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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS朝日「京都ぶらり歴史探訪」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

ARCHIVE

岡本太郎の父・岡本一平が、漫画でルポした京都の寺社と人はユーモラス

人物




岡本一平「京都の神社仏閣巡り」


 手塚治虫がみた漫画家・岡本一平

 芸術家・岡本太郎は太陽の塔を作ったりマスコミに露出したりして、生前つとに有名でした。そのせいで、彼の母が歌人で小説家の岡本かの子、父が漫画家の岡本一平であることも、比較的よく知られています。

 岡本一平(1886-1948)は、大正から昭和戦前期に活躍した人気漫画家でした。
 彼が活動し始めた大正時代の漫画は、現在のようなページ全体がコマ割りされているストーリーマンガではなく、主に1カットで表現するような作品が中心でした。
 その中で一平は、「映画小説」や「漫画小説」といったストーリー性のある漫画を創案しました。映画小説は、映画フィルムのようなフレームに漫画を描いたもの、漫画小説は絵と文章が混在する筋のある長編作品でした。
 また、「漫画漫文」という、文章の中に1コマ漫画をちりばめた作品も数多く制作しています。
 のちの田川水泡(「のらくろ」の作者)や手塚治虫のストーリーマンガなどとは異なった趣きですが、漫画の世界にストーリー性を持ち込んだ先駆者と言える人物です。

  「漫画小説お花見」
  「漫画小説お花見」(『一平全集』15)

 参考までに、手塚治虫の一平評を引用しておきましょう。

 まあ、それがぼくにとっては幸いしまして[注:自宅に漫画全集などがあったこと]、もう楽天[北沢楽天]や、一平を、小学生の頃から知っていたわけです(笑)。
 (中略)
 楽天の絵はすごく外国漫画に近くて、一平の漫画はどこか仏くさい、っていうことに気がついたんです。
 (中略)
 岡本一平は、器用さでいうと楽天の数倍勝る腕があるんです。ペン画から筆画から日本画、南画(中国画の二大流派の一つ。水墨・淡彩で山水を描く)にいたるまで、なんでもこなせる幅の広さがありますから。でも、ワーグマン、ビゴーの流れ、イギリスの『パンチ』のような国際感覚というものは、あまりもちあわせていなかったようです。
 (中略)
 一平は政治漫画を描いても、あくまでも国内政治で、大衆の理解の範囲の中で彼なりのすばらしい政治に対しての見識を出していったわけです。(中略)基本的には、彼は大衆の中にあって、庶民がなにを望んでいるのかを知ったうえで、世相とか流行、人間関係というようなものを、洒脱に描いていったんです。(手塚治虫『漫画の奥義』22-26ページ)


 手塚が見た岡本一平の特徴です。
 最後の「大衆の中にあって、庶民がなにを望んでいるのかを知ったうえで、世相とか流行、人間関係というようなものを、洒脱に描いていった」という部分は、なるほどとうなずかされますね。
 一平は、人間観察とか世相の観察にとても興味があった人だと思います。


 『一平全集』と探訪もの

 たくさんの弟子を持っていた岡本一平は、はやくも昭和4年(1929)に、その名も『一平全集』という作品集が編まれます。昭和4年から翌年にかけて、東京の先進社から15巻にわたって出版されたのです。このとき一平、43歳。すごいことですね。

  『一平全集』
  『一平全集』の函

 全集の第9巻は「探訪漫画漫文集」となっています。いわゆる探訪ものを集めた巻ですね。
 探訪ものは、いろんな土地や施設、仕事などをルポするもので、一平得意の漫画漫文スタイルで画かれています。

  「足尾銅山」
  探訪ものの例「足尾銅山」


 京都の古社寺をリポート

 その中に「京都の神社仏閣巡り」が収められています。
 この作品がいつ書かれたかはよく分かりませんが、大正10年(1921)という年代が出て来るので、それよりもあと、おそらく大正末頃の作品でしょう。季節は夏のようです。
 婦女界社という社名も出てくるので、初出は雑誌「婦女界」に掲載されたものと思われます。

 岡本一平の京都行は、大阪から京都へ向かう汽車から始まります。

 ところが、いきなり車中で懇意の代議士と乗り合わせ、京都駅につくと駅長を紹介されてしまいます。
 ちなみに、この代議士は森田茂という人で、衆議院議長も務め、のちに京都市長にもなった人物です。

 岡本一平「京都の神社仏閣巡り」
 旅客を指さす京都駅・釜内駅長

 釜内駅長いわく、

 『私は永らく大阪に居まして、それから京都に来たものですが、来た当座、駅員達が今度来た駅長は気忙(きぜわ)しなくて弱るといつとるのをよく聞きました。他国から来た駅員達も、ここに居るとどうしても京都のおつとりした空気に感化されるものと見えます。
(中略)
 『乗客もそうですな。京都駅へ下りるとまづ休養といふ感じのするものですか、プラツトホームの歩き方が違ひます。ご覧なさいね。そうでしよう』(『一平全集』9より、適宜句読点等を施した、以下同じ)


 一平の当初のプランでは、「京都駅へこつそり降り、朦朧車夫の手にかゝり、お上りさん扱ひにされ、彼の出鱈目口上を素直に聴いて廻る積りだつた」。
 ところが、駅長に会ったために、京都駅随一の「勤勉方正の模範車夫」を紹介されたのでした。

 岡本一平「京都の神社仏閣巡り」
  車中でかしこまる秋山模範車夫。胸には表彰のメダルが

 時間がないために、一平は車夫を自動車に同乗させて(つまり人力車には乗らずに!)京都観光するのでした。


 東本願寺から伏見稲荷へ

 駅前の東本願寺に着くと、祖師堂(御影堂)にお詣りします。
 そして、著名な「毛綱」を見るのでした。

 廊下に新潟県の女達が切つた髪の毛で綯(な)つた毛綱が三つとぐろを巻いている。何十万の女人の髪の毛だ相で、堂の棟木を上げるのに使つたもの。麻の綱ではどんなに強いものでも断れてしまふのを毛綱は籠められた信仰力で決して断れないといふ説明、摩れた外側の毛は赧(あか)くなつてる。
 女の髪の毛がこんなに集まつたのを見ると、それがたとへ解脱に向ふ浄念より切放つたものであるとも、感じは女の執念といふ事を思はせる。女の髪といふものは、それだけ女の魅力を帯同して居るものだ。


 岡本一平「京都の神社仏閣巡り」
  左端の黒いものが「毛綱」

 東本願寺の明治時代の再建時、木材の搬出、運搬にあたって曳行用の綱として編まれたのが「毛綱」です。麻と女性の髪を綯い交ぜにしているそうです。富山、新潟、秋田など全国から53本が寄進されたといいます。

  東本願寺・毛綱
  新潟県から寄進された毛綱

 以前は露出展示してあったと思いますが、今はお堂が工事中のためか、ケースに入れられています。

 続いて、伏見稲荷へ。

 岡本一平「京都の神社仏閣巡り」
 稲荷山の千本鳥居

 千本鳥居は昔も今も、同じ風景ですね。

 伏見稲荷・千本鳥居

 まず一平が注目したのは、土産物屋。

 勾配の石畳の両側に伏見人形を売る店がずらりと並んでる。この頃の名所旧蹟の売店は商売上手になつて、そこの特色の名物を売る外、各地各所の名物で趣向の面白いもの、買付きのよろしきものはどしどし模倣(イミテーション)をやり、自分のところのもののような顔をして売る。
 従つてここの店等にも、伏見人形の外に、宮島の杓子もあれば箱根細工もある。名物のデパートメントストアだ。
 鳥居を売つてる店がある。祈願者が買つて奉納するのだ。入つて値を聴くと、一番廉いのが十四円、高価(たか)いのでは『一億円でも二億円でも、なんぼでも拵(こしら)へます』


 大正時代ともなると、こんな雰囲気の土産物屋でした。

 岡本一平「京都の神社仏閣巡り」
  伏見稲荷の参詣者

 上の絵の説明は……

 足拵(あしごしら)へ厳重、身なり構わず軽装した家族の一体[隊]が、籠に果物やら餅やら魚の干ものやら酒やらを入れたのを提げて山へ向つて上つて行く。これは『お火焚き』といつて家々で神祭りをする、その供物を更に山の末社へ分け供へに上る人達だそうな。
 洋服を着て附紐(つけひも)草履を穿[履]いて肩から水筒を下げた少女が一つの小社の前に立停り 『おかァん。この神はん、なにあぎよ』
 母らしき女 『小(ち)つこいもんでゑゝぜ。まだ先に大事な神さん、ぎようさん[仰山=たくさん]居やはるわ』
 かくてこの社は、瓦煎餅一枚、はじけ豆三粒で我慢させられた。
 神詣りを遊山気分に混ぜ、趣味生活の一部に供するところ、よく京都人を表して居る。


 岡本一平らしい、細かい人間観察を示していますね。


 子の出来る茶碗

岡本一平「京都の神社仏閣巡り」
  疏水と馬に乗る女性

 伏見稲荷を発つと、疏水に沿った師団街道を北上します。
 師団街道では馬に乗る女性2人に擦れ違います。不思議に思うと、模範車夫は『あら伯楽(ばくろう=博労)の娘どす。(中略)みな競馬に出やはります』と教えてくれました。

 岡本一平「京都の神社仏閣巡り」
  行く手を遮る荷車

 さらに、一平らが乗る自動車の前を遮る荷車が。余りにのろのろしているので、なぜかと思えば、豆腐売りの荷車でした。
 このあたりのスケッチも、なかなか巧みなものがあります。

 清水寺に着いても、一平の関心は人に向かいます。
 轟餅(とどろきもち)を売る茶屋。そこで見たもの。

 岡本一平「京都の神社仏閣巡り」
  茶屋の兄妹

(前略)世にいふ忠僕茶屋だ。重助君[大月重助]の方の茶屋に入る。経営してるのは重助の孫に当る兄妹六人だ。二番目の弟が末の妹に夏期温習帳の文法のところを面倒みてやつてる。
 『上げるの反対やつたら判るやろ。なに判らん、しようも無い女やな。上げるの反対やつたら下げるやないか』
 兄にいはれて、妹は一言も無く温習帳に『下げる』と書き入れている。


 「温習帳」は、おさらい帳くらいの意味。夏休みの宿題に苦労する妹を兄が見てやっている光景です。
 そのキビしさが妙にリアルですが、こんなことも一平の手にかかると漫画漫文になってしまいます。

 清水寺の参詣道には清水焼の店が多く、一平は「子の出来る茶碗」というものを見つけます。男と女の飯茶碗にコウモリの絵が描いてあるものです。

 岡本一平「京都の神社仏閣巡り」
  「子の出来る茶碗」と八坂神社の「茅の輪」

 『これでおあがりやすと、必ずお子達が生れはりやす』
 現に生れた証拠だとて、写真入りの説明書を見せた。戸貝晴美君といふ子の生れた表には次の如く書いてある。
 茶碗使用年月 大正九年八月
 妊娠年月 大正九年十二月
 出産年月 大正十年九月十六日
 茶碗を使つてから四ヶ月目で茶碗の効力が現れてる表になつてるのを見ると微笑させられる。


 これもおもしろい。ありそうな話ですね。
 一平は、2円30銭払って、この夫婦茶碗を買いました。ちなみに自分で使いたいわけではなく(笑)、編集部に届けさせるのだそうです。


 瓢亭で食事

 その次は、八坂神社。
 禰宜さんが石灯籠にホースで水を掛けていますが、それは有名な忠盛灯籠でした。

 岡本一平「京都の神社仏閣巡り」
  忠盛灯籠に水を掛ける禰宜と芸妓

  八坂神社・忠盛灯籠
  現在の忠盛灯籠(八坂神社)

 旅の終わりは、瓢亭での夕食。ふだんは夕方6時に閉店なのだそうですが、森田代議士の尽力で特別に夜間営業。

 岡本一平「京都の神社仏閣巡り」
  瓢亭で食事する森田代議士、印刷会社社長、一平

 瓢箪の形の陶器が出る。模様は瓢箪の葉に山陽外史[頼山陽]の一帯青松路不迷の七字。蓋を除(と)ると一重目の皿にはずいきの胡麻よごし、二重目にはきやら蕗(ぶき)、沢庵、瓜の塩漬、茄子の味噌漬、らつきよ。三重目の瓢箪の尻には煮百合、茄子の鴫焼(しぎやき)、この外にゆで玉子半に切つたのが四つ、茹で加減毎日寸毫の相違も無いのが自慢だそうな。豆腐の汁が一ぱいつく。
 粥は、白粥に葛あんをかけて食ふ。
 さまざまの味に飽きて舌が枯淡に返つた贅人の食ふ食物と京都ではこれがなつてる。


 ウェブサイトを見ると、今でも瓢箪形の器には頼山陽の字句が書かれているそうで、名物は朝がゆ。
 ずいきや半割のゆで玉子(名物「瓢亭玉子」)など、当時と同じような食材が供されているようです。
 
 最後に北野天満宮に行き、25日の天神さんの縁日を見てお終い。
 一平は、「京都では金儲けのお詣りは伏見稲荷、学問勉強はこゝ[北野天満宮]、ぢゝばゝの詣るは本願寺、植木の買出しは東寺の縁日となつているそうだ」と記しています。

 それにしても、自動車を使っているとはいいながら、なかなかの弾丸ツアーですね。
 そして、掲載されている絵をすべて載せたのですが、名所の風景らしいものは稲荷山の千本鳥居くらいで、清水の舞台すら画かず、もっぱら人物の絵ばかりです。人間観察、人物描写を得意とした一平の真骨頂です。
 参拝者、働く人、通行人、そして土産物まで、実に見る目が細かい。ずっと読んでいたい、見ていたい気がする名ルポですね。


  岡本一平「京都の神社仏閣巡り」




 【参考文献】
 『一平全集』第9巻、15巻、先進社、1929-30年
 清水勲編『岡本一平漫画漫文集』岩波文庫、1995年
 清水勲『漫画の歴史』岩波新書(赤172)、1991年
 手塚治虫『漫画の奥義』光文社知恵の森文庫、2007年


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