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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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天沼俊一が設計した本能寺本堂は、登録文化財になった近代和風建築





本能寺本堂


 信長の廟所がある本能寺

 寺町御池下るにある本能寺。織田信長の廟所がある寺院として有名で、参拝者も途切れなく訪れています。
 豊臣秀吉による京都の街区改造を行った際、本能寺も現在地に移転してきたので、それまでは油小路六角あたりにありました(四条堀川の北東の方)。「本能寺の変」も、もちろんそこで起こったわけです。最近では、その付近に「信長茶屋」という観光・飲食施設もオープンしましたね。

 本能寺が現在地に移ったのは文禄元年(1592)のことです。しかし、その後、天明の大火(1788)で焼失し、また禁門の変(1864)でも伽藍を失っていました。

 安永9年(1780)に出版された「都名所図会」を見ると、本堂のほかに祖師堂や開山堂、三重塔、方丈などが建ち、鬼子母神や三十番神なども祀られています。
 日蓮宗の寺院によく見られる、中央の広場に向かって本堂と祖師堂が直角に配されているスタイルです。

 「都名所図会」より本能寺
 「都名所図会」(1780)に描かれた本能寺

 ちなみに、信長の廟所は、右頁の祖師堂の上方に画かれています。山内の東の端ですね。


 本堂は昭和の再建

 幕末の大火によって堂宇の多くを失った本能寺。
 大正11年(1922)の鉄道省『お寺まゐり』にも、「再建する度毎に焼失し、今では本堂も敷地があるのみで、其左の建物を仮本堂にあてゝゐる」とあるように、仮本堂しかない状態でした。
 その再興は、昭和になるまで待たねばなりませんでした。

 昭和3年(1828)に再建されたのが、現在の本堂です。かつての本堂は南向きでしたが、今は西向き(寺町通向き)に変っています。
 
 本能寺本堂

 桁行七間、梁間七間、入母屋造の大きな仏堂です。
 内部は、外陣が二間、内陣が五間あり、広々とした空間が実現しています。

 設計者は、京都帝国大学教授の天沼俊一。建築史の泰斗です。
 天沼博士は、建築の細部意匠に強いこだわりを持った、戦前の古建築研究の第一人者でした。その一方で、実作も残しています。
 高野山金堂(1927)、東福寺本堂(1934)、金戒光明寺本堂(1944)や、戦災で焼失した四天王寺五重塔(1940)など、優れた建築を数多く設計しました。

 高野山金堂
  高野山金堂(1927)

 東福寺本堂
  東福寺本堂(1934)

 金戒光明寺本堂
  金戒光明寺本堂(1944)

 屋根の広がりなど、雰囲気に共通性を感じさせますね。

 本能寺の場合、屋根のボリュームもかなりあって近世的な印象を与えますが、細部意匠は古建築全般から引用する手法をとっています。

 本能寺本堂
 
 これは蟇股ですけれども、繊細な図柄が彫刻されていますね。
 天沼博士自身の言葉でいうと「図案的左右相称蟇股」というものです。
 模様も何なのか難しく、ある種の植物なのでしょう。これまた博士の表現でいうと「中心飾が花化し、両腕が葉茎化するとこれになる」というものでしょうね。
 中世の雰囲気が漂います。桃山、江戸になると、もっと“こってり”彫って来ますから、中世的に仕上げるのが上品なのです。

 本能寺本堂

 こちらは木鼻です。かなり幾何学的な印象です。
 何の文様かは調べてみないと分からなかったのですが、どうやら「万年青(おもと)」のようです。ぱっと見は、ブドウみたいですけれど。
 万年青は、葉を観賞する植物です。江戸や明治には栽培ブームがあったと思いますから(いろんな葉っぱの変化を楽しむ)、そういうのを取り入れた意匠。ちょっとモダンです。

 本能寺本堂

 こちらは手挟(たばさみ)。向拝に付いています。これも木鼻と同じく万年青です。かなり変わった手挟といえるでしょう。


 多様な様式を組み合わせて

 この建物は、古典からさまざまな意匠を引用してきて、巧みに組み合わせて造形しています。
 そのため、何時代の様式に依った、と一口には言えません。細部意匠に詳しい天沼博士が得意とする方法です。

 本能寺本堂

 こういうところを見ると、台輪をおくところや、柱の先端がすぼまる「粽(ちまき)」など、禅宗様の意匠になっています。

 本能寺本堂

 扉も、桟唐戸で禅宗様の趣きですが、取り付け部分には藁座(わらざ)を用いず、幣軸(へいじく)というフレーム状の枠をつくって、そこに扉を吊り込んでいます。さらに、長押(なげし)を用いています。こういうところは、和様なのです。

 禅宗様と和様をミックスした構成ですが、違和感はありませんね。

 建物の側面です。

 本能寺本堂

 七間ほとんどに扉が付いています。これは正面も同じです。

 本能寺本堂

 そして、扉(桟唐戸)を開けると、内はガラス障子になっています。これは、採光ができて明るいですね。近代的な工夫です。
 上部の欄間も、ガラスを入れた菱格子です。

 時代を超越した多様な意匠、工夫を盛り込んだ建築です。


 表門と信長廟拝殿も登録文化財

 この本堂は、2013年に登録文化財になりました。
 あわせて、表門(総門)も登録になっています。

 本能寺表門
  本能寺表門

 これは元「恭明宮」の門だったそうです。
 恭明宮は、皇室の歴代の位牌を安置する廟所で、明治初頭の一時期に存在していました。明治4年(1871)、現在の京都国立博物館の場所に造られました。
 ですから、この門も明治4年築と考えられています。恭明宮は間もなく廃されて、位牌は泉涌寺に祀られます。そのため、門も不要になったのでしょう、明治12年(1879)に本能寺に移築されたと伝えられています。

 また、信長廟の拝殿は、本堂と同時期の昭和3年(1928)頃に造られたと考えられています。
 こちらも登録文化財になりました。

 本能寺信長廟
  本能寺 信長廟拝殿

 「本能寺の変」で参拝者が絶えない本能寺ですが、近代和風建築の観点で見てみるのも面白いですね。


  金木犀
 



 本能寺

 所在 京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町
 拝観 境内自由
 交通 地下鉄「市役所前」下車、すぐ



 【参考文献】
 天沼俊一『日本建築細部変遷小図録』星野書店、1944年
 京都市文化財ブックス27『京の近代仏堂』京都市文化市民局、2013年
 「都名所図会」1780年
 『お寺まゐり』鉄道省、1922年


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