もすくなくさびしきやうなれど、さすがにこの御社は人たえず、能なども侍る、物まねやうの者も侍りける
九日、十日は、安井のこんぴらへ人まいり侍るなれば、まい[参]らばやとてまふ[詣]でけるに、さのみにぎ[賑]はしからず、茶見せ[店]にやすらひて、女にと[問]ひ侍れば、十日はにぎ[賑]はしきよしい[言]ふ、抑[そもそも]このこんぴらの社は、近年いたく人の信じ奉ること、壇王の主夜神のごとく也、ことに青楼娼妓のたぐひの、とりわき信仰して、うかれめ[浮女]あまた参り侍る也、いつもよき見ものなるに、けふ[今日]はひとりも見侍らず、さむきゆへにや、明日まいらで口お[惜]しと思ふも、神にもたい[勿体]なきことならじ、それより二間茶屋に立よりて、物く[喰]ひさけ[酒]のみて、日くれにかへりぬ  (『本居宣長全集』16巻、94-95ページ)


 神詣でと思いきや、結局は美女が目当てだったのか! なんて、宣長のイメージが崩れますけれど、実にリアルな文章ですね。

 八坂神社
  八坂神社

 大意は、今日(1月9日)は寒くて、八坂神社の参詣者も少なかったけれど、絶え間なく人が来ていてさすがだ。9日、10日は安井金比羅宮への参詣者が多い日なので参ってみたが、今日はそんなに賑やかでない。不思議に思って、茶店の女に聞いてみると「明日は賑やかですよ」という返事。この金比羅宮は、近年とても信仰されていて、壇王の主夜神と同様である。特に廓の娼妓が信仰していて参詣に来るから、いつもそれが見ものなのに、今日は誰も来ていなくて残念だ!、といった感じでしょうか。

 祇園社(八坂神社)や、安井のこんぴら(安井金比羅宮)は、よく分かるのですが、金比羅宮と対比される「壇王の主夜神」とは何なのでしょうか?

 その答えに行く前に、もう1か所、宣長の日記から主夜神に関する記載を引いておきましょう。宝暦6年(1756)4月8日条です。

 けふ[今日]より又、壇王法林寺の萬日、主夜神の開帳も始りけるよし聞ば、壇王へまいりぬ、いとにぎ[賑]はし、此主夜神と申すは、近きころ人のふかく信じ仰ぐ神にてまします、此ころ、山科妙見菩薩も開帳にて、にぎ[賑]はしきよしうけ給る  (同前、60ページ)

 とあって、今日から主夜神のご開帳が始まったので、お参りに行ったと記しています。
 ちなみに、この日も祇園の「すはま屋」という店で酒を飲んで帰っています!


 袋中上人が感得した主夜神

 「だんのうさん」として知られる壇王(だんのう)法林寺は、三条大橋の東詰にあります。鎌倉時代の創建と伝えますが、中興したのは袋中(たいちゅう)上人で、慶長16年(1611)のことです。
 ちなみに、袋中上人は琉球に行った僧として著名です(目的は明に渡ることでした)。 

 壇王法林寺
  壇王法林寺 三条門(明治21年建立)

 この壇王法林寺に、主夜神(しゅやじん)が祀られることになったのは、袋中上人の体験がきっかけでした。
 寛延2年(1749)に著された「袋中上人伝」には、付録として「守夜神降臨記」という短い伝が載せられています。以下、その要約です。

 慶長8年(1603)3月15日、袋中上人が壇王法林寺で専修念仏していると、守夜神女が降臨した。虚空に浮き、宝楼閣香蓮華獅子の座に坐っており、身体は真金色に輝き、目は紺青、髪も鮮やかな慈悲従順な表情であった。赤い衣をまとい、宝冠をかぶって、瓔珞(ようらく)で身を飾っていた。
 守夜神が上人に言うには、「おまえは常に弥陀の本願を仰ぎ、口称念仏に務めている。私は、口称念仏を行う者たちの難儀や畏れを取り除き、一切の願いを成就させよう」と、神符を与えたの。そして、「われを頼む者は必ず力に応じて念仏せよ」と言って姿を消したのである。


 日夜、念仏を唱える袋中上人を守護する神として、守夜神(主夜神)は現れたわけですね。
 これを契機に、壇王法林寺では主夜神を祀り、15日を縁日としたといいます。


 主夜神とは

 上の伝えには、主夜神の姿が詳しく描写されています。絵に描くと、こんな雰囲気です。

  主夜神(望月仏教大辞典より)
   主夜神(『望月仏教大辞典』より)

 モノクロなので色は分かりませんが、およそ次のような姿といいます。

 ・宙に浮いた飾られた師子座(ベッドにもなる椅子)に掛けている
 ・身体は純金のように輝く
 ・目や髪は紺青色
 ・姿かたちは麗しく明るい
 ・衣は朱(あか)色
 ・冠をかぶっている
 ・瓔珞(ようらく)の飾りを付けている
 ・身体に全ての星宿がある
 ・身体のひとつひとつの毛穴に、人々の災難を除く像を表している
 ・ひとつひとつの毛穴に、人々を教え導く方便を示している

 最後の方は難しい表現になっていますが、身体は金色に輝き、朱い衣をまとって冠をかぶっているのですから、それだけでもゴージャスですね。おまけに、身体にすべての星座があるという、こちらも凄い感じです。そして、人々を助け導く、有り難い神さまのようです。

 このように詳しく容貌などが分かるわけですが、主夜神は「華厳経」という経典に登場し、そこで詳細に紹介されているからなのです。「毛穴のひとつひとつに」というような表現も、華厳経らしい思想が現れています。
 主夜神が出てくるのは、華厳経のうちの「入法界品(にゅうほっかいぼん)」。善財童子という青年が53人の人々に教えを受けるために旅をするという、ビルドゥングス・ロマン(教養小説)です。童子に教えを授ける53人を「善知識」というのですが、その1人が主夜神なのです。

 華厳経入法界品に見える主夜神の特徴は、「袋中上人伝」のそれと一致します。上人の伝記が著される際に、華厳経の内容が反映していたことが分かります。


 「都名所図会」の記述
 
 壇王法林寺は、「都名所図会」巻1(1780)にも紹介されていて、主夜神のことも特記されています。

 主夜神祠[やしろ]は、開基・袋中上人の勧請也。縁起に曰、慶長八年[1603]三月十五日、袋中上人、別行に入て念仏し給ふに、忽然として朱衣[あかきころも]に青袍[あおきひたたれ]を着して光明の中に顕れ、上人に告げて曰、「われハ華厳経に説給ひし婆珊婆演底主夜神也。専修念仏の行者を擁護すべし」と。則[すなはち]秘符を授給ふ。夫[それ]より応験新にして、常に詣人多し。
[割注]慶長以来ハ当寺宝蔵にあり。近年、今の堂に鎮座す。鳥居は石柱にして、額は有栖川職仁[よりひと]親王の筆なり。

 ここにも「袋中上人伝」の内容が反映されているのですが、「青袍」といった「上人伝」にも華厳経にもない要素が加わっていたりします。
 「婆珊瑚婆演底」主夜神となっていますが、主夜神はサンスクリット語でバサンティというので、音写して婆珊婆演底となるわけです。これも「上人伝」にみえる語です。

 ここで注目されるのは、割注にある部分。「慶長以来ハ当時宝蔵にあり」という部分は「上人伝」に基づいているようですが、「近年、今の堂に鎮座す。鳥居は石柱にして、額は有栖川宮職仁親王の筆なり」が気に掛かります。

 『壇王法林寺』掲載の明治28年(1895)の絵図や、古い写真を見ると、かつて主夜神を祀るお堂は、本堂の左裏手にあったことが分かります。いま保育園があるあたりです。

 壇王法林寺
  この中央奥あたりに主夜神堂があった

 その場所に、寄棟造の主夜神堂があり、本堂左脇を石畳の参道が通っており、鳥居が建っていました。
 「都名所図会」に鳥居に有栖川宮職仁親王の額が懸っていたとありますが、その竪額は現在、観音堂に掲げられています。

 壇王法林寺 壇王法林寺
  観音堂(左)と竪額

 額には「婆珊婆演底神/最初示現之処」と書かれています。婆珊婆演底神は、主夜神のことです。


 残された石灯篭

 『壇王法林寺』には、主夜神堂を大きく撮った写真も掲載されています。寄棟造 桟瓦葺、一軒疎垂木、桁行は不確かですが五間かと思われます。吊り灯籠や「主夜神尊」と書かれた提灯も見られます。
 お堂の正面には一対の狛犬がおり、手前左右には形の異なった灯籠が2基あります。
 この建物は、後に取り壊されて現存しないのですが、石灯籠は本堂前に移されて残っています。

 壇王法林寺
  本堂 矢印の部分が石灯篭

 右の石灯篭が、昔は左に立っていた灯籠です。

  壇王法林寺 本堂の右手に立つ「長夜灯」

  壇王法林寺 正面に「主夜神前」

  壇王法林寺 右面「寛延庚午歳五月塑[朔]」

  壇王法林寺 裏面「願主江州小林助六建」

 これによると、寛延3年(1750)5月1日に、近江国の小林助六という人が建てたことが分かります。
 ちなみに、この年は「袋中上人伝」が著述された翌年に当たります。

 もうひとつは、本堂左手の石灯籠です。元は主夜神堂の向かって右に立っていました。

  壇王法林寺 本堂左手に立つ

  壇王法林寺

 影で見えにくいですが、正面に「主夜神宝前」とあり、裏面に「常夜灯/宝暦七年丁丑中冬/願主村林店中」とあります。願主については不明ですが、宝暦7年(1757)11月に建立されたことが分かります。


 (この項、つづく)




 壇王法林寺

 所在 京都市左京区川端三条上ル法林寺門前町
 拝観 境内自由 主夜神は開帳時のみ
 交通 京阪電鉄「三条」下車、すぐ



 【参考文献】
 「都名所図会」1780年
 本居宣長「在京日記」、『本居宣長全集』16、筑摩書房、1974所収
 信ヶ原雅文ほか『壇王法林寺 袋中上人 琉球と京都の架け橋』淡交社、2011年
 「袋中上人伝」、『浄土宗全書』17所収
 「大方広仏華厳経」68、『大正新脩大蔵経』所収
 『望月仏教大辞典』世界聖典刊行協会、1933年
 中村元『『華厳経』『楞伽経』』東京書籍、2003年


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