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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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【駅から、ふらっと1時間】京阪・三条駅から東へ、三条通界隈を歩く(その3)~要法寺~

洛東




要法寺


 日蓮本宗の本山

 三条通を東に向かって進みます。

 三条周辺行程図

 南北に走る電車道(赤線)は、東大路通です。
 その少し手前、スタートの三条京阪から500m弱の地点に、こんな石標が立っています。

  要法寺石標

 日蓮本宗本山、要法寺。

 要法寺(ようぼうじ)は、鎌倉時代末に六条油小路に創建され、京都にあった法華宗二十一か寺のひとつとして勢力を張りました。
 天文法華の乱では堺に移りましたが、のち京都に戻り、豊臣秀吉の時代には寺町二条に寺地を構えました。
 江戸時代の宝永の大火(1708年)で類焼し、その後、鴨川の東の現在地に移っています(『京都市の地名』)。

 京都には、意外に日蓮宗の大寺が多いし、場所も頻繁に移転していて、要法寺もその典型に思われます。
 ちなみに、本能寺の変で有名な本能寺も日蓮宗ですし、たぶん次回訪れる頂妙寺も日蓮宗の大きなお寺です。
 日蓮宗では、その信仰の中心に法華経があり、「南無妙法蓮華経」という題目を唱えます。そのため、お寺の名前も「妙」や「法」のつくところが多いのです。京都で「妙」「法」のついた寺院に出会ったら、まずは “日蓮宗かな” と思ってみるといいですね。
 そう、大文字五山の送り火「妙法」も、もちろんこのことと関係があります。

 三条通からの導入路は、案外狭いです。

 要法寺への道

 進んで行くと、立派な四脚門があり、表門になっています。

 要法寺表門

 南面する表門。立派ですけれど、ここは閉ざされています。どうやら江戸時代から閉じられていたらしい。
 いまでは、便宜のためでしょう、この左の壁に穴門が穿ってあります。

 すぐに入ってもいいけれど、例えばこういうものを見るのも愉しいですね。

 高欄

 上部の水平材は鉾木(ほこぎ)と呼ぶのですが、それを支えている X形の材を握蓮(にぎりばす)と言います。元来はハスの形をしているわけですね。
 高欄の装飾によく見られる意匠ですが、もうハスじゃなくて別ものに変化していますね。こういうのもおもしろいです。
 あとで出て来る幕末の絵には描かれていないので、明治時代くらいに造られたものでしょう。場所柄、北白川あたりの石工の仕事かなと、勝手に想像したりします。


 池もある広い伽藍

 要法寺

 境内の東南隅から撮った写真。
 要法寺の全景写真は、なかなか難しく、撮れた人がいたら天才か魚眼レンズの持ち主ですね(笑)

 代わりに、幕末の「花洛名勝図会」(1864年)の絵図を紹介しておきましょう。

 花洛名勝図会1
  「花洛名勝図会」より「要法寺」

 右ページの端に表門がありますが、よく見ると柵で閉ざされています。「花洛名勝図会」の記述によると、ふだんは左ページの高麗門から入るようになっているそうです。図では「裏門」と書かれています。

 要法寺高麗門
  高麗門  西に向いて建っている

 中心部の拡大図です。

 花洛名勝図会

 ひときわ大きい本堂は、南面して建っています。
 その右に「新堂」と書かれているものがあって、現在の開山堂です。「花洛名勝図会」といった古い史料などには、お釈迦さんを祀る釈迦堂と記載されています。

 本堂の前には池があって、これは清涼池と呼ぶそうです。
 その左右に、鐘楼(右)と経蔵(左)があります。鐘楼は、袴腰のある背の高い典型的なスタイル。経蔵は、宝形造の屋根をした土蔵で、これもよく見るタイプですね。
 鐘楼は先ほどの写真に写っていますが、経蔵は今はありません。明治中期には、すでに山内の西端に移動していたようです。

 経蔵の左側には、手水舎があり、要法水などと呼ばれていたようですが、こちらも現在はありません。


 本堂を見る 

 本堂は、大きいですよね。桁行五間、梁間五間、江戸中期の建物です。
 非常に背が高い印象。江戸時代の仏堂らしい感じです。

 要法寺本堂
  要法寺本堂

 扉などを見てみるのも、おもしろいですね。

 本堂正面扉
 
 正面の五間は、フォールディングタイプ、つまり両折の桟唐戸(さんからど)になっています。桟などもガッチリしていて、大ぶりな造りです。
 
 本堂側面扉

 一方、側面には、横桟のある引き戸、舞良戸(まいらど)がはまっています。ちょっと簡素化したわけです。四間は舞良戸ですが、最後の五間目は花頭窓にしています(写真には写っていませんが)。上部は、菱格子でオシャレですね。

 昔、棟に上げられていた鬼瓦が、客殿の前に置かれています。明和8年(1771)の銘があるそうです。

 鬼瓦

 ちなみに、その横には立派な手水鉢があって、これは「花洛名勝図会」にみえる高麗門内にあったものなのでしょうか?

 手水鉢

 こちらは、寛保2年(1742)寄進と刻まれています。

 さらに、本堂の裏に回ってみました。

 本堂背面

 後ろにも、ちゃんとした向拝と扉がある近世仏堂らしい雰囲気です。
 どうしても気になるのが、樋の雨水を受ける天水桶。花崗岩で造られていて、左右一対です。

 天水桶

 正面には鶴丸の紋。
 少し丸みを帯びた造作で、きっちり脚も付いています。

 天水桶背面

 裏側を見てみると、明治27年(1894)5月に、大阪・蓮興寺の檀越・松原八重野という女性が寄進したことが分かります。
 もう一方の裏には、開山・日尊上人の550年遠忌に際して、ご先祖の菩提を弔うために造ったと記されています。日尊は、康永4年(1345)に没していますから、年も合います。

 1894年というと、歴史の教科書では日清戦争が勃発した年、ということになっています。
 でも、このお寺では、開山の遠忌が執り行われ、全国から大勢の信徒がやってきたことでしょう。そのさまをイメージするのもおもしろいです。

 私は、ここに刻まれた蓮興寺というお寺が気になって、帰ってから調べてみました。
 大阪市北区末広町にある要法寺の末寺で、大塩平八郎が出た大塩家の菩提寺として知られているようです。
 京都には本山寺院が多いので、大阪をはじめ各地の末寺から寄進が行われることも多く、お詣りしていると出会うこともよくあります。

 こういう石造物や奉納物を見るのは愉しいですよね。
 いろいろと想像が拡がりますし、調べると意外なつながりが分かったりもします。調べが付かないことも多いのですが、それもまた一興。昔の信仰の様子をうかがえる存在です。


 池と垣 

 本堂の前には、清涼池と称される四角い池があります。

 清涼池と本堂

 清涼池

 架かっている石橋は、救済橋というそうで、確かに親柱に「救済」の2文字が刻まれています。

 救済橋

 私が気になるのは、またしても石造物で、池を囲う垣です。
 上の写真にもあるように、小さな石製の柱を鉄棒でつないでいます。

 このひとつひとつに寄進者の名前が記されているのです。

 玉垣

 よく見ると、「大阪 中井○○」とあるでしょう。たぶん中井さん一族が各人の名前で寄進しているわけですね。
 
 玉垣

 別の箇所ですが、「大阪 津田○○」とありますね。こちらも一族ですね。

 四周ひとつ残らず見たのですが、全部大阪なんですよ!
 
 おそらく、先ほどの蓮興寺のような大阪の末寺の檀徒さんたちが、集団的に寄進したのではないでしょうか。

 要法寺のウェブサイトに掲載されている明治26年(1893)の全景図には、この垣は描かれています。
「大坂」でなく「大阪」と書いていることから、まずは近代のもので、明治時代の前半に建てられたものだと考えられるでしょう。

 参考までに、大阪で要法寺末の日蓮本宗の寺院がどれぐらいあるか、調べてみました。
『大阪府宗教法人名簿(平成3年版)』によると、大阪市内では蓮興寺、圓頓寺など5か寺、府内に2か寺あるということです。

 そんな感じで、いろいろ愉しめる要法寺。
 本堂の左には、江戸後期の開山堂もあります。

 本堂と開山堂

 要法寺開山堂

 天保頃のもののようですが、裳階(もこし)が付いた一見二階建風の造りで、背が高い建物です。
 正面の唐破風も、時代を感じさせますね。

 ということで、要法寺だけでも1時間くらい掛かりそう(笑) 
 全体を1時間でという企画に違反しますので、急いで次に歩を進めることにしましょう。


(この項、つづく)




 要法寺

 所在  京都市左京区法皇寺町
 拝観  自由
 交通  京阪「三条」下車、徒歩約10分



 【参考文献】
 「花洛名勝図会」1864年
 『日本歴史地名大系 京都市の地名』平凡社、1979年
 三好貞司編『大阪史蹟辞典』清文堂出版、1986年
 『大阪府宗教法人名簿』大阪府宗教連盟、1991年



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