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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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きょうの散歩 - 祇園祭 還幸祭 - 2013.7.24 -





還幸祭


 7月17日は山鉾巡行を見に行きましたが、それに続いて24日夕、還幸祭に行ってきました。
 午後5時頃から始まりますが、仕事帰りなので7時から駆け付けました。

還幸祭

 当然ですが、御旅所はもぬけの殻です……

 改めて説明しますと、祇園祭には7月17日の神幸祭と24日の還幸祭があります。
 これは、八坂神社から四条寺町にある御旅所へ神さまが渡御され(17日)、また帰って来られる(24日)神事です。祇園祭の中心は、この神さまが乗られた神輿(みこし)の渡御ですが、その先触れであった山鉾巡行がその華やかさから現在ではメインのようにみなされています。
 山鉾巡行は、昭和41年(1966)までは、17日の「前祭(さきのまつり)」と24日の「後祭(あとのまつり)」に分かれていましたが、それは神幸祭と還幸祭にそれぞれ付随していたからです。

 7月17日の夕方、神社を出た神輿は、鴨川東岸の地区を巡行した後、西岸の地域を経て、四条寺町の御旅所に着輿します。
 神輿は、主に3基あって「中御座」(素戔嗚命・三若[さんわか]神輿会)、「東御座」(櫛稲田姫命・四若[しわか]神輿会)、「西御座」(八柱御子神・錦神輿会)で、加えて子供神輿の「東若御座」があります。

 還幸祭

 下の写真は、23日夕方に撮影した御旅所の様子。この時も参拝に来る方が多数いらっしゃいました。

御旅所
  左から、東御座神輿、中御座神輿、西御座神輿

 御旅所は、現在は四条通南側の1か所ですが、江戸時代は異なっていました。
 黒川道祐「雍州府志」巻2は、次のように記しています。

 (前略)四条御旅所の仮宮に到る。(中略)茲[ここ]に於いて又、牛頭天王[現在の中御座]、幷[ならび]びに、八王子[現在の西御座]の両神輿を東の仮宮の前に靠[よせか]く。梅の坊、輿中の神を仮宮に遷す。又、一基の神輿、少将井の神[現在の東御座]を南の仮宮に遷す。(中略)然して後、天王、幷びに、八王子の空輿を北の御輿屋に置き、少将井の空輿を南の御輿屋に置く。此の如き時は即ち、神は仮宮に存す。

 祭神の呼び名などが異なっていて分かりづらいですが、まず神輿が着くと、仮宮に神さまを遷して、そのあと空になった神輿を御輿屋(みこしや)に置く、というのです。
 これは「都名所図会」巻2の図を見ると、よく理解できます。

 「都名所図会」より祇園御旅所
  「都名所図会」巻2より「祇園御旅所」

 赤く囲ったところが「ミこしへや」で、四条通の両側にあることが分かります。これが空の神輿を置くところです。
 その脇に、「天王社」や「少将井」といったお宮さんがありますが、これが神さまを遷す仮宮です。天王社が黒川道祐のいう「東の仮宮」、少将井が「南の仮宮」に当たります。
 これが江戸時代の配置で、今日とはかなり違っていますね。

 ちなみに、道祐は、近頃は神さまのいなくなった空の神輿に供物を献じたりしていて変なことだ、と揶揄しています。

 御旅所がこの形になったのは豊臣秀吉以後で、それ以前は、東洞院冷泉にあった少将井の御旅所と、東洞院高辻上ルの大政所の御旅所だったそうです。
 大政所の御旅所跡は、いま烏丸高辻上ルに小祠となって残されています。

 大政所跡
  大政所御旅所跡

 さて、急いで四条通を西へ、そして南へ。午後7時頃、大政所跡にたどり着いた時には、すでに最終の西御座(錦神輿会)の神輿が到着していました。

還幸祭

 烏丸通の片側車線いっぱいに、神輿とそれをかく人たちが密集しています。八坂神社の小冊子には「600名」とあるのですが、数えるのは不可能で、もちろんこの写真の範囲外にも大勢おられます。
 写真左に、大政所跡の小祠があり、神主さんによる神事が行われます。

還幸祭

 ここから、しばらく西御座について歩きました。神輿は押されているので、意外に早い速度です(ほぼ人が歩くくらい)。東洞院三条までお伴しました。

 西御座とは、ここで一旦お別れ。なぜなら、この三条通を今度は西から中御座、東御座、西御座と神輿が戻って来るからです。
 それでも小1時間あるので、三条通をうろうろし、最後はコンビニで缶ビールを買って、路傍に腰かけて飲んでしまいました。

 三条寺町の西で待っていると、8時半頃、まずご神宝奉持列がやってきました。

還幸祭

 神輿の先触れですが、最後に駒形稚児が現れます。

還幸祭

 馬上にかわいいお稚児さんが乗っています。これは、南区久世の綾戸国中神社の氏子から選ばれるもので、久世稚児とも呼ばれています。

 それからまた、しばらく待つと、いよいよ中御座の神輿が登場。

還幸祭

 1928ビル(旧毎日新聞京都支局)の前で、少し停まって差し上げをしたりします。
 このあと、三条寺町を南下して四条通へ。元の御旅所前に戻っていきます。
 そこからは、四条通を一路東へ。

 とりわけ壮大な光景は、四条河原町交差点での差し回しでしょう。

還幸祭

 百万都市の目抜き通で、すべての交通をストップしてこのような祭礼が行われることは、まさに世俗を離れた聖なるものの体現です。

還幸祭

 こちらは、四条通の突当り、八坂神社の西門下での様子。美しいですね。

 9時半頃、南楼門から境内に入り、舞殿を3周します。

還幸祭

 これから、ほぼ1時間、境内で何度も差し上げが行われました。

還幸祭

 中御座の神輿が舞殿に上げられたのは、10時半頃。
 
 このあと、東御座、西御座と神輿が続くのですが、今晩はここで失礼。帰路、最初に見た西御座と擦れ違いました。

 いろいろ印象深い還幸祭でしたが、やはり「ホイット、ホイット」という掛け声が耳に残ります。独特のリズム感があって、海外の方にも人気のようでした。
 来年は、もう少しじっくり見られたらと思っています。


 還幸祭




 【参考文献】
 「雍州府志」1686年(岩波文庫版)
 「都名所図会」1780年
 『平成二十五年度 祇園祭』八坂神社、2013年
 米山俊直編著『ドキュメント祇園祭』NHKブックス、1986年
 川嶋将生『祇園祭』吉川弘文館、2010年


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