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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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東山の繁華街を貫く「大和大路」、その名は何に由来する?

洛東




「花洛名勝図会」より大和橋


 祇園の繁華な通り

 鴨川の東、祇園の三条から四条にかけての一帯は、料理店、古美術商、スナックなどが立ち並び、祇園新橋のあたりは2時間ドラマでお馴染みの“京都らしい”地区といわれます。

 鴨川に沿った川端通は、私が学生の頃までは京阪電車の軌道敷で、その地下化に伴い道路になりました。そのため、古くは鴨川沿いの道といえば、もう1本東の大和大路で、特に三条と四条の間は「縄手(なわて)通」と呼ばれています。鴨川の堤に敷設された道路です。

縄手通
 看板に「祇園縄手繁栄会」。 祇園を冠して呼ばれることが多い

 縄手とは、あぜ道や真直ぐな道を指す言葉で、「縄手」とも「畷」とも書かれます。例えば、大阪府高槻市には「八丁畷」という道路がありますが、これも延長が8丁(900m弱)ある道ということだったのでしょう。


 「花洛名勝図会」の大和橋、大和大路
 
 冒頭の写真は、幕末に刊行された「花洛名勝図会」(1864年)の「縄手通 大和橋」の挿図。
 川は白川。橋は石橋で、簡単な高欄が付けられているのが分かります。背後(東側)には、商家や茶屋が並んでいます。
 同書は、大和橋について次のように記しています。

 大和大路三条と四条との間にあり。是、白河の流、賀茂川に入る所なり。大和大路にかくるを以て大和橋といふ。石を以て造る橋なり

 こう記して、近辺や南方には近年遊所が再興され、ますます繁昌している、と述べています。

 鴨川を含めて描いた広域の図。

「花洛名勝図会」より大和橋と縄手
 左に「なハて」、右に「大和ばし」とある(「花洛名勝図会」)

 この図を見ると、大和橋から左(北)は鴨川に沿って茶屋らしき二階家が建っているのが見て取れます。「洛陽勝覧」(1737年)という書物によると、大和大路の西側の多くは茶屋で、59軒もあって茶立(ちゃたて)女という遊女を抱えていたといいます(『京都の大路小路』)。

 大和大路については、

 芝居の東にあり。俗に縄手といふ。三条の橋より南を経て、伏見豊後橋にいたるの通称なり。則、此道を経て南の方、大和国に到るを以て斯ハ号[なづ]けり。尤[もっとも]此道、方広寺の前にてハ大仏門前と謂。
 いにしへ此所ハ左右田圃にして広き縄手の此彼に民家ありしとぞ。故に元結を製するものここに住て、路傍に元結を干て製し、旅人にひさぎしが今尚余風遺りて、此所の名物となる。「縄手元結」の聞え世に高し


 通りの名称については、三条-四条間を縄手通、四条-五条間を建仁寺通、五条以南を大仏仁王門通などと称するようです(『京都市の地名』)。

 「花洛名勝図会」も記すように、この道は遥か大和国(奈良県)に通じる街道の起点であるため、大和大路と呼ばれます。私も、伏見や宇治まで歩いたことがありますが、起点の三条大橋からまず大和大路に入ってスタートを切るのでした。
 五条通からは本町通と並行し始めますから、そこからは本町通をずっと下って行くと伏見稲荷へと至ります。三条から稲荷までは約1里、1時間の行程で、意外に京都市街から近いことが分かります。


 名物の元結

 ところで、上の引用では、<昔は、民家で髪を結ぶための元結(もとゆい、もっとい)を製造して売っていたため、これが当地の名物「縄手元結」になった>と記しています。
 元結とは、江戸時代、髷(まげ)を束ねるために使った糸で、紙の「こより」で作られていました。
 京都では、この縄手が元結屋の集まっているところとして知られていました。製造の上では、鴨川の河原が格好の元結の干し場となり、また売買上では、東海道の起終点である三条大橋に程近く、旅人相手に商いをすることができました。
 天保2年(1831)の「商人買物独案内」を見ると、7軒の元結屋が掲載されていますが、その6軒までが当地に店を構えています。名前をあげると、

 吉文字屋平兵衛
 吉文字屋重助
 吉文字屋彦兵衛
 吉文字屋喜兵衛
 亀甲屋勘兵衛
 藤屋喜兵衛

 吉文字屋という屋号が多いですね。亀甲屋も名のある店です。
 そう思って、改めて「花洛名勝図会」を見てみると、大和橋南詰の2軒目の店が気になります。

「花洛名勝図会」より大和橋(部分)

 旅人が店を覗いているのですが、軒先に何やら吊るしてあります。

 「花洛名勝図会」より大和橋(部分)

 もしかして、この吊ってあるものが元結? とも思ったりします。
 江戸時代の元結の売り方を知らないので何ともいえないのですが、ひとつの想像ですね。
 

 現在の大和橋は、デザインも歴史的

 白川に架かる大和橋は、古くは木橋でしたが、享保17年(1732)、石橋に架け替えられました。明治初期には長さ8間4尺(約15m)、幅2間2尺5寸(約3.7m)だったそうで、現在よりも大きな橋だったことになります。
 明治末に白川の幅が狭くなったため、明治45年(1912)、橋も小さく架け替えられたようです。
 
大和橋
 
 現在の大和橋。2003年に改修されたものです。
 よく見ると、おもしろいことに気付きます。

「花洛名勝図会」より大和橋(部分)
 「花洛名勝図会」の大和橋(部分)

 高欄のデザインが、江戸時代の石橋のものを踏襲しているのですね。これは、なかなかお洒落です。
 小さな橋ですが、奈良につながるスタート地点と思えば、かなり雄大な橋ともいえるかも知れません。




 大和橋

 所在 京都市東山区元吉町ほか
 見学 自由
 交通 京阪電鉄祇園四条下車、徒歩約5分



 【参考文献】
 「再撰花洛名勝図会」1964年
 「商人買物独案内」1831年(『新撰京都叢書7』臨川書店、1984年 所収)
 日本歴史地名大系27『京都市の地名』平凡社、1979年
 『ビジュアル・ワイド 京都の大路小路』小学館、2003年 


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