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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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1950年に創刊された雑誌「京都 観光と美術」は、「月刊京都」の前身

京都本




「京都」創刊号


 白川書院「月刊京都」

 京都で発行される京都をテーマにした雑誌の老舗といえば、「月刊京都」。白川書院の発行です。

 「月刊京都」
 2013年7月号は祇園祭特集

 白川書院は、戦前、臼井喜之介が創業したウスヰ書房(のち臼井書房)が、戦後に改組された出版社です。
 ウスヰ書房については、→ <臼井書房の書物たち> をご覧ください。

 昭和16年(1941)に刊行した『随筆京都』でヒットを飛ばした臼井書房は、その後、京都に関する書籍を刊行していきます。


 月刊誌「京都」の創刊

 終戦から5年後の昭和25年(1950)8月、同社は白川書院となって、月刊誌「京都 観光と美術」を創刊します。
 現在まで63年つづく「月刊京都」の前身です。

 「京都」創刊号
  「京都 観光と美術」創刊号

 表紙の絵は、勝田哲による「舞妓」。勝田は、京都生まれの日本画家で、舞妓など美人画を得意としました。著名な作品には、天草四郎の肖像などがあります。
 青のバックに朱色のタイトル文字、白い枠を切って舞妓を配しています。シンプルな表紙で、時代を感じさせます。

 表紙をめくって1ページ目には、「八月のことば」と、同月のスケジュール「京暦」が掲載されています。「八月のことば」は、有職故実などに詳しかった猪熊兼繁が執筆しています。

 夏は暑いものである。この暑い夏のなかでも、とりわけ京は暑い。京都で最も暑いのは七月の祇園祭前頃から、八月のお盆までのようである。

 という書き出しの短い随筆は、迎え鐘、送り火、清水の星下し、六斎念仏など、お盆の頃の行事を綴っていきます。 

 さらにページを繰ると、目次です。
 たとえば、

  吉井 勇 「京洛点描(和歌)」
  清水六兵衛「陶器放談」
  武者小路実篤「京の宿」
  川勝政太郎「宇治橋と浮島大石橋」
  重森 三玲「茶庭めぐり(表千家)」
  新村 出 「京ことば」

 など、著名な筆者の興味深い随筆が数多く掲載されています。
 臼井喜之介自身も「洛味を訪ねて(1)」を執筆しました。富本憲吉、花柳章太郎、市川紅梅らによる座談会もあります。


 新村出の京ことば論

 私が懐かしく、関心を持って読んだのが、『広辞苑』を編んだことで知られる新村出(しんむらいずる)博士の「京ことば」でした。

 はじめ京都へ来た時には、京都の言葉が大変自分の耳を刺戟し、また、近代の言葉のうちにも古い平安朝文学の言葉の流れ或ひは余韻を伝へたものがあつて、なつかしく思つた。例へば平安朝文学に「月いとあかし--月が明るい」の、あかしは関東では明るいと云ふことは云ふが「あかい」と云へばレッド・カラー(赤色)の意味にほかならなかつたが、京都へ来た時分、今も云ふか、云はぬかしらない(編輯者註、今もいふ)が「燈火があかい」といふやうなことを聞いたので非常にうれしかつたことを思ひ出す。

 新村は、山口生まれ、静岡育ち、一高、東京帝大卒なので、まったく関西とはゆかりがありませんでした。けれども、京都帝大の教授となったので「三十三四の時から京住ひ」、ということは明治40年代の京言葉を知っているということです。
 「月があかい」の話は、明治42年(1909)春に京都の宿に滞在した時、まだランプを使っていた時代のことでした。新村は、「源氏物語なんかに出て来る『月いとあかし』といふ言葉が二十世紀のはじめになほ残つてゐるおもひで、京都情緒のほのかな匂ひを感ぜずには居られなかつた」と述懐します。

 これは私などにも懐かしい話で、確かに昔は「明るい」ということを「あかい」と言っていました。日の暮れ、「まだ外があかい」というような言い方をしていたのです。もちろん新村博士のような感慨は誰も抱かず、ごくふつうに使われていました。

 「京都」創刊号

 今も学童らのいふ「かたつむり」といふのは、古い平安朝からある言葉で歌にも出て来るし字引にも出て来たし、また堤中納言物語の中にも出てくる言葉で、(中略)東京の言葉では「まへまへつぶろ」と云ふ。(中略)その「まへまへつぶろ」を私のこどもが学校でいつたところが教場の中で大笑ひをされて、子供は真赤な顔をしてしまつたといふ経緯もある、
「まへまへつぶろ」に対して「ででむし」といふのは蝸牛が殻の中に引込んで萎縮してゐる、それを子供が「出ろ出ろ」といふことで「ででむし」といふ意味のことは語源的に少し考へればわかることではあるが、関西へ来た私には初耳であつた。もちろん狂言などに「ででむし」といふのがあり、東京の能舞台で見て知つてはゐたが、子供にとつては初耳であるから、教場仲間が「まへまへつぶろ」が初めての如く、うちの子にとつては「ででむし」が初めてゞあつた。


 そのあと博士は、「要するに方言とか標準語とか云つても主観的なもので客観性はないと云つてもよい」と述べています。
 ただ、お子達は大変だったようで、「子供達は家庭では親の言葉[関東の言葉]、仲間同士では京都言葉といふやうな二重の言語生活を最初は営んだ」。新村は、さすがに言語学者なので「私が京都へきた最初の二三年位はバイリンギュアリズムといふ風があつた」と高尚に述べているのですが、子供たちの言葉は次第に「京都言葉化」していったのでした。

 また、困ったことはアクセントの問題で、いわゆる「くも」が“雲”になったり“蜘蛛”になったりする話です。

 アクセントの相違から来る誤解やら感情の衝突などは屡々[しばしば]あるもので、誰でも例にする話であるが「物を借りる時」の「物をかつた」と云ふ関西人の言葉に対して、関東人はそれを当然「買つた」と云ふことに解釈するであらう。(京都では買ふ場合「買[こ]うた」とウ音便にいふ、編輯者)

 これは、よく言う話です。私たちも、物を購入することを「こうた」と言うのですけれど、最近は“標準語化”が進んで、若い世代は、もうこんな言い方はしないだろうと思います。もちろん、借りるという意味の「かった」も同様です。

 さて、最後に彼が締めくくっている話題を引いておきましょう。新村夫人の友人O夫人、彼女は東京育ちですが夫君は関西人、姑さんもそうで、言語ギャップのために時々悩まされたという話です。
 O夫人いわく……

 東京では夫を奥さんが送り出す時「いつてらつしやいまし」と云つて送る。それは「元気で健やかに行つていらつしやいませ」といふ意味であるが、関西では奥さんが夫の出かけに「お早うお帰りやす」といふ。
 ところがそのO婦人の姑さんは「どうもお前の云い方は冷淡だ、たゞいつていらつしやいましといふのでは情が薄い。“お早うお帰りやす”と云ふと、さういふ風にいはれた旦那様は非常に早く家庭へ帰つて来たいといふ気持を浚[そそ]られる。どうも関西の言葉の方が情が籠つてゐる」といふやうなことを訓[おし]へられたといふ(後略)


 なんだか笑い話みないな、冗談とも本気ともつかない姑さんの教訓ですが、そこに「情」を感じるという感性は確かに関西人らしいと思います。
 
 こういった大家の肩の凝らない随筆が掲載されているところに、雑誌の時代性があり、また『随筆京都』などと相通じるものを感じます。




 書 名:「京都 観光と美術」創刊号
 出版社:白川書院
 刊行年:1950年

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