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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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京の町家・長江家住宅 - 表屋造の商家






長江家住宅


 火事の町 
                                                                   
 私が子供の頃、京都は火事が少ない町だと教えられていました。
 百万都市であるにもかかわらず、年に百にも満たない件数で、それは京都の人達にとってひとつの誇りになっていました。しかし、そういった防火の意識は、おそらくは何度も繰り返されてきた大火事の教訓ではなかったのでしょうか。

 18世紀以降も、享保15年(1730)の西陣焼け、天明8年(1788)の大火、そして幕末には元治の大火(1864)が起こり、その度毎に町は焼き払われました。
 京の町家というと、さぞかし古くから、と思われる向きもありますが、幕末の元治の大火によってその多くが焼亡したのですから、いま私達が見る町家のほとんどは明治以降のものということができます。



 表屋造

 幕末に著された『守貞謾稿』には、上方の住居の諸々が詳しく記されています。喜田川守貞は、間口が10間以上の大きな住居を「巨戸(きょこ)」と呼び、「巨戸は表と奥と二棟に建つるなり」といいます。これは分かりやすい説明で、表の店の部分と奥の住まいの部分が別棟になっていることを指しています。言葉で書かれても分かりづらいですが、写真や図で見れば一目瞭然でしょう。

清水猛商店

 これは、大阪の船場にある清水猛商店。左の3階建の建物は洋風で新しいが店の部分、右の2階建が住まいに当たります。この建物は間口は狭いですが『守貞謾稿』のいう形式を取っています。
 このような建て方の住居を「表屋造(おもてやづくり)」と呼びます。京阪では、よく見られる造りです。通りに面した部分が店舗、その奥に別棟の住まい、さらに庭を挟んで一番奥に蔵が建つ形を取ります。今回取り上げた長江家住宅も、そのひとつです。


 鉾町の商家

 長江家住宅は、近世以来の呉服商で下京区船鉾町にあります。この家も元治の大火で焼け、その後建て直されました。

長江家住宅

 この写真を見ると、右と左、別々の建物がひとつながりになっているのが分かるでしょう。右が北棟で慶応4年(1868)に建てられました。一方、左側は随分遅れて明治40年(1907)に建て増されたものです。北棟は、写真に写っている部分のみで表屋造ではなく、南棟が表屋造になっています。
 格子戸を開け、南棟の中に入ってみましょう。そこは土間、いわゆる「通り庭」になっており、右の座敷は店の部分になります。表の棟はこの部分だけで、進むと一旦外に出(いまは仮に屋根が掛かっている)、右を向くと玄関、ここが片流れの屋根を掛けた一棟となっており、玄関の間です。
 土間は真っ直ぐ奥へ続いており、暖簾をくぐると台所。壁に沿って、井戸・流し・竈(かまど)・戸棚が順に置かれています。流しは「はしり(走り)」と言い、竈は「へっつい」と言います。喜田川守貞は、竈口が3つある「三つへっつい」を紹介していますが、当家も三つへっついを据えています。

 私の母は戦前の生れですが、台所のことをやはり「はしり」と呼んでいました。別に鉾町の出でも何でもないのですが、京都の人は自然にそう言ったのです。子供の頃、「下駄隠し」の歌の一節を「柱の下のねずみが」と歌っていましたが、近年それが「はしりの下」であることを知って、大きく肯かされたのです。

 台所の右手の部屋は食事をする場になっています。それに続く部屋が奥の間で、灌木や石灯籠がある庭が望めます。
 庭を見ながら渡り廊下を伝っていくと、最も遅く(大正4年)に造られた化粧部屋とタイルが張られた風呂場があり、それに続いて蔵2棟が並んでいます。右の蔵は明治8年(1875)、左の新蔵は明治40年(1907)のものだそうです。右の蔵につながるように縁を回した瀟洒な離れ座敷が建ち(明治40年築)、あたかも庭が小宇宙のように眺められます。

 長江家は慶応年間から、敷地を買い足し、北棟、蔵、南棟・離れ座敷・新蔵、化粧部屋・風呂場と、大正期まで建て増しを行い、現在の形となりました。その変遷にも興味がわきますね。

 虫籠窓と格子の外観の中に、静謐で奥深い空間が広がっています。

虫籠窓 虫籠窓(むしこまど)



 長江家住宅(京都市指定文化財)

 *所在:京都市下京区新町通仏光寺上る船鉾町
 *見学:祇園祭の時期などに一般公開(有料)
 *交通:地下鉄四条より徒歩約5分 



 【参考文献】
 『京の住まい-地域の文化財としての民家-』京都市文化市民局文化部文化財保護課、1998年
 喜田川守貞『近世風俗志』岩波文庫、1996年
 日向進『近世京都の町・町家・町家大工』思文閣出版、1998年


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