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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

ARCHIVE

天然記念物・深泥池には、不思議な伝説の数々が…





深泥池


 珍しい動植物の宝庫

 洛北にある深泥池。

 「みどろがいけ」とも「みぞろがいけ」とも読み、古くから「美与呂池」「美曽呂池」「御菩薩池」「御泥池」「泥濘池」など多様な漢字が当てられてきました。
 私は、子供の頃、このあたりにはよく遊びに出掛けていましたが、今でもその風景は余り変わっていないように思えます。それは、周囲1.5kmほどの小さな池が自然生物の宝庫として天然記念物に指定されていることに関係するのでしょう。

 深泥池

 深泥池
  浮島

 池には、浮島があり、そこは湿原になっています。ミツガシワやホロムイソウのような寒冷地に生ずる植物や、ジュンサイ、タヌキモなど貴重なものが多く、フナ、スジエビ、カイツブリ、ヒドリガモなどの魚類、鳥類なども豊富といいます。

 深泥池

 すでに、昭和2年(1927)に水生植物群が天然記念物に指定されていましたが、昭和63年(1988)には生物群集全体が指定となっています。

  深泥池


 鞍馬への道にある深泥池地蔵

 深泥池は、明治初期まで上賀茂神社の神領でした。
 ご承知のように、上賀茂の地は京都盆地の北端で、神社の約1.5km東方にある深泥池も、都からすればかなり辺鄙なところでした。

 京都から鞍馬や貴船に抜ける街道の出口にも当たっていて、いわゆる「七口」(実際は7つ以上あった)のひとつでもありました。そのため、“六地蔵詣り”で知られる御菩薩池地蔵もこの地にあったのです。

  「都名所図会」より深泥池
  「都名所図会」巻6の深泥池「地蔵堂」 池の畔にある

 現在も地蔵堂自体はあるのですが、六地蔵詣りの地蔵さんは鞍馬口の上善寺へ移されています。
 このあたりの事情は、こちらをご覧ください。 ⇒ <寺町・新京極を歩く(その2)-上善寺->

 上善寺地蔵堂
  上善寺地蔵堂(鞍馬口)

 鞍馬へと抜ける道(鞍馬街道)は、現在の池の脇の道路ではなく、1本西側の旧道です。
 ここに地蔵堂があります。

 深泥池地蔵堂
  深泥池地蔵

 今おられる地蔵さんは、明治28年(1895)に来られたものだそうです。
 そのお世話をした西光組の懸額。

 深泥池地蔵堂

 「たちいでて またたちかへる みぞろ池 とみ(富)をゆたかに まもる御仏(みほとけ)」

 西光組の御詠歌の奉納額は、革堂にもあります。

 ここを出て北へ向かうと、徐々に坂道になり、最後は10%もあろうかという急坂となって、幡枝(はたえだ)へ抜ける峠に至ります。この坂を歴史的には「御菩薩坂」などと呼んでいたようです。

 幡枝への峠
  幡枝への峠

 この先に、借景の庭で有名な円通寺があります。
 さらにずっと進むと、上賀茂神社の西方を通ってきた鞍馬街道と合流するわけです。

 「梁塵秘抄」には、

 いずれか貴船へ参る道、賀茂川みのさと御菩薩池、御菩薩坂、畑板篠坂や一二の橋、山河さらさら岩枕 (巻2)

 の歌が収載されています。


 いにしえの伝説の地・深泥池

 このような都の外れですので、古くはかなり寂しいところだったのでしょう。
 黒川道祐『雍州府志』には、この場所が都の「艮(うしとら)隅」、つまり東北の「鬼門」に当たるので、豆まきをして除災する「魔滅(まめ)塚」なるものがあったと記しています。「魔滅」という当て字が妙にリアルですね。

 そんな場所ですので、さまざまな伝説が残されています。
 まず、不思議な伝説。「今昔物語集」巻19に収められた説話です。(以下、要旨です)

 今は昔、京にとても貧しい若侍がいた。
 あるとき、妻がお産をして肉食をしたいと願ったが、夫は貧しくて買うこともできず、田舎に知り合いもおらず、肉は手に入らない。思い付いて、朝まだ明けぬ間に、弓矢を持って家を出た。
 
 「池に行って鳥を射て、それを妻に食べさせよう」

 どこに行こうかと思い、「美度呂池こそ人里離れたところだから、そこに行こう」と向かった。
 草むらに隠れていると、つがいの鴨が人がいるとも知らずに近寄ってきた。男は、雄鳥を射た。
 とてもうれしく思って、家に帰って妻に報告し、明日の朝、調理して食べさせようと思い、床に就いた。

 寝ていると、夜中、吊るしておいた鴨がばたばたするような音が聞こえる。生き返ったかと思って火を点けて見ると、かたわらに雌の鴨がいた。
 「これは昼間、池で並んでいた雌の鴨だ。雄を射殺したのを見て、夫が恋しくて跡をついてきたんだろう」

 男はそう思うと、たちまち道心が起きて、哀れに悲しく思うこと限りなかった。
 「動物といっても、夫を悲しむあまり危険を顧みず付いてきたのだろう」と思うと、寝ていた妻を起して、事の次第を語れば、妻も悲しむこと限りなかった。
 そして、夜が明けても、この鴨を食べることはなかった。

 男は、道心を起こしたので、愛宕山の山寺に行って、髪を切って僧侶になり、聖人になって懇ろに勤めたという。 (巻19「鴨の雌、雄の死せる所に来るを見て出家する人の語」)


 出家した人の動機を取り上げた物語です。
 ここでは、京中に住む若侍が、鳥を獲るために深泥池に行きます。原文には、「美度呂池コソ人離タ所ナレ」と書かれていて、当時(平安時代後期)の認識が分かります。

 また、この池は水鳥の多い場所としても知られていたようです。
 淳和天皇が、天長6年(829)10月に「泥濘池」に行幸して水鳥などの狩猟をしたという記事もあります。
 和泉式部も、「名をきけば かげだにみえじ みどろ池 すむ水鳥のあるぞあやしき」という歌を作っています。

 深泥池


 小栗判官と大蛇の美女

 著名な小栗判官・照手姫の物語(説経節)にも、深泥池が登場します。(以下、要旨です)


 京の都に、二条の大納言・兼家という公家がおりました。兼家夫妻には子供がなく、世継ぎを求めるために、鞍馬の毘沙門天にお詣りをしました。満願の夜の夢に、3つの実が成った“ありの実”(梨のこと)をたまわりました。
 めでたいことと喜ぶと、奥方は懐妊し、子供が誕生しました。「男子か女子か」と問うに、「玉を磨き瑠璃を延べたる」ような若君でした。ありの実に事寄せて「有若殿」と命名し、多くの乳母をつけて生育しました。

 7歳になって学問を教えても、鞍馬の申し子なので覚えが早く、そうこうするうちに18歳になりました。名も、小栗(おぐり)と改めました。
 奥方を迎えようという話になりましたが、小栗は好き嫌いが激しく、背の高い女性を迎えれば「深山の木のようだ」と断り、背の低い人には「人の背丈に足りない」と言い、髪の長い女性には「蛇身の相がある」と断り、顔の赤い人には「鬼神の相」だとはねつけます。色の白い女性にも「雪女みたいだ」、色の黒い女性には「卑しい相だ」と、まったく取り合いません。結局、断った女性は72人にもなってしまいました。

 深泥池

 ある雨の日、自分は鞍馬の申し子だということで、鞍馬へ参詣して妻をめとる願掛けをしようと思い立ちました。
 邸を出て、はるばる市原の野辺に至り、横笛を取り出して半時ほど楽曲を吹きました。
 すると、深泥池の大蛇がこの笛の音を聞きつけ、「あら、おもしろの笛の音や、この笛の男子を一目拝まなければ」と、16丈ある背丈を20丈に伸び上がり、小栗を見ました。
 「ああ、なんと美しい男よ」。

 小栗の余りの美しさに、一夜の契りを結びたいと思った大蛇は、16、17歳の美しい姫君に変じて、鞍馬寺の石段で待ち伏せしていました。
 そこに、小栗はやってきて、「これぞ鞍馬のご利益だ」と、美しい姫に恋します。

 しかし、しばらくすると京童の間に、小栗と深泥池の大蛇が夜な夜な契りを結んでいる、という噂が立ちました。
 父の兼家はそれを聞いて、そういう息子は都から流してしまおう、と思いました。
 そして、自らが知行する常陸国へ小栗を流すのでした。 (説経節「をぐり」)



 小栗判官が、照手姫と巡り合う前に、こんな物語があったのでした。

 小栗が笛を吹いた市原は、現在の左京区市原です。
 ここに出てくる深泥池は、鞍馬山にあった池の名だとする説もあるようですが(新日本古典文学大系の注釈参照)、ここでは上賀茂の深泥池と考えておきましょう。
 その池の中から、ふだん16丈の長さの大蛇が、20丈に伸び上がって小栗を見る…… 16丈は約48m、それが60mに伸びて男を見るのですから、どんなに遠くでも見える…… その執念の凄まじいこと。恐ろしい……

 蛇が変身する話は多いけれど、好き嫌いの激しい小栗を一目ぼれさせるとは、よほど美貌の女性に変化したのでしょう。さすがの小栗も見抜けなかったのです。

 そんな蛇の居場所が深泥池。この場所が京の都の外れ、それも鬼門であり、また郊外へ出る<境界>であるところに、この話の真実味があろうというものです。
 物語を聴く人々にとって、いかにも本当らしく感じられる場所なのでした。

 伝説に満ちた深泥池。怖い話は、まだまだあるようですが、今日はこの辺で。


  「都名所図会」より深泥池
   「都名所図会」巻6より「御菩薩池」




 深泥池(天然記念物)

 所在 京都市北区上賀茂深泥池町、狭間町
 見学 自由
 交通 市バス、京都バス「深泥池」下車、すぐ



 【参考文献】
 『新日本古典文学大系』36(今昔物語集4)、90(古浄瑠璃 説経節)、岩波書店、1994、99年
 深泥池学術調査団『深泥池の自然と人』京都市観光局文化財保護課、1981年
 深泥池七人委員会編集部会編『深泥池の自然と暮らし』サンライズ出版、2008年


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