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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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東寺の金堂は、方広寺大仏殿がモデルだった





東寺金堂


 桃山時代に再建された金堂

 東寺というと、平安遷都に伴って置かれた歴史のある寺で、伽藍は幾度かの焼亡を受け移り変わってきましたけれども、今でもいにしえの面影を伝える大寺です。

 南大門を入ると、目の前に金堂がそびえています。
 
 東寺金堂
  東寺金堂(国宝)

 薬師三尊を祀っています。
 今回は、この国宝建築を少し見てみましょう。

 東寺金堂

 室町後期、東寺は土一揆の拠点のひとつになっていました。そのため、文明18年(1486)9月、土一揆の騒乱によって伽藍は焼亡し、金堂も焼失しました。もちろん、堂内の仏さまも失われてしまいました。
 しかし、再興には年月を要し、100年以上を経た17世紀初頭まで待たねばなりませんでした。この再建の大檀那となったのが豊臣秀頼です(秀吉はすでに没していた)。慶長7年(1602)3月に釿初、9月に上棟し、翌8年(1603)5月に竣工しました。


 大仏殿風のスタイル

 東寺金堂

 この金堂を見て、まず目に付くのが、中央部の屋根を切り上げた部分でしょう。この形は、よく目にしますね。

 東大寺大仏殿
  東大寺大仏殿

 東大寺の大仏殿です。
 中央部に切り上げがあって、こちらは唐破風が付いています。

 平等院鳳凰堂
  平等院鳳凰堂

 京都でも、平等院鳳凰堂がこの形ですね。こちらは唐破風ではないですね。こういうケースの多くは、窓から仏さまの尊顔を拝することが出来るようになっています。

 東寺の金堂ですが、先にあった平等院鳳凰堂などを参考にした? という考え方もできなくはないのでしょうけれど、もっと直接のモデルになったものがあります。

 「花洛名勝図会」より方広寺大仏殿
  「花洛名勝図会」7より「大仏殿」

 東山の方広寺にあった大仏殿です。豊臣秀吉が造ったものですが、こちらも似たような形を取っていますね。

 「花洛名勝図会」より方広寺大仏殿

 拡大すると、唐破風で屋根を上げて、大仏さんの顔が見えるようになっています。

 この大仏殿の建設経過を振り返っておくと、次のようになります。

 まず、文禄2年(1593)に上棟し、同4年(1595)に竣工。この年、大地震があり、大仏は破損したのですが、大仏殿は無事でした。 
 その後、大仏さまの代りに(!)信州・善光寺の釈迦如来を迎えるプランが浮上し、善光寺如来は一旦京都に入るのですが、慶長3年(1598)8月、開眼供養の直前に、なぜか信州に帰ってしまい、秀吉も没して、仏さまも秀吉も抜きで、8月22日に“大仏開眼供養”が行われたのでした。

 跡を継いだ秀頼は、大仏の鋳造を進めたのですが、慶長7年(1602)、鋳造の最中、作業ミスから大仏を燃やしてしまい、大仏殿もろとも焼け落ちてしまったのでした。

 落胆いかばかりかと思いますが、またも復興を行い、慶長17年(1612)に、およそ完成しています。なお、その後に有名な家康の「鐘銘事件」があるのですが、ここでは省略しましょう。

 なかなか複雑なのですが、秀吉の大仏殿建立と、東寺金堂の復興とは、少しの時間のズレを伴いながら、同じ豊臣家によって実施されたということになります。
 大仏殿は文禄4年(1595)に出来ているので、その時期に同様の大建築の再建を模索していた東寺には格好のモデルとなりました。
 また、偶然ですが、東寺金堂の上棟後に大仏殿が炎上したので、あたかも金堂は大仏殿の身代わりとして生き残ったような形になったのです。


 大仏様を取り入れた建築

 東寺金堂は、大仏殿をモデルとしたくらいですから、建て方には大仏様(だいぶつよう。天竺様とも)が取り入れられています。

  東寺金堂 大仏様の三手先の組物

 黄色の矢印のあたりが、挿肘木(さしひじき)といわれるもので、大仏様特有の形式です。
 ふつう、組物は柱の上に組んで行くのですが、大仏様の場合、柱に肘木を差す形を取ります。つまり“差し”肘木なのです。

 赤い矢印の横材が、通肘木(とおしひじき)です。これも大仏様独特です。

  東大寺南大門 東大寺南大門

 東大寺の南大門を見ると、この特徴が明瞭ですね。

 東寺金堂

 黄色の矢印のところ、柱と柱の間に三斗(みつど)を置いていますが、これも大仏様の特徴。
 和様では、柱と柱の間(中備[なかぞなえ]という)には、間斗束(けんとづか)などを入れるのですが、大仏様や禅宗様では組物を入れてきます。

 これは和様である講堂と比べると、よく分かります。金堂の後ろの建物ですね。

 東寺講堂
  東寺講堂(重文、室町時代)

 黄色の矢印が中備。間斗束です。
 また、赤矢印の部分、組物ですが、柱の上にきっちり置いています。

 このように大仏様の要素を持っている金堂ですが、貫を用いず長押を使っていたりして和様の要素もあります。

 内部の架構も見どころですが、写真が撮れないので、ぜひ自分の目でご覧ください。




 東寺(教王護国寺)金堂(国宝)

 *所在 京都市南区九条町
 *拝観 境内自由 (五重塔などを除く)
 *交通 近鉄電車東寺下車、徒歩約5分



 【参考文献】
 「花洛名勝図会」1864年
 藤原義一『京都古建築』桑名文星堂、1944年
 『東寺の建造物-古建築からのメッセージ』東寺(教王護国寺)、1995年



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