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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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きょうの散歩 - 曼殊院門跡 - 2013.6.5 -





曼殊院


 梅雨のさなかとは思えないほど晴れ渡った暑い午後、カメラだけをぶら下げて曼殊院門跡へと歩きました。
 そこへ至る坂道は思いのほか急ですが、そう長くはありません。

 『京都散歩』より曼殊院へ行く道
 北尾鐐之助『京都散歩』より「曼殊院へ行く道」(1934年)

 私が歩いた同じ道とは思えませんが、80年前の曼殊院へ向かう道です。遠くに比叡山の影が姿を見せています。
 曼殊院を訪れた北尾鐐之助は、こんなふうに書いています。

 いつたい、曼殊院の門といふものは、ちかごろ開かれた事があるのか。
 あの、左右にずつと広い白壁を展げた宏荘な表門。その前に築かれた高い石段。それ等は半ばくづれかゝつて、人の踏み登つたやうな跡は殆んど見られない。
 幽静といふよりも、どこかに廃頽といふ感じがある。小門を押してみたが開きさうにもないので、私は冷々とした石段の苔の上に立つて、ひとり麓の畑から来る雲雀の声を聞いてゐた。(「曼殊院から山端」、『京都散歩』1934年所収)


 北尾鐐之助は、どちらかというとシニカルな人ですが、この頃の曼殊院は訪れる人もまばらで寂しかったのでしょう。
 
曼殊院

 80年後の門と石段は綺麗に整備されており、修学旅行生を乗せたタクシーが坂道を下っていきます。
 そう、曼殊院はいつ行ってもタクシーで訪れる人がとても多いのです。北尾鐐之助のひそみにならってシニカルにみれば、門跡寺院というその高貴さからか、拝観者もタクシー観光をする裕福な人が多いのかも知れません(ちょっと皮肉すぎますね)。

 北尾が訪れたとき、拝観受付の体制は整っておらず、たまたま台所門から出てきた「詰襟服の青年」に案内を乞うたのでした。いまでは600円を払えば誰でも拝観できます。
 もちろん、戦前から曼殊院門跡は著名でした。ガイドブックにも掲載されており、その書院や庫裏は北尾が訪問した数年後の昭和12年(1937)に旧国宝に指定されています。いずれも明暦2年(1656)の建築で、特に大書院と小書院は数寄屋風の意匠によって有名になりました。

『京都名勝誌』より曼殊院大書院
 大書院(『京都名勝誌』より)

 昭和3年(1928)刊の『京都名勝誌』 は、「明治五年に京都府立病院の建設さるゝや、勧募に応じて宸殿を寄附し、子坊の隨縁・法雲・恵明・静慮を本院に合併したれば、一時大いに衰頽せり」とあって、北尾鐐之助の印象に符合します。
 いま曼殊院に行くと、その宸殿の再建の計画が進められていることが、そこここに記されています。

『京都古建築』より曼殊院小書院
 小書院(藤原義一『京都古建築』より)
 
 大書院、小書院とも、戦前は瓦葺でしたが、現在は杮葺に戻されています。

 『京都古建築』より曼殊院小書院富士の間違棚
 小書院 富士の間の違棚(同上)

 曼殊院の書院は、このような違棚や襖障子の引手、釘隠し、あるいは欄間の意匠など、細かな見どころが数多くあります。ただ、私の印象では、長い間にいろいろと手が入っているのか、少々散漫な感じも受けるのです。でも、壁の赤い色彩は素敵ですね。

曼殊院

 今日は大した距離を歩いたわけではないのに、余りに暑かったせいか、少し疲れました。


  曼殊院 庫裏の額




 曼殊院門跡

 所在 京都市左京区一乗寺竹之内町
 拝観 大人600円ほか(茶室 八窓軒は拝観1000円)
 交通 市バス一乗寺清水町より、徒歩約20分



 【参考文献】
 北尾鐐之助『京都散歩』創元社、1934年
 藤原義一『京都古建築』桑名文星堂、1944年
 『京都名勝誌』京都市、1928年


 *おかげさまで、今回で連載100回目となりました。いつもお読みいただき、御礼申し上げます。



 
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コメント

大川の将棋島のことで

船越先生
 はじめまして
 このホームページは、引用文献もあって、視点が研究者視点であり、たいへん専門の学生には、すすめたいホームページです。
 私は近世の淀川流域の治水事業について勉強しています。
 以前大川の将棋島のことを先生は述べておられましたが、将棋島のことは中井二左衛門に関わる記録として門真町史、枚方市史(昭和26年)、大阪府全誌などに書かれた内容しか把握できていません。それ以外の参考文献などありますれば、お教え頂ければ幸甚です。

Re: 大川の将棋島のことで

 いつもご愛読ありがとうございます。
 将棋島については私も詳しくはないのですが、『将棊島誌』(将棊島水利組合、1936年)という文献があります。大阪府立中之島図書館や大阪市立中央図書館などに配架されていますので、一度これをご覧になったら如何でしょうか。
 取り急ぎお返事申し上げます。

     船越

御礼

早速勉強させて頂きます。ありがとうございました。
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