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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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弘法大師が刻んだという“霊石不動”は、井戸の底に沈められた…





不動堂明王院


 京都駅の脇に、ひっそりと…

 京都駅前から、塩小路通を西へ進み、西洞院通を越えると、京都を代表するハイテク企業のひとつ、オムロンが見えてきます。

 オムロン前
  オムロン本社屋

 2013年で創業80周年だそうです。そういえば、昔は「立石電機」と言っていましたよね。懐かしい。
 実は、この本社屋が所在する町名は、「南不動堂町」なんですね。

 そのオムロンの西の通りは、JR南側へ行ける抜け道になっています。
 そこに……

 不動堂明王院と道祖神社
  不動堂明王院(左)と道祖神社

 不動堂明王院と道祖神社という、小さなふたつの寺社があります。
 オムロン社屋の西棟(啓真館というそうです)の通用口の前ですね。そう、オムロンの住所「南不動堂町」は、このお堂に由来するのでした。

 江戸中期の様子。

 「都名所図会」より不動堂、道祖神
  「都名所図会」巻2より「稲荷御旅」

 画面中央に大きく見える社は、伏見稲荷の御旅所です。現在もあって、場所は京都駅南のイオンモールの西向いになります。
 その右脇(東側)の通りは油小路通。それを北に進むと、黄色のマークの場所に不動堂と道祖神社があります。

 「都名所図会」より不動堂、道祖神

 通行人が歩いている油小路通。通りが垣に突当って、その脇に「不動堂」と記されたお堂があります。そして、道の右には「道祖神」と書かれた小祠が見えます。
 つまり、江戸時代には、道祖神社は油小路通の東側、不動堂より少し南にあったわけです。道路西側の現在地には、明治6年(1873)に移されたそうです。
 それにしても、まわりはほとんど田圃です。古くは不動堂村だったというのも理解できます。

 ちなみに、現在では、この不動堂と稲荷御旅所の間をJRが走っているのですね。 


 弘法大師が刻んだ秘仏

 不動堂明王院
  不動堂明王院

 不動堂明王院です。お詣りしますと、扉は閉まっていますが、内の仏さまは拝することができます。三尊おられ、右には弘法大師、左には役行者が坐しておられます。そして中央には、不動明王が立っておられるのですが、この方は御前立ちです。御前立ち(おまえだち)とは、本尊の秘仏などが納められている厨子の前(御前)に立っている仏さまのことです。
 ただ、こちらの場合、ちょっと普通の御前立ちとは違うのです。

 寺伝によると、弘法大師が東寺を賜った時、鬼門である当地に不動明王を祀られたのですが、それは大師が見付けた霊石に自刻した像でした。ところが、のちに、この像を石棺に収めて地中の井戸深く埋められたのだそうです。のち、このあたりに亭子院(ていじいん)を造営した宇多法皇が、不動明王像を掘り出すよう命じましたが果たせず、その後は霊石不動の名を賜り、秘仏になったと伝えます。

 ということで、ここの秘仏は厨子の中にあるのではなく、地中深く沈められているのですね。だから、御前立ちというより、“御上立ち”でしょうか?


 弘法大師の書体

 今回は、ミニ知識で終わっておきましょう。

 不動堂明王院

 お堂に掲げられた額です。
 なにか、端が跳ね上がったような、変な書体でしょう。
 
 これが、弘法大師が得意とした「雑体書」の流れをくむ文字なのです。
 弘法大師(空海)というと、平安時代の<三筆>として有名ですね。教科書に出てくる「風信帖」は流麗な筆致ですが、実はそれとは打って変わった奇妙な文字も書いているのです。それが雑体書でした。
 雑体書は、古く中国の六朝時代(3世紀~6世紀)に行われた書体で、動物や虫などをモチーフに書いた文字です。
 ??と思いますが、ヘビのようにノタくった字や鳥の頭のような文字、オタマジャクシのような書やら、それはもういろいろです。
 上の写真の字は、それが穏やかになった感じでしょうか。

 雑体書は、とてもデザイン的な書体で、のちのち歌舞伎などに使われる勘亭流にまでつながるという考え方もあります。
 お寺の寺名を示す石標や額にも、よく使われるスタイルです。これは、弘法大師の書体の有り難さ、そして宗教的崇拝から来るものと思います。

 この額も、おそらく江戸後期か明治頃のもの、誰が書いたか分かりませんが、ちょっとおもしろい書体になっていますね。




 不動堂明王院

 所在 京都市下京区油小路通塩小路下る南不動堂町
 拝観 境内自由
 交通 JR「京都」下車、徒歩約10分



 【参考文献】
 「都名所図会」1780年
 石川九楊『説き語り日本書史』新潮選書、2011年
 可成屋編『すぐわかる日本の書』東京美術、2010年


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