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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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石畳による景観保全が盛んだけれど…

洛東




祇園花見小路


 祇園花見小路の石畳

 祇園の花見小路のあたりを私がよく歩いていたのは、1980年代後半だったと思います。その後、しばらく足が遠ざかっていたのですが、近年ちょくちょく通るようになっています。

 そんな中で、少し驚いたのが道路の舗装。
 写真のように、石畳になっていたことでした。

 祇園花見小路
  御影石の舗装がなされた祇園花見小路

 もちろん80年代は、ふつうのアスファルトの道路でした。
 調べてみると、2002年の1月に石畳に改め、完成式が行われたそうです。当時の報道では、四条通から祇園甲部歌舞練場までの約260mについて、電柱を地下化し、御影石を敷き詰めたといいます。工費は6億円だったそうです。
 このお値段は誰が聞いても驚く金額でしょうけれど、私はいつも、この石畳そのものに疑問を持ちながら歩くのでした。


 四条河原町も未舗装だった

 年配の方なら、道路がまだアスファルト舗装される前の姿をご記憶のことでしょう。
 私は、京都市内の外周部(要は田舎)で育ったのですが、家の前の道路は昭和40年代後半まで土のままでした。俗に言う“地道(じみち)”というやつです。
 その頃、市内の中心部や幹線道路は当然アスファルトでしたが、さらに半世紀さかのぼると状況は異なります。

 「京都名勝誌」の四条河原町
  昭和3年頃の四条河原町(『京都名勝誌』より)

 昭和3年(1928)刊の『京都名勝誌』に掲載された四条河原町の写真です。
 路面が土なのがよく分かります。一方で、市電(路面電車)のレールがあるところは石が敷かれているようですね。ご存知のように、市電の軌道に敷かれた切石は、長方形の平たい石でした。

 日本の道路にアスファルト舗装が導入されたのは、大正後半のことです。それも、京浜国道とか阪神国道のような都市間道路にまず用いられたのです。街中に普及するのは、それよりも遅れます。
 いま東京市のデータしかないのですが、大正12年(1923)の道路舗装率は10.9%、昭和3年では20.8%です。昭和5年(1930)以降は50%台と上昇するようです(『アスファルト舗装史』)。
 昭和3年なら東京でも2割ですから、四条通や河原町通が未舗装なのもうなずけるところでしょう。


 なぜ道に石を敷くのか?

 石畳の話に戻ると、すでに江戸時代から石を敷いた道は存在しました。
 これは京都ではありませんが、街道の石畳です。

  萩往還の石畳
  萩往還の石畳

 萩市から山口市、そして瀬戸内海岸を結ぶ萩往還の石畳です。吉田松陰らも歩いた道として著名ですが、いくつもある峠道には石が敷かれています。
 しかし、整然とした切石ではなく、不揃いで凹凸のある石がまばらに敷かれています。この街道では、ほぼ坂道だけに石畳が敷かれていました。

 坂道が土だと、雨天などには、ひどいぬかるみになって滑り、歩けないからです。
 ちなみに、現在のゴム底の靴で歩くと、石が濡れているとスリップして歩けません。当時は、草鞋などを履いていたので、石との相性がよく滑らなかったのでしょう。
 
 これに似たものが京都近辺にもあります。
 「車石」です。

日岡の車石
  日ノ岡の車石

 蹴上から山科に抜ける日ノ岡に残されている車石(くるまいし)。実際には、2つをくっつけずに離して設置します。

 日岡の車石

 こんな感じで、荷車の左右の轍(わだち)が通るところに石が敷かれています。

 幕末の絵で見ると……

 「花洛名勝図会」の車石
 「花洛名勝図会」巻2に見える車石

 牛が曳く荷車の車輪の下に石が敷設されています。
 ただ注意深く見ると、牛の歩くところは土になっていることが分かります。また、馬は手前の土の道を歩いていますね。蹄の足で歩行する牛や馬は土の道の方が好都合なのでした。
 また、おそらく、人が下駄などを履いて歩く際も、土の方が歩きやすいのではないでしょうか。

 このように見てくると、かつて道を石畳にする多くの理由は、ぬかるみ防止、滑り止めで、人にも牛馬にも当てはまることがうかがえます。
 これと少し違うのは、社寺の参道くらいでしょうか。

 アスファルトやコンクリートの舗装が普及するのは、自動車の通行が盛んになってからのことでしょう。


 歴史的な修景というけれど…

  先斗町
  先斗町の石畳

 花見小路と同様に、先斗町にも石畳が敷かれています。ここでは、狭い道の中央部分にだけ、石が斜めに置かれています。
 私の記憶では、このように石畳となったのは20年余り前のことでした。たぶん1990年頃のように思います。それまでは、確かアスファルトだったのです。

 アスファルト舗装が石畳に変えられる理由は、“風情がある” “情緒がある”といったもののようです。要はイメージですね。
 ところが少し厄介なのが、その変更が「歴史的」だという解釈で行われることです。つまり、<昔に戻すのだから石畳だね>という考え方です。
 上でみたように、おそらく都市の中では、特段の理由がない限り道路を石畳にすることはないはずです。むしろ、坂道など都市の外で石畳が使われていたのです。

 花見小路は、京都市の歴史的景観保全修景地区になっています。建物の形やデザインなどは、かなり細かくコントロールがなされています。
 ここで「歴史的」に保全、修景するというからには、なんらかの根拠があって道路を石畳に“戻している”はずです。
 いまのところ、調べが十分ではないのですが、ほんとうに古くから石畳だったのかどうか、私には疑問が拭い去れないのでした。

 ちなみに、祇園界隈で早くから石畳になっていたのは祇園新橋のあたりのようです。

 祇園新橋
  祇園新橋の石畳

 写真の右の道(白川から1本北側の新橋通)は、昭和50年代前半には、すでに石畳だったようです。ただ、それもいつ敷かれたものか、分かりません。
 
 ひと口に修景と言っても、電柱が地下化されて景色がすっきりすることはよいことだと思うのですが、その一方で、昔の道はすべて石畳が敷かれていたと誤解を与えるのは、少し具合が悪いのです。
 人と石との付き合いには長い歴史があり、その用い方にも適材適所というべき必然性があったからです。




 祇園花見小路

 所在 京都市東山区祇園町南側
 見学 自由
 交通 京阪電鉄「祇園四条」下車、徒歩約5分



 【参考文献】
 「花洛名勝図会」1864年
 苅谷勇雅「日本の美術 474 京都-古都の近代と景観保存」至文堂、2005年
 西川幸治ほか『歴史の町なみ 京都篇』NHKブックス、1979年
 登芳久『アスファルト舗装史』技報堂出版、1994年


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