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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

ARCHIVE

新緑のゴールデンウイークにおすすめの京都名所(2)

宇治




萬福寺三門


 3.新緑の宇治・三室戸寺、萬福寺

 ゴールデンウィークにオススメの京都名所。
 それも、あまり混雑していないところを、という欲張りな案内の第2回。
 
 どうしても中心部は混み合っているということで、今回は周辺部を紹介してみましょう。

 まずは、宇治!

 宇治と言えば、平等院鳳凰堂だと思うのですが、あえて違うところで。

 三室戸寺
  三室戸寺

 三室戸寺(みむろとじ)です。
 西国三十三所の第十番札所。

 観光寺院というわけではないのですが、札所だけあってふだんから参拝者は訪れています。
 京阪電車「三室戸」駅から、徒歩で約15分。ほどよい散歩道です。クルマの方も、駐車場完備。

 私は、江戸後期の本堂が好きで、いつも奉納された額などを眺めて時間を過ごすのですね。

 三室戸寺の奉納額

 ゴールデンウィーク中にオススメなのは、ツツジの花。
 平戸ツツジが、ちょうど満開の時期なのだそうです。

 三室戸寺を参拝したあとは、北にある萬福寺(まんぷくじ)へ。
 電車の駅に戻るのはかえって面倒なので、昔の巡礼道を20~30分歩いて行くことをお薦めします(約2km)。

 萬福寺総門
  萬福寺 総門

 中国風の総門を開く萬福寺。
 中国・黄檗山の高僧であった隠元禅師が、江戸前期に来日して開いた黄檗宗の寺院です。

 萬福寺扁額 扁額は隠元の揮毫

 「山門を出ずれば日本ぞ 茶摘み唄」という句も詠まれたくらい、山内は中国風です。そんな異国情緒をぜひ味わってください。

 萬福寺開山堂
  開山堂

 反りのある屋根。
 達筆な文字が書かれた聯(れん)と額がかかります。

 卍崩し

 卍崩しの勾欄(こうらん)。

 桃の開き戸

 桃の絵があしらわれた桃戸。
 
 萬福寺伽藍

 アーチ状になった蛇腹天井。

 萬福寺三門礎盤

 柱の下部には、太鼓のような石の礎盤。

 いずれも中国風のものです。
 そして、とても有名な……

 魚梆

 魚の形をした、時を告げる板・魚梆(ぎょほう)。開梆(かいぱん)などとも言います。
 眠らないとされる魚をモチーフにしていて、謹厳な禅寺らしい意匠ですね。


 <プラスアルファで…>

 萬福寺の北隣りにある塔頭・宝蔵院。
 鉄眼禅師が心血そそいで開板された一切経(重文)の板木6万枚が保管されています。
 板木(はんぎ)は、いわば印刷のための原版ですね。板に木彫したものです。
 桜の板で出来た板木は、現在でも刷ることができます。経文の書体は、中国・明(ミン)からもたらされた明朝体。

 足を延ばして拝観させていただきましょう。

 
 4.御室の仁和寺を訪ねて

 京都市内の西の方と言えば、金閣寺から龍安寺にかけて参拝客が多く、西端の嵐山も観光客でごった返しますね。
 でも、その中間地帯は、意外に穴場です。

 臨済宗の禅寺・妙心寺、弥勒菩薩で著名な太秦の広隆寺、そして桜の名所として知られる御室の仁和寺。
 いずれもオススメですが、ここでは仁和寺をピックアップ。

 仁和寺(にんなじ)は、平安時代の仁和4年(888)に宇多天皇のときに創建されました。仁和寺と称するゆえんです。
 
 仁和寺山門
  仁和寺 二王門(山門、重文)

 この二王門は、通りに面していた目立ちますよね。でも、いつも門前にタクシーが停まっていて写真を撮るのに難渋します……
 江戸前期のものだけれど、迫力十分です。

 仁和寺は、御所の紫宸殿を移築した金堂が国宝、五重塔や観音堂、経蔵、中門など多数の重要文化財を擁し、建築の宝庫です。

 仁和寺金堂
  金堂(国宝)

 仁和寺五重塔 五重塔(重文)

 私がオススメなのは、勅使門です。
 近代のものですが、亀岡末吉という建築家が設計した作品です。

 仁和寺勅使門
  勅使門

 亀岡末吉は、明治末から大正期に京都で活躍した府の技師です。
 再建や増築される寺院などの建築を手がけました。寺社建築ですが、復古的な、あるいは近代的なデザイン感覚を生かして設計しました。

 仁和寺勅使門の蟇股等

 この門も、細部は絢爛です。
 太瓶束の左右に鳳凰を彫刻するなど、過剰なまでの彫り物ぶり。

 透彫り

 切り紙のような扉の透し彫り。
 この美しさには、息を飲みます。

 二王門を入って、左手の本坊エリアに開かれた門です。
 見落とさずに、ご覧くださいね。

<プラスアルファで…>

 やはり、妙心寺を訪ねたいですね。
 仁和寺からは意外に近く、妙心寺の北門までは徒歩10分ほど(約700m)。
 市内の禅寺としては珍しく、ふだんから法堂や浴室(明智風呂)の内部が拝観できます。


 5.先斗町歌舞練場で「鴨川をどり」

 最後は、ちょっと混むかも知れないけれど、5月らしいところで。

 先斗町

 京都で、花街の季節の踊りと言えば、祇園甲部の「都をどり」が最も有名でしょうか。
 それが終わり5月の声を聞くと、先斗町で「鴨川をどり」が始まります。

 今年は、第179回。5月1日から24日まで、1日3回公演です。
 明治5年(1872)から開催されてきた由緒ある花街の踊り。

 ちょっとお手軽な2階席から、のぞき込むようにして見る鴨川をどりが、私は好きです。

 好きと言えば、この歌舞練場の建物が好きなのです。

 先斗町歌舞練場
  先斗町歌舞練場(鴨川側から望む)

 劇場建築の名手と言われる大林組の木村得三郎の設計。昭和2年(1927)の竣工ですが、古びた感じは全然しません。
 木村は、祇園甲部の弥栄(やさか)会館や、大阪の松竹座などを手掛けています。屋根のデザインや、タイル、テラコッタ(陶板)の使い方がうまいですね。

 先斗町歌舞練場は、とりわけ、さまざまな種類のタイルやテラコッタが見ものです。

 先斗町歌舞練場のタイル

 こじんまりとした劇場内空間とあわせて、楽しんでみたいですね。
 
 <プラスアルファで…>

 先斗町歌舞練場から歩いて5分ほど。
 高瀬川沿いの木屋町蛸薬師下ルに元・立誠(りっせい)小学校があります。
 小学校としては20年以上前に閉校したのですが、現在は「立誠シネマ」などとして映画上映等で活用されています。

 建物は、先斗町歌舞練場とほぼ同じ昭和3年(1928)竣工。
 映画を見ながら、モダン空間を体験してみては?




 三室戸寺

 所在  京都府宇治市兎道滋賀谷
 拝観  大人500円ほか
 交通  京阪「三室戸」下車、徒歩約15分

 萬福寺

 所在  京都府宇治市五ケ庄三番割
 拝観  大人500円ほか
 交通  JR、京阪「黄檗」下車、徒歩約5分

 仁和寺

 所在  京都市右京区御室大内
 拝観  境内自由(御殿などは有料)
 交通  嵐電「御室仁和寺」下車、徒歩約2分

 先斗町歌舞練場

 所在  京都市中京区先斗町通三条下ル
 見学  外観自由
     鴨川をどりは、普通席2,300円ほか
 交通  京阪「三条」下車、徒歩約5分


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新緑のゴールデンウイークにおすすめの京都名所(1)





鞍馬山遠景


 オススメの名所 5選

 今年のゴールデンウイークは、2日休暇を取れば10連休! ということで、長いお休みの方もおられることでしょう。

 そこで、京都に行こう! と思っても、最近はどこへ行っても混雑していますね。

 清水寺から三年坂、八坂神社から四条通、新京極から錦市場、金閣寺から龍安寺…… 有名どころは、どこも人、人、人。
 最近は、特に錦市場の人気がアップしてきたようで、先日も四条通を歩いていたら、修学旅行の中学生に「錦市場はどこですか?」と尋ねられてしまいました。

 そんななか、今回は “空いているオススメ名所” を紹介してみましょう!
 5か所ピックアップしてみました。


 1.新緑が美しい山里・鞍馬

 鞍馬寺

 まず最初は、鞍馬(くらま)です!

 京阪電車の終点「出町柳」から、叡山電車に乗り換えて、そのまた終点「鞍馬」まで。ちょうど30分の小旅行です。

 京都市内(左京区)なのですが、ほんとうの山里です。
 かつては、遠く日本海側へと通じる街道筋にある村だった鞍馬は、平安京の北の護りとして鞍馬寺が開かれていました。

 鞍馬寺

 鞍馬では、まず駅を降りて、この山里感を味わってください。
 そして、門前の土産物店には、名物の「木の芽煮(きのめだき)」。

 山門をくぐって進むと、「枕草子」にも登場する九十九折(つづらおり)の坂道が待ち構えています。
 現在、ケーブルカーは工事中なので(2016年5月末までの予定)、千年前に思いをはせて、この山道を登って行きましょう。山上の本殿金堂までは約30分なので、由岐神社の割拝殿や義経供養塔などを見ながら、休憩しつつ進むといいですね。

 木の根道
  木の根道

 さらにオススメは、奥の院への道。

 まず、必ず「霊宝殿」(宝物館)を訪ねましょう!
 鞍馬山は、毘沙門天の山。重要文化財の毘沙門天立像を始め、何躯もの毘沙門天に出会うことができます。鞍馬に来て、毘沙門さんを拝まずに帰るのはもったいない。

 そのあと、ゆっくり「木の根道」を歩きます。
 地面から木の根が露出した雰囲気から、こう呼ばれます。

 運が良ければ、こんなことも!

 鞍馬山

 本当の自然ですね。

 鞍馬山の重要な場所、魔王殿を参拝すると、貴船神社方面へ下ることができます。

 鞍馬寺魔王殿
  魔王殿

 下り道も、およそ30分みておけばよいでしょう。
 山道ですが、手すりの付いている部分もあります。

 貴船神社は、近年では水占いが人気!

 貴船神社
  貴船神社

 ここは、少し混んでいるかも知れませんね。

 貴船神社をお参りすると、バスまたは徒歩で、叡山電車「貴船」駅へ。
 ちなみに、5月1日からは、貴船の料理屋さんで「川床」が始まるので、納涼気分に浸って舌鼓を打つこともできますが、これも混雑が予想されます。

 人混みはいや、という方は、鞍馬山・魔王殿から引き返すのも一案かも知れません。貴船は、ちょっと観光スポット化しているようです。

 <プラスアルファで…>

 終点「鞍馬」の2つ手前の駅、「二ノ瀬」で下車してみましょう。「出町柳」から25分です。
 乗降客も少ない無人駅。

 自然豊かな山村風景が広がっています。

 二ノ瀬の集落
  二ノ瀬

 ここから、鞍馬街道をのんびりと歩きます。
 鬼一法眼の古跡や十王堂など歴史の味わいもあり、緑もふんだんにあります。

 鞍馬街道
  鞍馬街道

 「二ノ瀬」駅から鞍馬寺まで、約2km。30分ほどの道程です。

 鞍馬本町の町並みも含めて、プラス1時間で、洛北ならではのゆったりした時間が過ごせるでしょう。


 2.青もみじの東福寺へ 

 東福寺三門

 2か所目は、臨済宗の名刹・東福寺。

 東大寺と興福寺から1文字ずつ取って名づけられた東福寺は、京都の禅寺の中でも古式ゆかしい仏堂が拝見できるお寺です。
 観光的には、秋の紅葉が有名ですよね。

 ということは、春には「青もみじ」が楽しめるということです!

 東福寺通天橋

 この写真は秋の風景ですけれど、これが薄緑に染まってみずみずしい色彩に変わります。 
 秋は超満員ですけれど、春はオススメですね。

 もちろん、青もみじだけではない東福寺。禅寺らしい伽藍が見どころです。
 かつて、大徳寺の「茶づら」、妙心寺の「算盤づら」に対して、「伽藍づら」と称されたほど、建物群は立派なものです。
 鎌倉時代から室町時代にかけての諸堂や門の多くは、国宝・重要文化財に指定されています。

 東福寺選仏場
  禅堂(選仏場、重文)

 いま思い付いた格言として、“いいお寺には、いい門がある” という言葉。
 どうでしょう?

 最初の写真の三門(国宝)は、男前ぶりが際立ちます。
 素軽いフォルムの月華門(月下門、重文)や、六波羅から移されたと伝えられる六波羅門(重文)など、目立たないけれど優れた門が目白押しです。

 東福寺月華門
  月華門(月下門)

 垂木がない桧皮葺の屋根。
 なんとも言えませんね。

 東福寺六波羅門
  六波羅門

 控柱のある棟門ですけれど、素朴ですよね。
 あきない味わいがあるんです。

 このほかにも、二王門(重文)をはじめ、方丈の恩賜門や、北・中・南の各大門(いずれも府指定)など、見どころ満載です。

 <プラスアルファで…>

 今季は、やはり京都国立博物館の特別展「禅」をあわせて(5月22日まで)。
 歩くのが苦にならない方なら、泉涌寺や智積院に寄りながら、京博へ行くのもよいかも。

 また、裏技的な東福寺の拝観法としては、京阪「鳥羽街道」で下車して北上し、南大門 ⇒ 六波羅門 ⇒ 三門 と見ていくルートがあります。私は「東福寺」駅下車より、こちらがオススメです。

 あと3か所は、次回に紹介します!


 (この項、つづく)




 鞍馬寺

 所在  京都市左京区鞍馬本町
 拝観  入山有料(300円)、霊宝殿は200円
 交通  叡電「鞍馬」下車、徒歩すぐ

 東福寺

 所在  京都市東山区本町
 拝観  境内自由(通天橋・開山堂400円、本坊庭園400円ほか)
 交通  JR、京阪「東福寺」下車、徒歩約10分



過去の記事の落穂拾い第2弾は、吉田・新長谷寺跡のかつての住人について

洛東




新長谷寺跡


 吉田神社の新長谷寺跡

 長い間、ブログを連載していると、思わぬところで過去の記事に関する発見があるものです。
 先日は、「いけ吉」について紹介しましたね。

 記事は、こちら! ⇒ <以前の記事の落穂拾い的に「いけ吉」について調べてみた>

 今回は、昨年(2015年)8月の記事、<吉田神社の境内には、奈良・長谷寺の観音さまを写した“新”長谷寺があった - けれど、いったいどこに? ー>(←クリックすると開きます) についての “新発見” です。

 前回内容を要約すると、昔の名所図会をみると吉田神社には「新長谷寺」という寺があったらしい。いま現地を訪ねてみると、南参道に立派な石垣や灯籠が残されており、これが新長谷寺の痕跡である。そして新長谷寺は、明治維新後、真如堂の境内に移築された--というものです。

 「花洛名勝図会」より「春日社・新長谷寺」
  「花洛名所図会」(1864年)にみえる新長谷寺

 新長谷寺跡
  新長谷寺跡(2015年8月)

 前回記事の中で、その石垣上に建つお宅の方が出て来られたので話を聞いた、というくだりがあります。

 こんなふうに、あたりを観察していると、この石垣の上に住んでいる方が偶然出てこられました。 
 思い切って、「こちらは、昔“新長谷寺”があったところでしょうか?」と尋ねてみました。
 すると、なんなく、そうですという返事。
 詳しく聞いていくと、かつて長谷寺があった場所は、のち民家が建っていたが、30年ほど前に分割され、現在では2軒の家が建っているといいます。
 もともと石垣に上がる道(つまり昔の新長谷寺の石段)は、西隣の学生アパートの道になるそうです。


 ここで疑問のまま残っていたのが、30年ほど前に分割される以前の居宅のことでした。


 新聞記事に……

 昭和初期から終戦直後頃の様子がうかがえる「京都市明細図」を見ると、吉田神社南参道にある新長谷寺跡地には、1軒の邸宅が建っていることが分かります。現在ここが2軒の住宅になっています。
 その裏(北側)は、いまは学生アパートが建っていますが、当時は空地だったようです。

 そんな新長谷寺跡。
 いつだったか、マイクロリーダーで新聞記事を見ているさなか、こんな記事に出食わしました。
 大正2年(1913)11月13日付の京都日出新聞です(適宜改行しています)。

●超然たる内田博士
 京大文科教授内田銀蔵博士は、明治二十九年東大文科の国史科を主席で卒業した秀才で、同年の国史科出身には彼[か]の黒板、喜田両博士もある、
 博士は今や京大文科に国史を講じつゝあるが其[その]潔癖は大学内でも評判にて教室の扉を開くに引手を握らず、人の接触せざる部分を母指を以て強く押し開くを常として居る


 なんだか笑えるような出だしの記事ですね。
 文中の「黒板、喜田両博士」とは、日本史研究の大家・黒板勝美(くろいたかつみ)と喜田貞吉(きたさだきち)を指しています。内田銀蔵はその両名と同期のうえ、彼らに抜きん出て首席で東大国史科を卒業したというのです。

  内田銀蔵 内田銀蔵(「藝文」10-8)

 内田銀蔵は、明治5年(1872)、東京に生まれ、帝国大学文科大学(現・東大)で国史を学び、のち東京帝大文科大学の講師に着任、日本経済史を講じました。学位論文は「徳川時代特に其中世以後に於ける外国金銀の輸入」です。
 外遊後の明治39年(1906)、京都帝大に文科大学が設けられるにあたり、その教授になり、京大の史学科創設に貢献しました。明治40年に開講された国史学講座では、史学研究法や国史概論を講義しています。

 つまり、日本史研究の黎明期のエリートで、京大国史の恩人ということになりますね。京大出身の人の話によると、現在でも、京大には内田銀蔵の肖像が掲げられているそうです。

 日出新聞の記事には、内田博士は「学問に忠実なること類ひ稀で非常の勉強家であるが、夫[そ]れ丈[だ]け実生活とは没交渉で超然たるものがある」と、博士の浮世離れした学者ぶりを紹介しています。
 あるとき苦学生に対し、「家庭教師になったらどうだ、一日二時間くらい教えれば相当な収入になる」と言ったそうです。後日、学生らが博士を訪ねて家庭教師の紹介を頼むと、「あれは僕の理想を話したのだ、実際問題を僕のところへ持ち込まれては困る」と述べたそうです。
 大学教授って超然としているよね、ということをおもしろおかしく書いた記事ですね。
 内田博士は、実直で潔癖な性格だったので、当時の新聞などにその逸話がよく取り上げられていたそうです。

 でも、私を引き付けたのは、そこではないのです。
 実に興味深い事実が、この記事には書かれていたのでした。

▲博士の邸宅は吉田神社麓の高地に恰[あたか]も城廓の如く石垣高く築きたる一構[ひとかまえ]が夫[そ]れであつて、客室は京都市街を一眸[いちぼう]の裡に眺むべく卓を中央に椅子三脚整然として一糸乱れずといふ風である

 どうでしょう、この「吉田神社麓の高地に恰も城廓の如く石垣高く築きたる一構」という記述。
 あの新長谷寺跡の石垣が、これではないでしょうか?

 そこで別の資料を見てみると、内田博士の自邸は吉田上大路町とあります。まさに、この場所の町名です。上大路町には他に城郭の如き邸宅はないでしょうから、ここに博士が住んでいたとみて間違いないでしょう。

 新長谷寺跡
  かつての内田博士邸(右の石垣上)

 意外なところから、かつての住人が判明しましたね。

 内田銀蔵博士は、この記事が出た6年後の大正8年7月11日、研究室で吐血し、その11日後、48歳で急逝されます。胃の病気だったそうです。市内妙満寺で行われた密葬には、東京帝大文学部を代表して黒板博士も会葬されたといいます。
 京都帝大の雑誌「藝文」同年8月号には、喜田博士や三浦周行博士、浜田青陵博士をはじめ、多くの人々が思い出を寄せています。

 墓所は、東京都足立区綾瀬の清亮寺にあるそうです。




 新長谷寺跡(吉田神社)

 所在  京都市左京区吉田上大路町
 見学  外観自由(個人宅ですのでご配慮ください)
 交通  市バス「京大正門前」下車、徒歩約8分



 【参考文献】
 『国史大辞典』吉川弘文館
 「内田銀蔵博士訃」「故内田博士追想録」(「藝文」10-8、1919年)
 「京都市明細図」京都府立総合資料館蔵


東寺の見どころ、国宝・重文建築をたどってみると……





東寺慶賀門


 東寺ツアーのコースを紹介

 先日、ある団体に依頼されて、東寺の見学会に行ってきました。
 “国宝建築を見る” というコンセプトなので、国宝・重要文化財の建造物を順々に見ていったのです。
 なんといっても、東寺は国宝・重文建築の宝庫! みなさんのご見学の参考に、当日のコースを紹介してみましょう。

 集合は、京都駅。
 そこから東寺へは、徒歩15分くらいです。

 途中、伏見稲荷大社御旅所や綜芸種智院跡碑のある西福寺などを見ながら歩きます

 そして、入口は慶賀門(けいがもん)。

 慶賀門
  慶賀門(重文)

 東寺の門は、多くが重要文化財で、蓮花門が国宝です。移築された南大門を除くと、北=北大門、東北=慶賀門、東南=東大門(不開門)、西=蓮花門は、いずれも鎌倉時代の建造です。プロポーションを見ると、背が低く、ぺたっとしているのが特徴です。

 北大門
  平たい東寺の門(北大門)
 
 八脚門なのですが、屋根の勾配がゆるく、平たいですよね。美しいです。

 さらに見ておきたいのが、側面に付いている懸魚(げぎょ)です。

 慶賀門の懸魚

 屋根から同じパーツが4つぶらさがっているのが見えますね(右端の1つは隠れています)。
 これが懸魚です。

 ふつうは、一番上、△の交点(拝み)に付いているものを懸魚と呼び、下のものは桁隠し(けたかくし)などと呼ばれます。
 水平材である桁(けた)の小口を保護するパーツです。
 
 実用に加え、さまざまなデザインの懸魚が生まれ、目を楽しませてくれます。
 東寺の懸魚は、この形のものが多く用いられています。本物の魚のようにも見える形で、とても珍しく他寺では見られません。


 平安時代の校倉も

 東寺で一番古い建物が、宝蔵です。校倉造(あぜくらづくり)になっています。

 校倉
  宝蔵(重文)

 もとは南北2棟あったのですが、長宝2年(1000)の火災で焼け、その後に再建されました。
 約1000年前の建物ということになり、京都市内の建造物のなかでも古い部類に属します。
 これは西側から見た写真。扉は南側に付いています。

 このあと、北に向かって、北大門を見ます。

 北大門
  北大門(重文)

 ここは人通りも少ないので、じっくり見学できます。
 門の構造などを見るのに好適です。

 例えば、扉。

 北大門の唐居敷

 門や倉庫の扉は、基本的に内開きです。
 扉は、上部は長押などに取り付けますが、下部は写真のような部分に取り付けます。
 これを唐居敷(からいしき)と言います。こちらのように石製が多いでしょうか。

 建物も、このような部分を細かく見ていくと、おもしろいですね。


 池傍の弁天堂も

 北大門のずっと北には、北総門があります。今回は遠いので(笑)、遠望で済ませました。

 北大門の北には堀があり、そこを渡ると子院の観智院があります。

 観智院客殿
  観智院客殿(国宝)

 ふだんは非公開。この日も塀越しに見ました……

 この客殿が国宝です。17世紀初めの書院造で、書院造の成り立ちを勉強するには好適な建物です。寝殿造の名残りとも言える中門廊もあります。

 少し前まで屋根は銅板葺でしたが、杮葺(こけらぶき)に替えられたようですね。
 どうやら昨年(2015年)まで修理工事していたようです。

 観智院の南側には、太元堂があり、橋を南に渡ると、弁天堂が建っています。

 弁天堂
  弁天堂

 小さなお堂ですが、江戸後期の天保年間に造られたそうです。ただ、向拝などは明治以降の増築という雰囲気もあり、彫刻なども幕末・明治っぽい印象です。
 あ、ここはもちろん、国宝でも重文でもありません(笑)

 弁天堂彫刻

 玉眼が入った獅子の彫刻。
 時代の好みを感じさせますね。

 池の畔には弁天さんがつきものですが、東寺でも私が好きなゾーンです。


 有料ゾーンは金堂、講堂、五重塔

 今回の見学会は、柵に囲まれた有料ゾーンにも入りました。
 建物見学だけストイックに行うなら、オール無料で十分です。でも、仏像が見たい方はお金を払わないといけません。

 金堂
  金堂(国宝)

 講堂
  講堂(重文)

 金堂(南)と講堂(北)の間に立って、両建築を見比べてもらいます。

 どちらが古いと思いますか?

 意外に、こういうことは分からないですよね。
 金堂は、豊臣秀頼が大檀那になって造営しました。一方、講堂は室町時代の建立です。
 つまり、朱塗りの講堂の方が古いわけですね。

 金堂は、大仏様(だいぶつよう)という建築様式をベースに、和様(わよう)を加味して建築されています。

  金堂の挿肘木 挿肘木

 大仏様の特徴のひとつに、上の写真、挿肘木(さしひじき)があります。柱に直接肘木を差し込んでいるやり方ですね。
 組物を見ていっても、和様とは随分違いがあります。もちろん、堂内に入ると、天井が高くて迫力ですね。

 ただ下層(1階に見えるところ)は、長押(なげし)を使っていたりして、和様ふうなんです。このミックスぶりもおもしろいです(窓の上下にあるヨコの部材が長押)。

 金堂初層

 あと、五重塔は、さらっとですね(笑)
 特別公開では、初層の中に入れます。

  五重塔 五重塔(国宝)


 弘法大師をしのぶ御影堂

 有料ゾーンを出ると、目の前にこんな建物があります。

 食堂
  食堂

 いつ建てられたんでしょうか? などと聞いてみます。

 こちらも和様ですけれど、実は新しく……
 昭和8年(1933)なんですね。現代の再建です。そう思って見ると、柱の木とか、かなり細くて力強さに欠けますよね。

 そのあと、こちらの門を見てください。

 小子坊勅使門
 小子坊 勅使門

 小子坊(こしぼう)の勅使門です。
 こちらも近代のものなのですが(大正か昭和初期)、全体のフォルムもディテールも、とても繊細で美しい門です。
 京都府技師の安間立雄の設計だそうですが、明治時代から大正時代にかけての京都府技師のセンスとレベルをいかんなく発揮しています。
 指定されていない優品です。

 さてラストに近付きました。
 西院のエリアにある御影堂です。

 御影堂後堂
  御影堂(後堂) (国宝)

 南北朝時代(1380-90)に造られました。
 もともとこちらには弘法大師の住房があったところで、のちにそのスタイルを引き継いで再建したのが、いまの御影堂です。
 組物もなく、開口部も蔀戸(しとみど)になっていたりして、住宅風です。

  御影堂中門

 これは堂の西北に付けられた中門なんですけれど、寝殿造などに見られるもので、古式ゆかしいですね。

 ここまで見て、西の境外に出ます。
 歩道をまっすぐ南下すると、国宝の蓮花門があります。

 蓮花門
  蓮花門(国宝)

 鎌倉時代です。

 そしてさらに、南へ回り込んで南大門。

 南大門
  南大門(重文)

 これは豊臣時代のもので、もとは方広寺の西門でした。三十三間堂の西門といってもよいかも知れませんが、現在の京都国立博物館と三十三間堂の間にあったものです。
 そのため、三十三間堂の南大門(重文)の兄弟になります。
 明治28年(1895)に現在地に移築されました。

 ということで、以上で見学終了です。
 先日は2時間ほどで回ったのですが、ちょっと無理でした(笑)

 みなさんが、このコースで見られる場合、3時間は覚悟? しておいた方がよいでしょう。
 仏像大好きの方は、プラスアルファが必要かも。
 逆に、仏像抜き=有料ゾーンに入らないのであれば、2時間で見られそうですね。

 東寺はJR京都駅にも近く、国宝・重要文化財が目白押しのうえ、宝物館もあります。
 平安京の時代以来の古いお寺。京都を訪れたら、ぜひ行ってみたいお寺ですね。




 東寺(教王護国寺)

 所在  京都市南区九条町
 拝観  境内自由(金堂・講堂内などは有料)
 交通  近鉄「東寺」下車、徒歩約10分



 【参考文献】
 『東寺の建造物』東寺宝物館、1995年


【大学の窓】京都で歴史を学ぶ大学生の出身地 2016

大学の窓




京都御所の桜


 2016年の傾向をさぐる

 新学期が始まり、キャンパスに学生があふれる(仮称)上京大学。

 毎週1回、ここに非常勤講師として出講しています。
 日本史専攻の1回生を担当しているので、毎年学生の自己紹介を聞きながら、その出身地をリサーチしています。
 今年は、集計4年目。

 果たして、どんな傾向が ! ?

 左が今年、その右が2015年、2014年とつづき、右端が2013年の人数です。

 【北海道・東北】 4名-2名-3名-3名
  北海道 2-2-2-1
  岩手  0-0-0-1
  山形  0-0-1-0
  宮城  1-0-0-0
  福島  1-0-0-1
 【関東・甲信越】 15名-7名-7名-11名
  群馬  1-1-0-1
  栃木  0-1-1-0
  茨城  1-0-0-1
  埼玉  1-1-0-0
  千葉  2-0-0-1
  東京  1-1-1-1
  神奈川 4-0-1-1
  山梨  0-0-0-1
  新潟  0-0-1-1
  長野  1-1-2-2
  富山  0-1-0-0
  石川  1-0-0-0
  福井  3-1-1-0
 【東海】 5名-6名-9名-11名
  静岡  2-0-5-2
  岐阜  2-0-1-2
  愛知  1-5-2-6
  三重  0-1-1-1
 【関西】 23名-42名-31名-28名
  滋賀  5-2-3-2
  京都  6-7-6-6
  大阪  7-14-13-10
  奈良  1-6-1-2
  兵庫  4-11-8-8
  和歌山 0-2-0-0
 【中国・四国】 9名-9名-8名-8名
  岡山  2-0-1-2
  広島  5-4-3-2
  鳥取  0-1-1-0
  山口  0-0-1-1
  香川  1-0-0-1
  愛媛  1-1-1-1
  高知  0-3-1-1
 【九州】 9名-3名-7名-10名
  福岡  7-1-3-6
  佐賀  1-0-0-0
  大分  0-1-1-2
  長崎  0-0-0-1
  熊本  0-0-2-1
  鹿児島 0-1-1-0
  沖縄  1-0-0-0
 【海外】 1名-4名-2名-2名
  中国  0-4-2-1
  香港  1-0-0-0
  フランス 0-0-0-1

 総数は、今年が66名、昨年が73名、一昨年が67名、4年前が73名。
 西洋史専攻が多かったせいで、日本史は少なめになりました。


 初登場の県も!

 今年は、やや傾向が変わりましたね。
 増えてきていた大阪、兵庫勢が激減し、かわって関東・甲信越が増加しました。
 初めて沖縄出身の学生が誕生 ! 自己紹介によると、小さな島の生まれのようです。

 福岡勢や広島勢も多くなりました。
 広島、福岡は、活気のある個性的な街ですし、個人的にもよく行っています。夜の街で一杯、なんていうのも素敵なところで、うれしい限りですね。

 わずか4年間の統計? ですが、お分かりのように、青森、秋田、島根、徳島、宮崎が未だ0です。
 逆に今年は、宮城、石川、佐賀、沖縄、そして香港が初登場 ! !
 これで42都道府県までたどりついた勘定になります。

 今年も、合計10の研究テーマに分かれ、学生たちはグループ学習してくれます。
 ご一緒している先生も言っていましたが、やはり学生がいい発表をしてくれるのが一番うれしいもの。
 大いに期待しています! 



弘法大師が開いた綜藝種智院は、その跡をひっそりと留めている





西福寺


 京都駅から東寺へ行く途中に

 先日、所用があって東寺に行きました。

 いつも、JR京都駅から歩いて行きます。
 今日も、京都駅の八条口(南口)を西に進み、油小路通を渡りました。イオンモールの向い側の森は、伏見稲荷大社の御旅所です。その北側の小道を進むと、すぐに近鉄電車の高架があります。

 高架をくぐったところに、こんなお堂があります。

 西福寺

 なんの変哲もない小さなお堂で、蟇股や大瓶束(下の写真)を見ても、そう古くはない、近代の建物だと思えました。

 西福寺

 寺名を見ると、西福寺とあります。
 浄土宗のお寺のようで、標柱に「安産石薬師如来」と記されています。

 西福寺

 地域の人たちに安産の仏さまとして信心されてきたのでしょう。
 ただ気になるのは、この碑に「弘法大師御自作」と書かれていることです。昭和12年(1937)の石標とは言え、なぜかなと思いますよね。


 綜藝種智院の故地

 実は、この場所は弘法大師(空海)にゆかりの深いところだったのです。
 
 西福寺

 見えづらいのですが、別の石標に「綜藝種智院蹟」と刻まれています。

 綜藝種智院(しゅげいしゅちいん)。
 日本史の教科書に登場する名辞ですね。
 空海が開いた学校で、天長5年(828)に設立されました。仏教をはじめ、儒教などさまざまな学問を綜合的に学ぶ私立学校として生まれました。
 貴族だけでなく、ひろく庶民にも門戸を開いたことが、その特徴とされています。
 
 用地は、前中納言・藤原三守の邸宅を寄付してもらったもので、空海が賜った東寺の東方です。実際には、この場所よりも少し南にあったとされています。
 『京都市の地名』は、南区西九条春日町・蔵王町の一部がそれに当たる、としています。『平安京提要』を見ると、左京九条二坊十一町および十四町の2区画にあった、と記されています。十四町の大部分は、現在、市立九条弘道小学校になっており、その西隣の十一町は油小路通の西から近鉄線路の西側までになります。
 かなり広いエリアだったようです。


 綜藝種智院から種智院大学へ

 綜藝種智院は、空海が没し、三守も亡くなったのち、廃止されてしまいます。創立から僅か20年ほどでした。

 しかし、ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、いま「種智院大学」という大学がありますよね。
 どう考えても、空海の学校と無関係ではなさそうですが、現在のキャンパスは京都市伏見区向島にあります。

 同大学のウェブサイトを見ると、確かに空海が創設した綜藝種智院を起源とする、と書かれています。
 もっとも、近代の大学が1200年前の学校と直接つながっているのではありません。

 明治維新後、真言宗でもさまざまな学校が設立されます。明治14年(1881)、雲照律師によって真言僧の養成機関・総黌(そうこう)が開校されました。
 その場所は、東寺北大門の北、現在、洛南高校があるところです。

 洛南高校
  総黌があった現・洛南高校

 ここは、もと宝菩提院(東寺の子院)があった場所でした。門が、それらしいですね。

 総黌は、大正6年(1917)には、真言宗京都大学となりました(のち京都専門学校と改称)。
 これが戦後、4年制大学の種智院大学になったのです。
 伏見区に移転したのは1999年ですから、割と最近のことですが、ここにあった時代のことは私もよく知りません。

 空海の綜藝種智院にかける思いは、「綜藝種智院式」などを読むと大変高邁であったようですが、長続きしなかったのは残念です。


  洛南高校




 綜藝種智院跡(西福寺)

 所在  京都市南区池ノ内町
 拝観  外観自由
 交通  JR「京都」下車、徒歩約15分



 【参考文献】
 『日本歴史地名大系 京都市の地名』平凡社、1979年
 『平安京提要』角川書店、1994年
 『日本古典文学大系 三教指帰 性霊集』岩波書店、1965年
 阿部貴子「明治期における真言宗の教育カリキュラム」(「現代密教」24号、2013年 所収)


【大学の窓】新学期に提案する2冊の本

大学の窓




キャンパス


 提示してきた「歴史書」

 非常勤講師で行っている上京大学(仮称)の授業も、先週から始まりました。
 今年も、65名の学生たちが日本史コースに入って来て、私たちと1年間、学ぶことになります。

 毎年、2回目の授業では、教員の自己紹介とともに、学生に読んでもらう歴史研究書をリストアップしています(主に文庫、新書による)。この研究書などのことを授業では「歴史書」と呼んでいます。
 5人の教員が1人2冊ずつ、計10冊が推薦され、それをもとに授業で討論したり、レポートを書いたりします。

 私が従来取り上げてきた書物は、例えば、今和次郎『考現学入門』、木下直之『美術という見世物』、田中優子『江戸の想像力』、前田愛『都市空間のなかの文学』といったもの。
 これを見て分かるように、やっぱり私は歴史研究の世界では “アウトサイダー” なんですね(笑)

 どれも、歴史学ではないわけです。
 今和次郎(こん・わじろう)は民俗学だし、木下さんは美術史だし、田中さんや前田さんは国文学だし……。 そのうえ、それらのジャンルの中でも、ちょっとはみ出し気味の方々です(失礼)。
 それをあえて選んで、1回生=初学者に薦めるとは、やはりどうかしているのでしょうか?


 今年の2冊は?

 これらの本は、数年間、変えないことも多かったのです。
 でも、今年は2冊とも変えます。

 1冊目。

 『苦海浄土』 石牟礼道子『苦海浄土』(講談社文庫)

 石牟礼(いしむれ)道子『苦海浄土(くがいじょうど)』。
 水俣病について書いた文学です。

 これはもちろん、研究書ではありません。
 お読みいただくと分かるのですが、体裁はルポルタージュ、聞き書きのようになっています。でも、これがほんとうにルポルタージュなのか、聞き書きなのか、それすら定かに分からない、そのような問い掛けさえ退けてしまう--そんな作品世界がひろがっています。

 著者自身の言葉で言えば、「白状すればこの作品は、誰よりも自分自身に語り聞かせる、浄瑠璃のごときもの、である」ということです。
 この作品は、ひとつの「物語」なのですが、物語と歴史はどう違うのか、どう同じなのか。事実とは何で、真実とはどのようなものなのか。そして、それらはどのような表現、文体によって書かれるのか。
 「歴史」をめぐるさまざまな問題を『苦海浄土』から考えることができます。

 2冊目。

 『超芸術トマソン』 赤瀬川原平『超芸術トマソン』
                      (ちくま文庫)

 赤瀬川原平『超芸術トマソン』。
 我ながら脈略がないですね……

 この本は、私が大学生の頃(1985年)出版されたもので、当時は大判でした。
 タイトルの「トマソン」は、プロ野球・読売巨人軍にいた助っ人外国人選手の名前。大リーグから招いたものの三振の山を築くだけの無用の長物。
 そんなトマソンと同じような、街角にある無用の存在に気付き、超芸術「トマソン」というカテゴリーを発見した著者たちの報告集です。

 記念すべきトマソン第1号として報告されたのは「純粋階段」。
 ただ上って下りるだけの階段が、この世の中に存在したのです。

 当時読んで、いまでも記憶している衝撃的名称の物件は「高田のババ・トライアングル」!
 口では説明できないので、ぜひご一読ください。

 『超芸術トマソン』には、新しい学問、あるいは研究領域が誕生する瞬間が、興奮冷めやらぬ文体で綴られています。
 学問って初めから出来上がっているものなんだ、と思い込んでいる学生たちに、ぜひ読んでみてもらいたいと思います。
 
 あわてて付け加えると、これがなぜ歴史書かと言えば、うつろいゆく都市と止まることのない人間の営みが生み出したアダ花が「トマソン」だからなのです。すなわち、都市の歴史がトマソンを生み出すのだ、と(無理やり)。
 
 蛇足ながら付言すると、「トマソン」は、著者の前歴、すなわちハイレッドセンターなどの前衛芸術活動から自ずと生み出され、その後「路上観察」につながっていく領域と言え、また並行して存在した藤森照信らの「建築探偵」の活動(=近代建築の発見)に刺激を与えたとも言えるでしょう。

 ということで。
 今年は、この2冊を薦めてみましょう。
 歴史書というには余りに変化球な本ですが、あくまでアウトサイダー的なオススメということで、ご勘弁ください。


 【お知らせ】
 まいまい京都で、5月1日に「東寺」ツアーを開催します。
 内容は、以前一度行ったものと同じです。
 詳しくは、<まいまい京都>のウェブサイトをご覧ください。



京都御所が通年公開されるという報道、今年度中にも実現?





京都御所


 今年も春の一般公開

 今年(2016年)も、4月6日から10日まで、京都御所が一般公開を行っています。
 私も気が向いた年には行くのですが、今春はパスということに。

 京都市上京区にある、あのインペリアルな公園スペースは国が管理していて、正式には「京都御苑」と呼んでいます。そのなかの一画を特に「京都御所」と言っていますが、ここはかつての内裏(だいり)で、紫宸殿(ししいでん)や清涼殿(せいりょうでん)などがあるところ。ふだんは塀に囲まれていて入れませんが、申し込んで見学することが出来、春秋には予約なしで見られる一般公開があります。

 京都御所
  一般公開時の紫宸殿


 ついに通年公開?
 
 この京都御所が、一年を通して予約なしで見られるようになる! というニュースが、先月報じられました。
 3月25日(2016年)の政府の発表で、15の国の施設や行事の一般開放が拡大されるというものです。

 15の施設と行事は、次の通りです。

 ・京都御所
 ・京都迎賓館
 ・仙洞御所・桂離宮・修学院離宮(以上、京都市)
 ・造幣局(大阪市)
 ・皇居
 ・皇居・東御苑
 ・迎賓館赤坂離宮
 ・首相官邸
 ・日本銀行
 ・大本営地下壕跡(以上、東京都)
 ・御料牧場(栃木県)
 ・鴨場(千葉県・埼玉県)
 ・首都圏外郭放水路(埼玉県)
 ・スーパーカミオカンデ(岐阜県)
 ・信任状奉呈式の馬車列(皇居など)

 京都御所、仙洞御所、京都迎賓館は、いずれも京都御苑内にあります。

 御所については、土日も含む通年公開を前提に、まず試験的に公開を行い、2016年度中に一般公開をめざすと言います。
 また、迎賓館は大型連休中(4月28日~5月9日)にテストして、7月下旬から一般公開を始める予定だそうです。

 京都御所

 このプランは、政府が推進する「明日の日本を支える観光ビジョン構想」の一環なのだそうです。
 そんなビジョン聞いたことないよね、という方がほとんどでしょう。

 でも、2015年11月から会議が開催されていて、メンバーは安倍首相を議長、菅官房長官と石井国交大臣を副議長とし、財務、地方創生、一億総活躍、総務、法務、外務、厚労、経産の各大臣が含まれます。
 それに加えて、有識者として、著名な宿泊施設である加賀屋女将・小田真弓氏や鶴雅グループ代表・大西雅之氏、交通事業者からJR九州会長・唐池恒二氏、ピーチアビエーション代表取締役CEO・井上慎一氏、石井兄弟社(旅行出版社)社長・石井至氏、文化財公開について発言が多い小西美術工藝社長・デービット・アトキンソン氏、そして大阪で旅行会社を経営する李容淑氏(関西国際大学客員教授)が入っています。
 注意すべきは、次に述べるように、文化財行政にもかかわる会議であるのに、文部科学大臣あるいは文化庁長官が入っておらず、その関係の専門家も加わっていないことです。

 関係資料や議論の内容は、政府ウェブサイトに公開されています。
 今回の京都御所等の公開拡大は、公的施設を「観光資源として最大限活用」して、観光産業の振興をはかるという施策です。

 日本の文化財は素材等の関係から、光などに弱いものも多く、公開には慎重さが必要です。現在の京都御所は、江戸後期の安政年間(1855年)に再建されたものですが、見学すれば分かるように、彩色の障壁画などデリケートな文化財も含まれています。毎日、公開して光や風にさらすということが適切かどうか、注意深く考えねばなりません。

 会議の資料には、「『文化財』を、『保存優先』から観光客目線での『理解促進』、そして『活用』へ」という文言があります。会議メンバーの持論を反映しているようです。
 残念なことに、保存優先から活用促進へシフトするような考え方は、目先のもうけのために後世に伝えるべき国民的財産を食いつぶすことにつながりかねません。オーバーユースの問題は、常に留意すべきです。
 もちろん、文化財を分かりやすく解説することは大切ですが、そのことと保存の問題は分けて考えねばなりません。

 また、「文化財修理・整備の拡充と美装化」を進めるとしています。
 「観光資源としての価値を高める美装化」って、なんでしょうか?
 文化財は、適切に修復する過程で、作られた当時の形に復元することがあります。その結果、建物や仏像などで、失われていた彩色が復元され、見た目が美しくなることがあります。会議で言う「美装化」とは、このことなのでしょうか。同じことなら、美装化という言葉は不適切である気がします。また、経年による文化財の変化も、そこに “風格が出てきた” “味わいがある” と捉える感性もあります。
 さらに、「投資リターンを見据えた」修復等である旨も記されています。これは、修復等にかけた経費を観光収入などで取り戻すという考え方で、文化財保護において正当な考え方であるか疑問が残ります。

 現在、修理等を必要としている文化財は、全国津々浦々たくさんあります。基本的には、修理等が促進されることは、ありがたいことと言えます。
 けれども、観光資源になる文化財を優先的に修理する(そこにお金を使う)ということになれば、少々話は違います。
 世の中には、観光客は来ないけれども、傷んでいる文化財を所有されている寺社等はたくさんあります。そういうところの文化財保存は後回し、あるいは置去りになる、という心配はないのでしょうか。

 京都御所
  京都御所 建礼門を望む

 この「明日の日本を支える観光ビジョン構想」、いろいろ考えさせられます。
 国で行われる施策は、いずれ地方自治体にもおりてきます。地方で観光資源となる文化財の公開・利用促進が検討されていくことになるでしょう。地方は国ほどお金もないし、人材もありません。さて、どうするのか?

 “京都御所の通年公開”は、御所や桂離宮、修学院離宮がいつでも見られていいなぁ、と思う話に聞こえますが、その実、問題をはらんでいそうで手放しで喜べません。
 

  御所の桜




 京都御所

 所在  京都市上京区京都御苑
 見学  御苑は自由(御所は要申込み)
 交通  地下鉄「今出川」下車、徒歩約5分



 【参考文献】
 「明日の日本を支える観光ビジョン構想会議」(首相官邸ウェブサイト)


京都府庁のそばにある今話題の建物とは?





京都府警本部


 一躍脚光を浴びるこの建物は?

 突然ですが、上の写真の建物、ご存知でしょうか?

 京都市民でも、あまり記憶にないような……
 見るからに、戦前の建築と思われるのですが、いったいどこにあるのか。

 ヒントは、こちらです。

  京都府庁

 先月(2016年3月)、文化庁の京都への移転が決定しました。
 数年内に、京都市内へやってくるのです。


 文化庁移転の場所は…

 受け入れへの課題はいろいろあるようですが、そのひとつは移転場所。
 当初、京都側は、交通至便のJR京都駅近辺(小学校跡地など4か所)を候補地にあげていました。それに対し、国は冷たい反応で、2015年12月に京都を訪れた馳浩文科相は「文化庁の立地と何の関係があるのか」(京都新聞)と言ったとか。「がっかり」「熱意が全く伝わってこない」(毎日新聞)と評したとも言われます。

 それをうけて、京都御所の付近など7か所を追加候補に選びました。

 全11か所は、次の通りです。

 【御所付近】
 1 府警本部本館
 2 旧府婦人相談所など
 3 府軽量検査所

 【二条城付近】
 4 市上下水道局旧丸太町営業所など

 【五条通付近】
 5 旧堀川署
 6 府中小企業会館
 
 【京都駅付近】
 7 旧植柳小学校
 8 旧安寧小学校
 9 旧陶化小学校
 10 崇仁地域

 【東山方面】
  11 市上下水道局東山営業所

 たくさんあげましたね。
 馳大臣によると「文化と歴史の伝統ある場所」(京都新聞)がよかったのだそうです。まぁ、歴史や文化はどこにでもあるわけですから、ほんとうはどこを選んでもよいのですが、 “言葉の綾” ということにしておきましょう。

 数多出た候補地のなかで、いま有力視されているのが、この建物なのです。

 京都府警本部
  京都府警本部本館

 京都府警本部です。
 いま、ここに行ってみると、現役の庁舎として使用されています。しかし、この庁舎を使うのも、あと数年。
 この北側、かつて同本部中立売庁舎があった場所(下長者町通新町西入ル)に新築されるのです。2019年度に完成予定と言います。
 そんなわけで、この建物は空き家なるはず。文化庁が入っても、支障がないわけです。


 昭和初期の瀟洒なモダン建築

 府警本部本館は、新聞などによると、都道府県警の本部庁舎としては現存最古のものだそうです。
 昭和2年(1927)に起工され、昭和4年(1929)8月に竣工しました。築87年ということになります。
 設計は京都府営繕課、施工は清水組(現・清水建設)。
 鉄筋コンクリート造3階建ですが、地下も1階あるそうです。

 私の好みからすると、美しく思える建物に属するのですが、世間的には取り上げられることが少ないようです。
 大通りに面しているわけでもなく、そんなに知られていないせいでしょうか。それとも、名のある建築家の設計でもないため、忘れられているのでしょうか。

 京都府警本部

 新町通(東)側の正面。
 壁面には、クリーム色っぽい細めのタイルが貼り詰められています。
 この時代(昭和ヒトケタ)だと、スクラッチタイルを貼るという方法もあります。すると、色目も茶褐色などになり、もっと暗い印象になります。
 ここでは明るく軽快に仕上げたわけですね。

 3階の窓は、すべてアーチ窓になっています。

京都府警本部

 中央の上部。
 一番上の部分は、ノコギリ状の帯・ロンバルディアバンドの装飾です。
 三連のアーチ窓にも飾りを付け、華やかさを演出しています。
 全体にロマネスクの意匠で、南欧的な雰囲気を醸し出していますね。

 ロンバルディアバンドは、城郭のイメージを想起させます。警察本部なのですから、端から端まで通して付けてもよいところです。ところが、そうせずに中央部だけに付けたところに、設計者の品のよさが感じられます。

 京都府警本部


 府庁側にも見どころが

 この庁舎の西には、京都府庁があります。

 京都府庁
  京都府庁(旧本館)

 というよりも、府警本部が府庁の敷地内に建っているという方が正しいでしょう。

 府庁舎は、明治37年(1904)の建築で、ルネサンス様式。この優美な建物と、府警本部も釣り合いを取ったに違いなく、エレガントな建築です。

 京都府警本部

 西側です。
 真ん中が突出していないので、少々さびしい印象です。しかし、石貼りの玄関アーチが目を引きます。

 京都府警本部

 京都府警本部

 府庁に面した側なので、豪華に造ったのでしょうか。
 上部にも細かい装飾が施してあります。

 京都府警本部

 四連のアーチ窓の間に、コリント式の付け柱が取り付けられ、ひときわ華やかです。
 窓まわりの装飾も、植物文様をアレンジしたものでしょうか、彩りを添えています。
 このあたりは、東側とは違い、府庁を意識したデザイン性が感じられます。

 どうでしょう、ここに文化庁が入るのでしょうか。
 それとも……

 しばらくすると、その答えも聞けそうですね。




 京都府警察本部本館

 所在  京都市上京区下立売通釜座東入ル藪ノ内町
 見学  外観自由
 交通  地下鉄「丸太町」下車、徒歩約8分



 【参考文献】
 『近代建築画譜』同刊行会、1936年(復刻・不二出版、2007年)


きょうの散歩 - 東本願寺は御本尊の還座式から春の法要へ - 2016.4.2 -





東本願寺御影堂門


 満開の桜と御本尊還座式

 今日は、京都駅方面に用事があったので、東本願寺に立ち寄って来ました。
 門前、烏丸通の桜は、ほぼ満開。
 花曇りで風も強かったですが、花見日和でしたね。

 東本願寺前の桜
 
 東本願寺を訪ねたのは、3月31日(2016年)に御本尊の還座式(げんざしき)が行われたからです。

 東本願寺では、長らく堂宇の修復を行っていました。
 2003年に御真影(親鸞上人の御像)を動座して、御影堂の修復を始め、その完成後、阿弥陀堂と御影堂門の修復を行っていました。その修理も成って、このたび御影堂に移っていた本尊・阿弥陀如来の御像を阿弥陀堂へ戻したのです。その儀式が、御本尊還座式でした。

  東本願寺

 還座式は、3月31日の午後に執り行われたのですが、その模様は東本願寺のウェブサイトで見ることができます。
 こんな式の様子を動画で見ることが出来るなんて、時代ですねぇ。

 その模様は、実に興味深いものです。
 御影堂に仮に安置していた阿弥陀如来像を唐櫃(からびつ)に納め、笙・篳篥(しょう・ひちりき)の雅楽を奏でながら、かついで阿弥陀堂に運んで行くのです。
 やっぱり阿弥陀さんが動くときは、笙・篳篥の音がなるんやなぁ、平等院鳳凰堂の雲中供養菩薩みたいやなぁと、思ってしまうのでした。

 櫃に入って阿弥陀堂に戻った阿弥陀さんが、どのように御厨子の中に入られるのか、とても気になるところでした。
 ところが、そのところは前の金障子が閉められて、参拝者には見えないようになっていました。


 阿弥陀堂と御影堂門の修復が完成

 幕末、蛤御門の変に伴う大火で焼失した東本願寺の堂宇は、明治28年(1895)に御影堂と阿弥陀堂が再建されました。
 今回の修理は、それから百年以上を経て実施。まず、2004年から2008年にかけて御影堂が修復されました。
 2012年からは阿弥陀堂の修復が開始され、遅れて2013年から御影堂門(明治44年=1911竣工)も修理されました。昨年(2015年)末、両者の工事が完成しました。

 東本願寺御影堂門素屋根
 素屋根を掛けた御影堂門。左奥が阿弥陀堂(2013年4月撮影)

 ながらくこんな感じでした。

 現在は、素屋根もとれて美しい姿に。

 東本願寺御影堂門 御影堂門

 東本願寺阿弥陀堂 阿弥陀堂

 阿弥陀堂の中に入ってお詣りしました。
 先般、竣工直後にも拝見したのですが、そのときは金箔がきらびやかで驚かされました。
 今日は、阿弥陀さんが立たれており、その前に生けられた供花がとても美しかったですね。

 京都駅前にあるので、東本願寺は立ち寄る機会が多いお寺です。
 立派に修復が完成し、海外の方も含め、訪れる人も増えるでしょう。




 東本願寺

 所在  京都市下京区烏丸通七条上る
 拝観  自由
 交通  JR「京都」下車、徒歩約5分