
大阪・四天王寺で元三大師に会う
前回ご紹介したように、比叡山の御膝元の京都では、元三大師(良源、慈恵大師)が広く信仰されています。
大師の信仰は、京都にとどまらず日本全国に及び、例えば東京では深大寺が有名ですが、お隣の大阪にも元三大師を祀るお堂があるのです。
四天王寺の元三大師堂。

四天王寺 元三大師堂
四天王寺(大阪市天王寺区)は、古く聖徳太子によって創建され、現在は和宗総本山です。
この大師堂は、境内の北端にあります。江戸時代前期に建てられたものですが、当初は元三大師は祀られておらず、江戸時代の途中から加わったと思われます。
こちらで、大師の護符をいただくことができました。

高僧のお札と言いながら、もはや人間の姿ではありません……
四天王寺では、このお札を「鬼大師護符」と呼んでおられます。
元三大師の護符の種類
元三大師の護符でよく知られたものとして、「豆大師」と「角(つの)大師」の2種類があります。
豆大師は、文字通り、豆粒のような小さな元三大師が33人も刷られているお札です。
伝説的になりますが、元三大師は大変な美男子! だったので、宮中に参殿する折は女官たちが群がって、かえって難儀したそうです。そのため、見えないように豆粒くらい小さく変身して、参内したというのです。「豆大師」と呼ばれるゆえんです。
なかなかすごいお話です。
また、33人という人数なのですが、大師は観音菩薩の化身だとする考えがあったためです。のちの天台座主・慈円の「愚管抄」には「観音ノ化身ノ叡山ノ慈恵大僧正」と記されています。観音さまは33の姿に変化されますので、それをなぞったということでしょう。
なお、当て字で「魔滅(まめ)大師」と書かれることもあります。
残念なことに、私は豆大師の護符をいただいたことがありません。関西では、余り出されているところがないのでしょうか。
もう1種類が、角大師です。
これは、文字通り、角(つの)のある姿なのですが、それにも大別して2種類があります。
ひとつが、四天王寺のような姿。

この像の特徴は、こんな感じ。
まず、鬼のような姿で、壇上にひざまずいており、両手を膝についています。
頭には2本の角があり、頭頂部にも縮れた髪の間に1つ尖がりがありますが、これは宝珠のようです。
身体は裸ですが、ふんどしを付けています。体のラインがあらわですね。
右手には、密教法具の独鈷(とっこ)を握っています。
およそこのような姿ですが、何を意味しているのでしょうか。
最も注目されるのは、独鈷。密教の加持祈祷の際に用いられる法具です。本来は、鬼がこんなものを持つはずもなく、この人? が僧であり、元三大師の変化した姿であることが推察されます。
頭にも宝珠が載っていますが、これは如意宝珠。如意とは、意の如く(思うままになる)ということで、強い法力を与えるマジカルな玉ですね。これも元三大師を象徴するにふさわしいでしょう。
ここから想像すると、元三大師が加持祈祷をしているうち、鬼気迫って、鬼のような姿になった--そういうイメージを表した像だと思えてきます。験力の強かった彼ならではです。
この像は、鬼のような姿なので、「鬼大師」と称されることもあります。
ユーモラスな角大師
角大師のもう1種類は、こんな像です。

比叡山延暦寺の横川(よかわ)にある四季講堂。いわゆる元三大師堂で、以前もらった角大師の護符です。
とてもユーモラスな姿をしていますね。
この像が、全国の多くのお寺に流布しているポピュラーなものです。
前回紹介した東山・尊勝院の護符も同じような図像です。

横川のものと全く同じと言ってよい姿です。
一見、西洋の「悪魔」にも見えるこの像。何をかたどっているのでしょうか?
私の見立ては、先に紹介した鬼のような像(鬼大師)がデフォルメされてこうなったと考えています。


2つを見比べてみましょう。
大きな違いが、向いている方向。右向きと左向きです。そして、壇に載っているか、いないかの違い。
けれども、それ以外はよく似ているのです。
右の角大師ですが、2本の角があり、頭頂部の尖がり(もとは宝珠)もあります。
姿勢も、ひざまずいているように見え、両手も膝の近くに置いています。
そして、右手(てのひら)ですが、独鈷は持っていないものの、不自然に上を向いています。これは独鈷を持っていた時の形の名残りなのではないでしょうか。
そして、逆三角形の白帯でフンドシが表現されています。
胸はアバラがあらわですが、体のラインを強調するという意図でしょう。
左ひじの半円形ラインも、よく似ていますね。
なんとなく悪魔じみた角大師ですが、比較してみると、鬼大師を的確にデフォルメしていることが分かるでしょう。
もちろん、なぜデフォルメする必要があったのか、それもこれほど“ヘタウマ”ふうに? という疑問は残りますが……
この、ひょろっと長い角については、元三大師は長い眉毛の持ち主だったので(そう描かれた肖像画もある)、それをモチーフにしたものだろうという考えもあります(『元三大師良源-比叡山中興の祖』)。傍証としても、豆大師に長い眉毛を描いたものがあるので、そういう推理も成り立つかも知れませんね。
ちなみに、角大師について従来説かれている解釈を以下に引用しておきましょう。
(前略)二本のつのを生やし裸形で胡坐する異様な姿を摺った角大師といわれる護符などを頒[わか]っている。角大師の護符を家の門に貼っておくと疫病神の災厄から逃れることができるという信仰は現代でも根強く生きている。
この異様な角大師の護符の起源については、疫病神が良源[元三大師]を襲おうとしたので、試みに小指の先に疫病神を宿したところ激痛が全身を走り、高熱を発したという。これによって疫神除去のため自ら降魔の姿を示現(じげん)して、これを護符に写しとらせたというものだ。(平林盛得『良源』213ページ)
元三大師とその図像。
なかなか興味が尽きませんね。
ほかにも、彼が創始したという「おみくじ」の話題もあるし、本当におもしろいお坊さんです。
大師の誕生地は、現在の長浜市(滋賀県)なのだそうです。
その場所に、いま玉泉寺というお寺が建っていて、もちろん角大師の護符も授与してくださるそうです。
近いうちに、一度行ってみようと思います。
角大師護符
授与 元三大師を祀る寺院(京都では廬山寺、尊勝寺、三千院など)で授与
【参考文献】
平林盛得『良源』吉川弘文館、1976年
『元三大師良源-比叡山中興の祖』大津市歴史博物館、2010年
寺島典人「良源像のイメージと姿について」(『美術フォーラム21』22号、2010年所収)
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