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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS朝日「京都ぶらり歴史探訪」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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屋根のラインが美しい祇園の弥栄会館は、名手・木村得三郎の力作

洛東




弥栄会館


 祇園甲部歌舞練場

 四条通から南に折れると、花見小路は大勢の観光客でいつもにぎわっています。

花見小路
  左は、一力亭

 200mほど南に進むと、東側に大きなゲートが現れます。

弥栄会館

 中に入って行くと、

祇園甲部歌舞練場
 祇園甲部歌舞練場の玄関(左)と八坂倶楽部(奥)

 祇園甲部歌舞練場です。
 「甲部(こうぶ)」というのは、もちろん「乙部(おつぶ)」に対しての称ですが、現在、乙部は「祇園東」という名称になっており、四条通の北、花見小路の東の一角にある花街です。秋に祇園会館で「祇園をどり」が行われます。
 甲部、東とも、京都のいわゆる五花街のひとつですが、とりわけ「都をどり」で有名な甲部は日本を代表する花街で、歌舞練場も木造の和風建築で風格が漂っています。大正2年(1913)に建築されたもので、国の登録有形文化財になっています。玄関の欄間に浮彫りされた菊の模様など、丁寧な仕事がうかがえます。


 ギオンコーナーがある弥栄会館

 その手前に白亜の大建築がそびえています。これが、昭和11年(1936)の年末に竣工した弥栄会館です。「弥栄」は「やさか」と読み、「八坂」に通じます。こちらも、登録有形文化財です。

弥栄会館
  弥栄会館
 
 この弥栄会館の中には、「ギオンコーナー」があって、京舞など伝統芸能のさわりを見ることができます。昭和37年(1962)に開設されたので、後で触れるように、開館当時は違った施設でした。

 弥栄会館


 設計は木村得三郎

 弥栄会館の設計者は、木村得三郎です。大林組の技師で、社内ではいくつかの劇場建築を手掛けてきました。大阪の松竹座(1923年)、東京の歌舞伎座の復旧(1923、岡田信一郎と)、京都の先斗町歌舞練場(1927)と続き、大阪歌舞伎座も最初は木村の手による設計が行われたそうですが、経費面で折り合わず、小田島兵吉が再設計し、昭和7年(1932)に竣工しました。
 それほどに、社内外で劇場建築のプロフェッショナルと目されていたわけです。

 その木村が設計した弥栄会館。
 「会館」という名前ですが、中には劇場が入っています。

 もちろん、敷地内には、先に甲部歌舞練場ができていて(大正2年=1913年竣工)、また八坂倶楽部もあって(大正5年)、屋上屋を重ねるみたいに、また劇場を造ったのです。起工は、遅れて昭和10年(1935)。デザイン面では、おのずと既存の歌舞練場などを意識せざるを得ないでしょう。

 まず外観を見る前に、建物の内部の構成を見ておきます。


 内部の設備も豪華

 地上5階、地下1階、鉄骨鉄筋コンクリート造の建物。
 いま手もとにある『弥栄会館御案内』というパンフレットと、雑誌「建築と社会」を見ながら、内部紹介してみましょう。

弥栄会館
 『祇園新地甲部 弥栄会館御案内』1937年頃発行

 まず1階は、大広間(大ホール)。広さ114坪(約380㎡)。展覧会やパーティーができるフラットな床面を持っています。照明器具が華やかなので、宴会場にふさわしい雰囲気です。

弥栄会館
  1階・大広間

 2階は大広間の上部などになっており、3階から5階にかけて講演場(公演場)があります。講演場は、照明や音響も完備しており、映画、演劇、舞踊、演奏会、講演会など、あらゆる催しに対応できました。客席は二階席もあって、椅子席が704席(補助席を含むと1200名収容)。当時、大阪の劇場などでは2000~3000席といったキャパシティのホールもありましたが、京都では南座などと並んで大規模なホールといえるでしょう。

弥栄会館
  講演場(客席)

弥栄会館
  講演場(舞台)

 地階には、食堂などがありました。

 講演場や大広間は貸館になっていて、有料で借りることができました。和洋どちらの催事にも対応する近代的な設備で、祇園で行われるさまざまな行事の受け皿となったことでしょう。

 ところが、開館した昭和12年(1937)10月、時局の影響を被って、弥栄会館はニュース映画館に変貌をとげます。さらに太平洋戦争下では風船爆弾の製造所になるなど、波乱の道をたどりました(「京の和風モダン建築十選」)。


 “反らない”屋根のラインが秀逸

弥栄会館
  現在(2013年)

弥栄会館
  竣工当時(1936年、『弥栄会館御案内』より)

 2枚の写真を比べても、外観は80年近くほとんど手を加えられていないようです。

 正面の上部。

 弥栄会館

 この建物で、まず目がいくのが塔屋です。
 その屋根は、瓦葺の宝形造で、仏閣ないしは城郭風です。建築史家の石田潤一郎氏は、楼閣建築との関連性、なかでも西本願寺飛雲閣との類似を指摘されています。なるほど、おもしろいですね。

西本願寺飛雲閣
  西本願寺飛雲閣(『京都名勝誌』より)


 弥栄会館

 中層には唐破風を付けていますが、平たいせいか余り目立ちません。

 『弥生会館御案内』には、「近代的な設計に京都特有の郷土色も豊かな、復興日本式鉄骨鉄筋コンクリートの建築様式」と記されています。
 このように、一応この建物は「帝冠様式」ともいえるのですが、それだけでは済まない特徴を持っているようにも思えます。

 弥栄会館

 まず注目したいのが、この庇(ひさし)です。各階に、出の浅い庇が設けられていますが、フラットでほとんど反りがありません。

 西側面です。

 弥栄会館

 印象としては、まっすぐ。端部だけ、微妙に反りを見せています。
 この直線的なラインが、この建物を帝冠様式にありがちな“泥臭さ”から解き放っています。

 こちらは門ですが、一転して特異な反りを持たせ、インパクトを与えているかのようです。
 
弥栄会館

 このあたりの造形の対比も、なかなかおもしろく感じられます。

弥栄会館

 重層的な窓と庇の配置。
 要所に露台(バルコニー)を張り出し、そこにはテラコッタを貼るなど、アクセントに腐心しています。

弥栄会館
  露台のテラコッタ


 細部意匠も丁寧に

 弥栄会館

 西側面の窓。ここは和風で、蔵造り風でもありますが、

 弥栄会館

 こちら、1階正面の窓。
 面取りをした花崗岩の柱で挟んだ、縦長窓の連続です。

 弥栄会館

 面取りの仕方も細やか。

 弥栄会館

 階段室の窓。
 なにげない格子ですが、各所に繰り返し使われます。

 タイルも、ちょっとおもしろい横長の品です。

 弥栄会館


 過剰な装飾はないのですが、配慮が行き届いた意匠ですね。

 木村得三郎。
 劇場建築の名手と人は言うのですが、それだけにとどまらない深い味わいを感じさせます。
 もう少し彼のことを考えてみたい気がしますね。




 弥栄会館(登録有形文化財)

 所在 京都市東山区祇園町南側
 見学 外観自由 ※ギオンコーナーは公演あり(大人3150円ほか)
 交通 京阪電車祇園四条下車、徒歩約10分



 【参考文献】
 『祇園新地甲部 弥栄会館御案内』弥栄会館、1937年頃
 「建築と社会」1937年4月号(新建築欄)
 『京都名勝誌』京都市、1928年
 石田潤一郎『関西の近代建築』中央公論美術出版、1996年
 石田潤一郎「京の和風モダン建築十選(10)」日本経済新聞2013年7月12日付


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