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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS朝日「京都ぶらり歴史探訪」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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七宝家・並河靖之を訪ねたイギリス人 - ポンティング『英国人写真家の見た明治日本』(2)

洛東




並河靖之記念館


 英国人写真家、並河靖之を訪ねる

 社寺を訪れたポンティングは、京都の工芸家にも関心を示しました。金工、陶工などに続いて、最もページを割いて記述したのが、七宝焼の工房です。彼が訪ねた七宝家が、並河靖之でした。
 並河は、弘化2年(1845)、京都に生まれ、11歳で並河家の養子となります。時代は明治となり、並河は七宝の道に入り、明治6年(1973)に、最初の作品、直径6寸(約18cm)ばかりの「鳳凰文食籠」を作り上げました。以後、大正12年(1923)に工房を閉じるまで、日本を代表する七宝家として斯界をリードしました。明治29年(1896)には、帝室技芸員にも選ばれています。

白川
 並河邸に程近い白川の流れ

 人力車に乗ったポンティングは、粟田口の静かな横町にある仕舞屋の前に降り立ちます。それが、並河の自宅であり工房でした。

並河靖之記念館
 明治27年(1894)竣工の並河邸(登録有形文化財)

 いま、記念館となったその邸を訪れると、京町家らしい表家造(おもてやづくり)の建物だと分かります。

 庭をちらりと横手に見て案内されたのは、純然たる日本間であったが、ただその一隅に大きな戸棚と優美な中国風の黒檀のテーブルが置いてあった。
 この部屋で並河氏と初めて会ったのだが彼は落ち着いた話し方をする物腰の丁寧な人物で、その洗練された古風な顔立ちは、芸術家特有の優しい感受性と豊かな性格を表していた。(中略)彼は英語を話さなかったが、義弟の通訳にすべてを任せており、一緒にお茶を飲むよう勧めてくれた。(96-97ページ)

 
並河靖之記念館

 並河邸には、庭に面して開けた2室があり、手前の方の一室には今も絨毯の上に丸いテーブルと4脚のソファーが置かれています。ポンティングが通された部屋も、おそらくここだったのでしょう。
 ポンティングは、並河の紳士然とした風貌を紹介しながら、外国人への対応にも慣れていると述べています。明治27年(1894)に新築された並河邸は、外国人客の訪問にも適したように建築されたといい、鴨居を高くし、縁にはガラス障子をめぐらせています。

 並河氏は芸術家であると同時に実務家でもあった。私がお茶を啜っている間に、彼は手近の戸棚から数個の箱を選び始めていた。一ダースほどの箱を選び出すと、それを私の前のテーブルに置いて、早速その一つを開いた。そして、その中から黄色い薄手の綿布にくるんだ包みを取り出した。包みを開くと、もう一枚同じような布の包みがあり、それを開くとさらにもう一つ絹でくるんだ包みがあった。彼は絹の布を開いて、一個の七宝を私に見せてくれたが、それはデザインにおいても色調においてもきわめて優れたもので、私が今までに見た最高の品物でさえ、それに比べると未熟な作品としか思えなかった。彼は次々と箱を開いて、鮮やかな珠玉のような美術品を目の前に並べたとき、私は紛れもない名匠の前にいるのだということを、自ずと悟ったのである。というのは、その作品はいずれも正真正銘の傑作揃いだったからである。(98ページ)

 英国人写真家は、赤、緑、群青、紫など色とりどりで、美しい模様に飾られた「小さな壺や小箱」を見ました。それらはおそらく、小花瓶や香炉や香合や煙草入れだったのでしょう。今、記念館で見るそれらの品は、鮮やかな発色を保っており、藤、菊、秋草などの草花文から、鳳凰や近江八景のようなエキゾチックな絵柄まで、微細な文様を呈していて愛らしく、如何にも西洋人好みの品々です。
 藤の意匠の花瓶などを見ると、大阪の陶画工・藪明山の細密な薩摩焼を彷彿とさせ、これらが外国人向けの作品だと分かります。
 ポンティングは、並河の工房も見学します。

並河靖之記念館
 屋根瓦に「並」印が

 私が見たのは、長さが二十フィートくらいの塵一つない部屋で、床には畳が敷いてあり、その上に置いたいくつかの小さな机の上で、十人の職人が仕事をしていたが、自分の仕事に熱中していたので、我々が入っていっても、ほんの一瞬目を上げただけだった。その近くにいた二人の職人は一生懸命に擦ったり磨いたりしていた。
 これが並河氏の工房に働く人々の全員であった。この部屋で七宝の制作過程を、焼き付けを除いて全部見ることができた。
 職人はそれぞれが小さい優美な花瓶や綺麗な壺に向かって仕事をしていたが、優雅な形をしたそれらの品物の上に、ゆっくり着実に美しい模様が描かれ、色付けされていくのであった。ある机の上では、青銅の花瓶に装飾的な模様を描いているところであったが、それは手本を写しているのではなく、職人が自分の頭の中にある模様を小さな筆と墨で、直接花瓶に描いているのであった。他の机の上では、職人がほんのわずかな幅に平らに延ばした金の針金を小さく切っていた。その小さな金線を、模様の細かい部分の形に合わせて注意深く曲げて、模様の線の上に液状の接着剤をほんの少しつけて接着するのである。もう一つの机では、金線の模様がちょうど出来上がったところだった。下地になる銀の花瓶の表面に、浮き出した金の線が美しく細工されていた。並河氏の作品は、模様の美しさとともに、単色の下地に光沢があり清澄であることで名声を得ていた。だから、この金の飾りは表面のごく一部を覆っているだけであった。その意匠は、桜の小枝が一、二本とその間に小鳥が舞っている構図であった。模様はそれだけで、後はエナメルを入れるばかりになったこの状態でも、十分美しく見えた。というのは、小鳥の小さな翼や胸の羽一枚一枚が細かく細工され、桜の花弁や萼[がく]や花芯の一つ一つが色のエナメルを塗るために金の網目細工で丁寧に区切られていたからである。七宝[クロアゾネ]の名はこの間仕切り[クロアゾン]に由来する。(104-105ページ)



 ポンティングの制作工程を見る目は、確かで丁寧です。並河が行っていた技法は「有線七宝」というもので、銅などの素地に下絵を描いたあと、釉薬が混じり合うのを防ぐために「線」を張っていくのです。この線は、金や銀で出来た極めて細いリボンのようなもので、それを立てて張ります。その「間仕切り」された区画に釉薬を差していくのです。
 釉薬を差したあと、焼成にかけ、また釉薬を差して焼成する、という作業を繰り返します。この繰り返しは、通常3回以上も行われるそうで、ポンティングの記述では「最後の仕上げをする前に、7回これを繰り返す」と書かれています。焼成に使われる窯は、並河工房の場合、煉瓦を組み合わせただけの非常に小さなもので、そこで1つずつ丁寧に焼いていきます。ポンティングによると、この「一番重要な仕事」は並河自身が行っていたということです。
 そして最後の焼成の後は、研磨にかけて仕上げます。この作業は大変で「時によっては何週間も磨かねばならない」といいます。

 七宝の仕事は分業になっており、並河はデザインや焼成を手掛けるとともに、全体の監督者でした。英国人写真家が「現代における日本の最高の七宝師」というように、無線七宝で知られた東京の濤川(なみかわ)惣助と並び立つ存在だったのでした。


 小川治兵衛の庭園で

並河靖之記念館

 並河邸の庭は、著名な作庭家・小川治兵衛(七代)の手になるものです。中の島を持つ池には、鯉が悠然と泳いでいます。

並河靖之記念館

 家は池の上に突出して建っていたが、この家の主人が縁側に出てくると、池の表面がまるで突風が吹いたように波立った。それは池の方々から黒や斑や金色の大きな鯉が、跳ねたりぶつかり合ったりして水を泡立てながら、文字どおり主人の足の下に急いで集まってきたからであった。彼が一握りの麩(ふ)を投げ与えると、鯉は鼻先を水に突き出して、狂ったように騒いで賑やかに物音を立てながら、おいしい餌をむさぼり食うのであった。(中略)
 正面の小さな島の背の低い松の木陰に、一匹の亀がじっと我々を見つめていた。私が餌を投げてやっても、それは動かなかった。もう一度投げてみたが、全く動く気配がなかった。
 「どうして餌を食べないのですか?」と私が聞くと、並河氏は笑って「食べられないのですよ。あの亀はブロンズですから」と答えた。(102-103ページ)


 上の写真の縁側のガラス障子を開けて、並河達は餌をやったのでした。そして、

並河靖之記念館

 中の島には、今でも“動かない亀”が一匹います。
 いま並河邸を訪れると、この落ち着いた庭と美しい七宝の数々に心がなごみます。


満足稲荷の鳥居
 満足稲荷神社の鳥居

 並河靖之七宝記念館を辞して、西へ行った東山三条上るに満足稲荷神社があります。その鳥居は大正3年(1914)に奉献されたものですが、裏面には奉納者の氏名が刻んであり、そのなかに並河靖之や小川治兵衛の名があるのでした。並河はここの氏子だったのでしょうか。

満足稲荷の鳥居
 右端に「並河靖之」とある




 書 名:『英国人写真家が見た明治日本 この世の楽園・日本』
 著 者:H.G.ポンティング
 訳 者:長岡祥三
 出版社:講談社(講談社学術文庫1710)
 刊行年:2005年



 並河靖之七宝記念館

 *所在:京都市東山区三条通北裏白川筋東入堀池町
 *見学:大人600円ほか(月・木曜日休館、夏季・冬季休館あり)
 *交通:地下鉄東山駅より、徒歩約3分

 建物・七宝資料は登録有形文化財、庭園は京都市指定名勝



 【参考文献】
 『並河靖之七宝記念館 館蔵品図録 七宝』同館、2010年



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