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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

ARCHIVE

【お知らせ】タモリさんと共演 !? NHK「ブラタモリ ~京都~」に出演します!

その他




新京極


 NHKの人気番組「ブラタモリ」。

 タモリさんが街中をぶらぶら歩いて、いろんな発見をする番組です。
 2015年4月から、3年ぶりにレギュラーとして復活し、全国ロケを敢行予定 !!
 それに先立って、お正月に特番がオンエアされます。

 それが、「ブラタモリ ~京都~」!

 千年の都・京都が、たび重なる危機を“復興プロジェクト”で乗り越え、いかに続いてきたか--というテーマです。

 今回ご縁があって、タモリさんの案内役として出演させていただくことになりました!

 番組全体は、「琵琶湖疏水」「御土居」「新京極通」と、大きく3部に分かれますが、私は新京極をご案内。

 錦天満宮鳥居

 誓願寺

 先日、ロケも無事終了し、オンエアを待つばかり。
 生まれ育った京都、昔から馴染み深い新京極をご案内できて、とてもうれしかったです。

 タモリさんは、テレビのまんまの気さくな方で、とてもおもしろい !!
 ご一緒してくれたアナウンサーは、ブラタモリ初登場の首藤奈知子さん。
 内容は見てのお楽しみですが、「古都・京都」のイメージには収まり切らない内容になっているかな、とも想像……。
 もしかすると、私の“秘話”も放送されるかも !?

 「ブラタモリ ~京都~」は、NHK総合で、2015年1月6日(火)午後8時から放送されます。
 詳しくは、NHKのウェブサイトをどうぞ!(「どーがステーション」では、予告編の動画が見られます)

 ぜひ、ご覧ください!


 柳小路 こんな路地も歩きます!


「京都発! ふらっとトラベル研究所」は、年末年始はお休みになります。
 次は、ブラタモリのオンエア後にお会いしましょう!
 よいお年を。

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ちょっと辛口、観光ニッポンへの提言 - デービッド・アトキンソン『イギリス人アナリスト 日本の国宝を守る』 -

京都本






  『イギリス人アナリスト 日本の国宝を守る』 『イギリス人アナリスト 日本の国宝を守る』


 ちょっと“辛口”の成長提言

 著者のデービッド・アトキンソン(David Atkinson)氏は、米国のゴールドマン・サックスなどで経済アナリストとして活躍し、“引退”後は日本の小西美術工藝社の社長を務める英国人です。小西美術工藝社は、漆塗りや彩色、錺(かざり)金具の製作などで文化財建造物の修理等に携わる会社です。

 本書のタイトルは、『イギリス人アナリスト 日本の国宝を守る』。
 文化財の本かなと思いきや、そうではなく、副題にある「雇用400万人、GDP8パーセント成長への提言」の方に重点が置かれた日本経済に関する書物という色彩が濃厚です。
 戦後、日本が急成長した(GDPが伸びた)理由を「日本人の技術力の高さ」などに求めるのは神話で、本当の理由は「爆発的な人口増」にあると指摘しています。
 著者は、日本人は「数字」を無視した議論が多く、ミステリアスな経営を行っていると言い、もっとサイエンス、数字を重視した経営を行うべきだと一貫して述べています。

 本書は、ちょうど200ページあるのですが、前半120ページは経済、経営の話。アトキンソン氏のゴールドマン時代の体験談も交えながら、日本経営のダメさ加減が一刀両断されるという印象です。もちろん、これは著者が確信犯的に行っていることなので、特に嫌味とは感じられません。


 ニッポンの「おもてなし」神話

 次に触れられるのが、東京オリンピック招致で強調された日本の「おもてなし」精神です。

 例に出されるのが、箱根の高級老舗旅館のおもてなしの欠如です。
 チェックイン時間前に部屋に入れない、レストランは宿泊者専用なのでチェックイン前には使えないなど、すべて旅館側の都合で物事が行われていきます。
 アトキンソン氏は、海外の一流ホテルではこのようなことはなく、日本のおもてなしには「客の都合」に合わせるという概念が欠けていると考えます。
 欧州でも、「それなりの」レストランなどには閉店時間はないそうで、お客に対してストレートに閉店時間だから帰ってくれということはないと言います。

 このあと銀行の不親切な対応など、実例があげられて、いかに日本の「おもてなし」がよろしくないかが指摘されます。

 著者の主張は、

・「おもてなし」ができているかどうかということは、自分が決めるものではなく相手が決めること
・「客」よりも「供給者」の都合が優先され過ぎてしまう傾向があるので、考え直して調整をしたほうが良い
・一部の高い評価を、すべての評価にこじつけてしまうと、見直さなくてはいけない問題が見えなくなる (148ページ)


 ということで、お客さん相手の仕事をしている私も、耳が痛いですね。


 観光立国と文化財

 最後の50ページは、観光立国と文化財保護について述べています。
 文化財保護に力を入れれば、観光への波及効果があるし、雇用も創出する、という考えです。

 日本の観光ビジネスを数字で見ると、GDP(国内総生産)に観光業が占める割合は約2%ですが、世界的には約9%なので、まだまだ伸びしろがあるというものです。
 なおかつ、観光で1人あたり多額の金を落とす人々(オーストラリア人、ドイツ人、カナダ人、イギリス人、フランス人、イタリア人……)がまだまだ来日しておらず、現状は近隣国からの来訪者が圧倒的に多いと指摘します。
 つまり、お金を使う観光客をもっと呼べばいい、ということですね。

  清水寺


 「冷凍保存」された文化財
 
 177ページからは、いよいよ京都のことについて触れられています。
 各種の数字から見ると、京都には年間200万人くらいの外国人観光客が来訪していますが、観光資源の質と量を考えれば、これは少ないと著者は言います。

 それにしても、なぜ外国人観光客は京都にやってこないのでしょうか。考えられるのは京都の価値、つまり文化財が本来もっている価値が引き出されていないのではということです。 (180ページ) 

 これは、重要なポイントですね。

 価値が十分引き出されていない。
 言い換えれば、相手に伝わっていない、ということです。

 ここに外国人と日本人の感覚のギャップが潜んでいます。
 アトキンソン氏は、自身の京都の住まい近くにある二条城について、こう述べます。

 たしかに、その大広間には将軍や大名などの人形が並んではいますが、彼らがどのような経緯でここに集まり、そしてここに座るまでにどのようなドラマがあり、そしてどのような意味でこのような装束を身にまとっていたのか、棚の飾り方をしていたのか、など詳しい説明がまったくないのです。二つの部屋以外は人形さえなく、わずかな説明があるだけで、後は空っぽです。

 たとえば日本のみなさんがイギリスまで観光に行って、バッキンガム宮殿やウィンザー城の中に入って、文化財を保護しなくてはいけないからと調度品がすべて撤去されていたらガッカリしませんか。日本の文化財はまさしくこのようにただの「ハコ」を見学するだけのありさまなのです。これでは文化財のすばらしさの一割も伝わりません。 (182ページ)


 この指摘は、イギリスの方らしいと思います。
 私はかつて博物館を作る仕事をしたのですが、そのとき英国の施設も検討材料にしました。かの地では、人形を積極的に使って歴史を説明することが行われていることを知りました。けれども、当時の同僚には、これに嫌悪感を抱く人もいました。
 歴史で人形、というと、鉱山の見学に行ったとき、暗い坑道にフンドシ姿の坑夫の人形が置かれていて怖かった、という経験を思い出しますね。
 たぶん、日本の方は人形に対して、文化財の雰囲気を壊してしまう存在と考える方が多いのでしょう。しかし、外国人は必ずしもそうではないということ。
 ここに、日本人(供給者)と海外ツーリストとのギャップが潜んでいます。

 文化財が「冷凍保存のハコモノ」になっていて、少しも活用されていない、という本書の主張につながります。

 著者も指摘するように、文化財には「保存」と「活用」という2つの側面があります。英語でいう preservaion(保存)と presentation(プレゼンテーション)です。
 日本では一般に、保存と活用は対立する事柄だとされています。例えば、大勢の人が寺院の建物に入れば、建物は傷みます。浮世絵を何度も公開したら、光によって退色します。公開する、体験させるという行為の裏には、その価値を減らすという危険が伴っています。
 世界遺産に登録された富士山の例を考えると分かりやすいですね。人気が出て登山者が増えましたが、そのせいで環境が悪化し、入山規制が議論されました。

 著者は、保存と活用の両立が大切だと説きます。

 日本の文化財というのが単なる「冷凍保存のハコモノ」になってしまうのは[保存修理費が少ないという]経済的理由にくわえ、日本の観光行政の今までのあり方から来ています。人が楽しむ文化財より人が入らない文化財という「保護優先」の考え方が「常識」ですので、これで観光客が少なく、サービスもないというのは理にかなっています。ただ、「観光立国」を掲げるのであれば、この「常識」を改めて、発想を転換させなければいけません。 (190ページ)

 「人が入らない文化財」というのは言い得て妙ですね。

 この主張には、議論が分かれると思います。
 京都の寺院では、名庭に大勢の拝観者が押し寄せて庭が傷むため、大幅な拝観制限に踏み切った例もあります。修理によってケアできる部分もあると思いますが、すべての文化財がそうではないので、個別に考えることが必要です。
 また、宗教的な営みを優先させるため、公開に消極的なところもあるでしょう。一方で、布教のために多くの参拝者を受け入れたい寺社もあると思います。観光立国とくくって一概には言えない部分があり、個々別々の判断が求められるでしょう。

 しかし、“この文化財は「本物」だから説明しなくても分かるだろう”という姿勢は、もう通用しないと思います。
 外国人はおろか、日本人にさえ魅力が伝わりません。文化財の持つ価値を平易に噛み砕いて伝える方法、あるいは“人”が求められる時代になっています。 

 本書は、ちょっと辛口の観光ニッポンへの提言集です。
 京都を訪れる海外ツーリストが年々増加し、多様な地域から来訪されるようになっている現在、彼らの生の声を聞き、ひとつひとつのサービスを改善していくことが大切だと痛感させられます。





 書 名 : 『イギリス人アナリスト 日本の国宝を守る
        雇用400万人、GDP8パーセント成長への提言』
 著 者 : デービッド・アトキンソン
 出版社 : 講談社(講談社+α新書)
 刊行年 : 2014年


【新聞から】ついに実現 !? 琵琶湖疏水で夢の船下り!

洛東




琵琶湖疏水


 琵琶湖疏水に観光船 桜の季節に試験運航
 各紙 2014年12月19日付


 明治時代、京都を復興する大プロジェクトとして実現した琵琶湖疏水(そすい)。
 琵琶湖(滋賀県大津市)と京都市を結ぶ水路で、現在も京都市民の飲料水を運んでくる重要な存在です。
 歴史的には、水力発電によって日本初の市街電車を走らせたり、工業動力となったり、別荘の庭に流れる水になったりしました。

 その中で、昭和初期まで盛んに利用されたのが、舟運でした。とりわけ、鉄道が未発達な時代には、物資や旅客の運搬に用いられました。
 水路から一旦船を陸に揚げて運ぶ「インクライン」が名物で、現在も南禅寺に程近い蹴上(けあげ)ではその様子が復元されており、往時の雰囲気が忍べます(冒頭の写真)。

 琵琶湖疏水
  インクラインと船溜り

 その琵琶湖疏水で、2015年、観光船の試験運行が行われることになりました。
 京都市、大津市、京阪電鉄、JR西日本などによる実行委員会で示されたプランは、おおむね次の通りです。

 ・2015年3月下旬から5月の大型連休にかけて行う。
 ・第一疏水の大津・取水口から京都・蹴上へ、下り方向のみで運航。
 ・乗船場は、大津、山科、蹴上に設ける。
 ・距離は約7.8㎞で、70分ほどかけて走る。
 ・船は、8人乗り(乗客は6人)の屋根付きモーターボート。
 ・乗客となるモニターを市民や観光客から募集。
 ・土・日曜に有料で実施予定。
 ・運航は民間事業者が請負い、今後の採算等を見極める。

 琵琶湖疏水
  第3トンネルを抜けた九条山付近

 桜の時期は、山科あたりの桜がさぞかし綺麗でしょうね!
 運航区間にはトンネルが多く、約2.4㎞の第一トンネルをはじめ、全体の約4㎞はトンネルです。やっぱり光の演出をするのか、それとも別の楽しみ方があるのか?
 1時間以上の乗船ですから、ただ乗っているだけでは間が持ちません。船頭さんがガイドするにも限界があるし、飲食するには船内が狭いかも。どんな乗り方が楽しいか、みんなで考えられたらいいですね。

 話題が尽きない琵琶湖疏水の船下り。
 近代化遺産としても貴重な疏水を体感できる観光船就航は楽しみです。
 泉下の田辺朔郎博士も、きっと喜んでおられることでしょう。

  田辺朔郎像
   田辺朔郎博士像


【大学の窓】今年気付いた些細なこと、二、三

大学の窓




  大学図書館


 図書館の飲食

 大学に出講し始めて、早いものでもう6年。
 担当授業のキャンパスも、当初と現在では変わりました。

 いつも大学図書館を利用しているのですが、時折、学生が飲み物を飲んでいるのが気になっていました。
 昔から図書館では飲食禁止が常識、今の学生は知らないのかなぁ、と半ば呆れ、半ば憤っていました。

 ところが、あるとき変な貼り紙に気付いたのです。
 そこには、<図書館内で飲み物をこぼして他人のノート等を汚した場合、こぼした人の責任です>という意味のことが書いてある。
 私は、そもそも飲食禁止なのに、この貼り紙自体おかしいのではないか? と疑問に思っていました。
 大学の先生に話しても、なんだろうね、といった反応です。

 ところが先日。
 図書館のウェブサイトを見ていて驚きました。
 今年6月から、館内での飲み物が許可されていたのです!
 理由は、長時間館内にいる場合、脱水症状になるケースもなくはないので、ペットボトルなど蓋付きのものは認める、ということでした。

 確かに、ニュースで、室内でも脱水症状になるとは聞いていますが、空調の効いた図書館でなるのかなと、やや不思議ですが、ともかくも飲み物が認められていたのでした。
 いや、学生に注意しなくてよかった(笑)


 ベンチ

 先週、朝、大学構内に入って気付いたことがあります。

 “ベンチが増えた”

 ベンチ

 キャンパス内には、3人掛け位のベンチがあるのですが、今まで飛び飛びに設置されていたものが、間隔を詰めて設置されています。どうも増設されたらしい。

 昨年度の写真を見ると、ある校舎の前には全くベンチがありません。ところが、今年度はその前にもベンチがあります。そしてさらに増設したようなのです。

 なんで、こんなにベンチが要るのだろうか?

 私の授業が終わると昼休みになります。キャンパスには、どっと学生があふれます。
 見回すと、ベンチに座って食事をしている学生が多いのです。
 なるほど、ベンチは食事スペースなのですね。

 私が学生の頃は、みんな「学食」で食べていたものです。当時は、コンビニもなく(今の学生に言うと不思議がられるのですが)、学食でとるくらいしか方法がなかったのです。
 いまでは、コンビニもあるし、学内でもたくさん弁当を売っています。それを食べるスペースが必要になってくるわけです。

 最近では、ひとりで昼食をとることは恥ずかしいという風潮もあるそうですが、ベンチに座ってひとりで食べている学生も結構いますね。

 ちなみに、昔は校舎前にはベンチはほとんどありませんでした。なぜなら、学生が自転車を停めていたからです。
 じゃあ、いまはどこに停めるかといえば、集約的に駐輪場ができて、そこに駐車するようになりました。警備員さんが指導して停めさせています。


 指導法

 学生をどう指導するかは、永遠の課題です。昨年の今頃は、ものすごく悩んでいた記憶があります。
 今年は、自分の中では少し開眼した気がしています。

 私の授業は1回生の演習なので、テーマを決めてグループ研究させています。彼ら彼女らにとって一番むずかしいことは、大きなテーマを決めた上で、そこに「問題」を見出す(設定する)ということのようです。
 高校までの勉強では、問題は先生が決めてくれていましたが、大学の研究では問題を自分で設定しなければならないのです。どうやら、これが困難らしい。
 
 そこで、今年私がやり始めた指導法は、僕だったらこうやる、というもの。
 学生は、いろいろ調べては来るものの、そこに問題設定することができません。そこで私が、その情報を聞いて、「例えば僕だったら、こういうふうにやるかな」などと言って、考え方、進め方の一例を示すのです。
 結果的に、学生がそれをマネすることもあるし、しないこともあるけれど、研究の方法を知ってもらうには有効かなと思い始めています。

 これには副次的効果もあって、私自身のトレーニングになっています。昔教えてもらっていた森浩一先生は、よく「頭の柔軟体操」という言葉を使っていた気がしますが、さまざまなテーマにどう切り口を作るかを考えさせられるので、いい訓練になりますね。
 
 授業では、現在、各グループの研究発表の真っ只中。
 またどんな発表が聞けるか、楽しみです。


昭和9年の地図を片手に、寺町・新京極の老舗をさぐる - その4・花遊小路 -





ワンダス写真館


 横丁に入れば花遊小路

 昭和9年(1934)に発行された地図「京極と其附近案内」を見ながら、新京極を歩く企画の最終回。今回は、ちょっと横丁に入って、古いお店を探してみましょう。

 錦天満宮の南の通りを東に折れると、そこは明治末に開かれた「第二京極」です。
 先年まで映画館「八千代館」だった WEGO を見て、その角を南に曲がります。左手に、これまた映画館だったビル(現在は忍者迷宮殿など)を見ながら突き当り、さらに少し東へ行くと、こんな細道が……

  花遊小路

 花遊小路(かゆうこうじ)。
 ここはかつて、四条道場とも呼ばれた金蓮寺があったところで、その一角に花遊軒という精進料理を出す料亭があったといいます。
 大正元年(1912)頃、花遊軒の場所を再開発して、この花遊小路を作り、たくさんの店を出させたのです。

 花遊小路
  花遊小路界隈

 地図の右にタテの通りがあり、「花遊小路」と記載されています。
 そこから、左方に分岐する道も、花遊小路です。
 つまり、T字が横倒しになった形の商店街なのです。

 北側から入ると、左にビルがあり、「ハレの日 花遊小路」とネーミングされています。
 その1階に、うなぎの老舗・江戸川があります。

 江戸川
  江戸川

 明治37年(1904)創業だそうです。日露戦争の頃ですね。
 花遊小路の開発より早い時期ですから、最初は別の場所で商いをされていたのでしょうか。
 昭和9年の地図には、「江戸川まむし」と書いてあります。


 有名な“あぶらとり紙”店も

 その先。

  花遊小路

 細い路地です。
 写真手前の左側には刃物屋さんがあり、右には理髪店など。その向こうは靴店です。
 光の向こうに出てみると、そこはもう四条通。

  花遊小路 四条通側

 四条通の歩道上から見た花遊小路。
 えっ、と思われるかも知れませんが、靴屋さんの中央の通路が小路なのです。ちょっとした「名物」ですよね。

 また小路の中に戻ってみましょう。
 T字の交点から西を見ます。

  花遊小路 西を望む

 一番向こうは新京極商店街です。
 つまり、花遊小路に北側から入ると、まっすぐ行けば四条通、右に折れれば新京極に出られることになります。

 この両側にも老舗が。

 よーじや

 よーじや よーじや

 いまや誰もが知っている店、よーじや。
 あぶらとり紙で有名で、四条花見小路のお店(祇園の一力の向い側)は大賑わいです。
 創業は明治37年(1904)、当時は國枝商店といって六角御幸町あたりにあり、のち花遊小路に移ってきました。屋号は、歯ブラシを意味する楊枝(ようじ)に由来するそうです。

 あぶらとり紙は、新京極の左り馬でも登場しましたが、役者さんや芸妓さんの愛用品なので、この場所で商うにはぴったりの商品でしょう。


 老舗写真館も!

 ワンダス写真館
  ワンダス写真館

 昔ながらの写真館です。
 大正2年(1913)から営業されているそうですが、ウェブサイトを見てみると、「京都最古の写真」という記事が!
 5代前のご先祖・淡海槐堂が、安政6年(1859)に写真を撮影していた、というものです。
 本当の老舗ですね。

 私の疑問は、「ワンダス」という屋号なのですが、どういう由来なのでしょうか?

 三文字屋

 三文字屋 三文字屋

 こちらは三文字屋。
 時計屋さんのようです。
 
 マークは……

  三文字屋

 「文」の字が3つで、三文字屋、ですね。
 こちらも屋号の由来が知りたくて仕方ありませんが、? です。

 昭和9年の地図を見ると、この一画に「花遊軒料理店」という、この場所の起源となった料亭が未だ残っています。
 けれど、それ以上に気になるのは、ワンダス写真館と三文字屋の間にあった「チェリー喫茶」店。さぞかしオシャレなお店だったのでは、と想像をふくらませます。

 4回にわたって、新京極、寺町京極、そして花遊小路と、京都随一の繁華街で“老舗”を探ってきました。
 私が調べた範囲の対象店は、地図上で300店余りありました。
 それから80年。
 現在まで続く老舗は、30店から40店くらいと約1割にすぎません。

 京都は老舗が多いというイメージですが、やはり一級の繁華街で長寿を保つのは至難の業のようです。


  よーじや




 花遊小路

 所在 京都市中京区新京極通四条上ル中之町
 交通 阪急電車「河原町」下車、徒歩約3分



 【参考文献】
 「京極と其の附近案内」市民風景社、1934年
 田中緑紅『新京極今昔話 その三』(緑紅叢書4-6-42)京を語る会、1963年


昭和9年の地図を片手に、寺町・新京極の老舗をさぐる - その3 -





キムラ


 錦小路から南の老舗

 新京極、寺町京極の“老舗”を探る企画。今回は、いよいよ錦小路通から四条通までを取り上げます。

 まずは寺町京極商店街から。

 寺町通
  寺町京極商店街(錦小路通付近)

 昭和9年(1934)の地図に出てくる「三木茶商」は、この蓬莱堂茶舗です。

 蓬莱堂茶舗
  蓬莱堂茶舗

 三木蓬莱堂などとも呼ばれ、創業は享和3年(1803)。200年以上の歴史を持ち、著名人にも愛された老舗です。アーケードに埋もれるような古い店構えが目を引きます。

 その南には、地図に「寺村半カチ」とある寺村牡丹堂。

 寺村牡丹堂
  寺村牡丹堂

 いまはビル(寺村スクエア)となり、その1階がお店です。
 当時、ハンカチ店と書かれているだけあって、現在でもタオルを中心に、エプロン、パジャマなどを扱っておられるそうです。
 創業は、江戸中期の元文2年(1737)。ということは、もともとはハンカチ店でもタオル店でもないわけで、何を商っておられたのでしょうか。

 その隣は、すき焼きのキムラ。
 目立つ店構えで有名です。

 キムラ
  キムラ

 昭和初期から営業され、地図には「木村精肉店」とあります。
 キムラといえば、昔も今も下足番のおじさんがおられますね。 

キムラ

 私の学生の頃は、おじいさんがやっておられましたが、いまは少し若い方(といっても私よりは年上)です。

 寺町で、すき焼きといえば、キムラと三嶋亭。
 ちょっと敷居が高そうな三嶋亭に比べ、キムラはリーズナブルで、のれんや電飾看板などもキッチュな感じ。

キムラ

 マークは、「キ」が6つに「ラ」で、キ・ム・ラ。いいですねぇ。レトロです。

 四条通に出るまで、さらに、はせがわ。

 はせがわ
  バッグ はせがわ

 昭和9年当時は糸店とありますが、いまは鞄店です。三条通や寺町通は、昔から鞄店が多い印象があります。
 
 なお、地図には、「ゑり清」という店があり、現在そのあたりにある「ゑり正」(安永4年=1775年創業)と関係があるかと思い調べてみると、ゑり正は昔、錦天満宮前にあったそうで、ゑり清は地図の出た翌年(昭和10年=1935)頃に廃業されたそうです。寺町と新京極の四条通近くに2店舗を構えていました。
 このことは、田中緑紅『新京極今昔話 その三』に書いてありました。


 新京極も名店ぞろい!

 昭和9年当時、新京極の錦小路通を少し下がったところには、「スターバー」がありました。これは、現在のレストランスターです。

 スターレストラン

 スターレストラン
  レストランスター京極

 巨大オムライスの看板が度肝を抜きます。
 スター食堂は、私も子供の頃から来ています。昔は、西陣にもなかったでしょうか?(千本中立売のあたりに)。そちらにも、よく行っていたような。
 これこそ老舗の洋食店で、楽しいですよね。先日も、訪れた折にメロンソーダを飲みました(笑)
 創業は大正14年(1925)ですから、めざせ百年! ですね。

 この南には、第二京極へ入る道路があって、その先に三満寿があります。

 三満寿
  三満寿

 読み方は、「みます」。うなぎの名店です。

 三満寿

 三満寿

 店頭のサンプルを見ると、なかなか高級なんですね、うなぎですから。
 ところで、私もつい最近まで知らなかったのですが、この三満寿、映画館の「美松(みまつ)」を経営されていたんだそうです。「みます」と「みまつ」で読みも通じるし、昔行った美松映劇なども、この裏手(東側)に当たるのですね。
 
 美松映劇跡
  美松劇場・映劇跡

 いまは、忍者ショーが見られるレストランと古着店になってしまいましたが、ここがかつての美松劇場と美松映劇。
 このあたりの映画館としては新しく、昭和30年(1955)からの営業だそうです(平成16年閉館)。

美松映劇跡

 その向いは、「ミマツワールド」と銘打った雑居ビルです。うなぎ屋さんが、これらのオーナーなんですね。
 ここの映画館も、昔行ったことがあるので懐かしいです。


 履物から蒸し寿司まで

 ここから四条通寄りは、さまざまな老舗が軒を連ねます。

 大沢袋物店 大沢袋物店

 大沢袋物店。お土産屋さんのような感じに変貌しています。

 お婦久履物老舗 お婦久履物老舗
  お婦久履物老舗

 こちらは、お婦久(ふく)履物老舗。
 ショーウィンドーを見ると、下駄を中心とした品揃えのようです。写真は、外国人ツーリストが店に入って行く模様。

 通りの反対側には、これこそ有名なスタンド。

 スタンド

 スタンド 京極スタンド

 看板にある通り、「酒処 軽食」の店。昭和2年(1927)に十銭均一店としてスタートしたそうです。

 隣りは、そばの田毎(たごと)。

 田毎 田毎

 のぼりには、京都らしく「にしんそば」と書かれています。明治時代の創業だそうです。

 この付近は、老舗が目白押しでした。


 最後の一店は……

 いよいよ四条通に近付いてきました。

 ライトオン
  ライトオン

 ジーンズ、カジュアルファッションの店、ライトオン。
 老舗のはずもありませんが、実はこのビルが……

 ライトオン
  京都松竹第三ビル

 そう、松竹のマーク。以前は、SY松竹京映という映画館だったのです。
 歴史をたどれば、ここはもともと金蓮寺(こんれんじ、四条道場)という時宗の寺があった場所。のち、四条道場芝居が出来、さらに坂井座から歌舞伎座になりました。昭和9年の地図には「歌舞伎座」と記されていて、昭和11年(1936)まで。
 さらに京極映画劇場となり、戦後はSY京映からSY松竹京映となりました。平成13年(2001)に閉館しています。

 私も、四条から上がってすぐのところに、この映画館があったのはよく覚えていて、洋画の封切館だったような記憶があります。

 その横に、寿司の乙羽。

 乙羽寿司 乙羽

 外国人旅行者が、ものすごく品定めしていて、なかなか動かないんですね。写真が撮れない……

 乙羽寿司

 乙羽寿司

 冬には、アナゴの蒸し寿司を供されるそうです。これは丼に入っており、錦糸玉子でとじているようですね。
 せいろで蒸していて雰囲気満点ですが、この貼り紙の文句が謎めいていて面白いです。

 乙羽寿司

 もちろん、他にもいろんなお寿司があって、私の好きな箱寿司(はもの押しずし)とか、鯖寿司とか、各種あります。
 このあたりは、古くは劇場街だったわけですから、見物しながら食べられるお寿司は相性がいいんでしょうね。

 乙羽寿司

 のれんの紋は、「乙」を意匠化したもののよう。明治中期から続くお店です。

 ということで、この区間も老舗が多く、10軒余りの店が80年以上営業されていました。
 やはり四条通に近くて人通りが多いため、繁盛するのでしょうか。

 3回にわたってお届けしてきた新京極と寺町京極の老舗めぐり。三条通から四条通まで、ひと通りカバーしたわけですが、実は、まだちょっと隠されたエリアがあるのです。次回、もう1回だけお付き合いください。




 新京極商店街、寺町京極商店街

 所在 京都市中京区新京極通四条上ル中之町ほか
 交通 阪急電車「河原町」下車、徒歩約5分



 【参考文献】
 「京極と其の附近案内」市民風景社、1934年
 「京都市劇場史略図」(『近代歌舞伎年表 京都篇 別巻』所収)
 田中緑紅『新京極今昔話 その三』(緑紅叢書4-6-42)京を語る会、1963年
 新京極商店街振興組合ウェブサイト
 寺町京極商店街ウェブサイト 


昭和9年の地図を片手に、寺町・新京極の老舗をさぐる - その2 -





小野珠数店


 蛸薬師通から南の店を探る

 前回に続き、新京極と寺町京極の老舗を探る試みの第2回。
 まず、寺町通から行ってみましょう。

 蛸薬師下ルすぐのところに、昭和9年(1934)の地図「京極と其附近案内」には、「ノムラ洋服店」とあります。いま、靴下専門店・Tabio(タビオ)が入っているビルが、どうやら野村さんの所有建物のようです。

 タビオ
  Tabio HOMME

 その南。

 小野珠数店

 小野珠数店 小野数珠店

 さすが寺町通だけに、ここにも珠数屋さんが!
 小野珠数店。
 さぞかし古くから……、と尋ねてみると、事もなげに「300年余り前から」とおっしゃいます。こういうところ、とても京都らしいです。
 前回の安田念珠店と並んで、伝統のある数珠屋さんですね。

 数軒南には、鍾美堂 永松仏具店があります。
 ただ、この日は定休日だったので、店構えの写真はありません(ごめんなさい)。

 永松仏具店 鍾美堂永松仏具店

 こちらは慶長8年(1603)創業! だそうです。

 また、地図には出ていないのですが、その南側には古書・版画などを扱う大書堂があります。私も、ここでちょこっと和本などを買ったことがありますが、いつもショーウィンドーに浮世絵や版本が並んでいて目を楽しませてくれます。
 こちらは昭和元年(1926)創業だそうですが、なぜか記載されていません。地図のその場所には、「太陽堂洋服店」と書かれています。

 大書堂
  大書堂
 

 新京極の老舗は?

 新京極の方は、前回、蛸薬師上ルの鞄館タニムラまで紹介しました。
 そこからしばらく、昭和9年から営業を続けている店はなく、立江地蔵尊(善長寺、くさがみさん)の隣に、「ハマヤ帽子店」があります。

 ハマヤ帽子店

 ハマヤ帽子店 ハマヤ帽子店

 創業は大正13年(1924)。山高帽やベレー帽といった懐かしい品も扱っているようです。

 さらに、「左り馬」。

 左り馬
   左り馬

 「左馬」という言葉は、馬の字を逆さま(鏡文字)にしたもので、招福のゲン担ぎですね。それを店名にしているわけです。
 明治時代に小間物店として創業し、劇場が多かった場所柄でしょうか、舞台用化粧品、あぶらとり紙などを扱われています。

 左り馬

 左り馬

 看板に、歌舞伎の隈取りの絵があり、店の上を見上げると、歌舞伎などでお馴染みの三色の定式幕が掛かっていました!

 その斜め向かいには、千枚漬けの大藤。京漬物のお店です。

 大藤

 大藤
   千枚漬け本家 大藤

 千枚漬けの材料・聖護院かぶらの形をした看板がオシャレですね。
 こちらの創業は、慶応元年(1865)で、創業者の大黒屋藤三郎から「大藤」としたといいます。新京極商店街振興組合のウェブサイトには、「今や新京極で一番古い店となりました」と記されています。京都らしい漬物店です。

 蛸薬師通-錦小路通は、距離が短いせいか、昭和9年から続く老舗は、僅かに5、6軒程度でした。
 次回は、いよいよ錦小路から四条通の老舗を探ります。こちらは少し多いかな?

 錦天満宮
  錦天満宮




 新京極商店街、寺町京極商店街

 所在 京都市中京区新京極通四条上ル東側町ほか
 交通 阪急電車「河原町」下車、徒歩約5分



 【参考文献】
 「京極と其の附近案内」市民風景社、1934年
 新京極商店街振興組合ウェブサイト
 寺町京極商店街ウェブサイト

昭和9年の地図を片手に、寺町・新京極の老舗をさぐる - その1 -





更科本店


 昭和9年から続く店舗は?

 前々回、新京極の路地を探索するきっかけになったのが、「京極と其[その]附近案内」という地図。昭和9年(1934)の新京極、寺町、四条、三条、河原町あたりの商店名を記載しています。

  新京極
   新京極商店街(六角通付近)

 戦前には、今日のような住宅地図はありませんが、繁華街や商店街に限っていえば、店名を記した地図は各地にあります。「京極と其附近案内」も、その一種です。詳しいのが特徴で、ざっと見ても500店はくだらない掲載店数です。

 この地図を片手に新京極商店街と寺町京極商店街を訪れ、現在も残っている店に印をつけてみました。
 いずれも、三条-四条間、約500mの通りですが、果たしてどれくらい老舗が残っているのでしょうか?

 なお、地図に不記載の店もあり、調べに遺漏もあるかと思います。あくまでも、主な店舗の紹介とお考えください。


 三条通に近い老舗

 昭和9年といえば、約80年前。
 新陳代謝が激しい繁華街では、80年も続けば立派な“老舗”でしょう。

 まず、北の三条通側から探ってみました。

 西谷堂
  西谷堂(和菓子)

 写真右に見える坂が、通称「たらたら」。三条通から新京極への入り口です。
 この東の角に、近年まで、さくら井屋がありました。封筒、便箋、千代紙などの小物を商い、新京極の開通以来あった老舗とされますが、惜しまれながら閉店されました。

 その坂の西側に、和菓子の西谷堂があります。

 西谷堂

 看板の文字も雄渾。ちょうちんにある「でっちようかん」が名物で、栗ぜんざいやあんみつなど、甘党のお店らしいです。

 この反対側には、最近まで、Y.INOHANA & SON'S というテーラーがありましたが、こちらも閉店されてしまいました。ショーウインドーに品の良い紳士服を陳列されていましたね。
 この“INOHANA”は、地図には「位の花雑貨店」と記されており、「位の花」という文字だったことが分かります。120年以上続いたお店といいますから、明治20年代の創業だったわけです。

 ここから先、六角通(誓願寺前)まで、特に古そうなお店は見当たりません(見落としがあったら、ごめんなさい)。
 そうそう、東側のMOVIX京都は、当時から続く映画館で、昭和9年は京都座と松竹座でした。


 寺町通にも古いお店が

 そこで、寺町通に移って、三条通から南へ歩いてみましょう。

 寺町通
  寺町京極商店街(三条通付近)

 いきなり、角に2軒の老舗があります。

西春、三嶋亭
  浮世絵 古版画 西春と三嶋亭

 左が、浮世絵などを扱う西春。当時の記載は「西村 江戸絵」となっています。
 隣が、言わずと知れた、すき焼きの名店・三嶋亭です。創業は、明治6年(1873)。三嶌兼吉が長崎で知った牛鍋を京都へ持ち帰った店といいます。高級店ですね。

 寺町三条から数軒下がった西側には、メンズショップ吉川があります。

 メンズショップ吉川
  メンズショップ吉川

 地図には「吉川洋服店」として出ています。この日は、たまたま定休日だったようでシャッターが閉まっていました。

 このあたりには、店は畳んだけれど、ビルをテナントに貸しているというところが数軒あります。
 昭文堂ビルや丸美ビルなどが、その例です。

 丸美ビル

 丸美ビル 丸美ビル

 丸美ビルには、古着店などが入っています。
 昭和9年時点は、「㊂食堂」となっていて、たぶん「まるみ」と読んだのでしょう。現在は、「丸美」です。
 この南に、丸美不動産という店舗があるので、そちらがオーナーさんなのでしょうか。

 最近まで、この向い側に、桜湯という風呂屋さんがありました。町名(桜之町)から取ったネーミングだと思いますが、朝からやっている銭湯として重宝な存在でした。現在、取り壊し工事に入っていて、来年着工でホテルになるようです。


 寺町六角周辺の伝統の店

 さらに南へ。
 寺町六角の角には、向かい合うように老舗が建っています。

 伊藤組紐店

 伊藤組紐店 伊藤組紐店

 北西角には、伊藤組紐(くみひも)店。
 地図には「伊藤糸店」とあります。
 創業は、文政9年(1826)頃といいますから、190年前からやっておられることになります。看板の文字も、新しそうですけど独特ですね。大徳寺の塔頭・孤篷庵の小堀亮敬師の書のようです。

 対して、南西角には、安田念珠店が。

 ロダン、安田念珠店
  安田念珠店(右) 左は理容店のロダン

 安田念珠店

 こちらは、天和3年(1683)創業。約330年前からの営業と、このあたりでも最も古いの店のひとつです。看板に記された「総本山御用達」が京都らしく、また寺町らしいご商売ですね。

 南隣のメンズカットクラブ ロダンも、あなどれません。明治43年(1910)に営業を始められたそうで、こちらも百年級です。地図には「長谷川理髪店」と書かれています。

 このさらに南に、地図に「池口力餅」とある、力餅本店があったのですが、いまは廃業です。

 力餅

 京都では、「力餅」「大力」あるいは「弁慶」「千成」など、力がつくネーミングのうどん屋さんが数多くあり、あわせて餅類も提供していました。こういう店もめっきり減りましたね。


 再び新京極へ、六角通以南

 誓願寺の前、つまり六角通より南の新京極を歩いてみましょう。

 新京極

 昭和9年(1934)の時点では、写真の右側(角)に交番がありました。
 2014年の暮れには、土産物店だった辨天堂が改築され、テナントビルになります。
 その辨天堂は、明治以来の古いお店です。通りの東側で「弁天堂小間物店」として営業されていたことが地図に見えます。現在も、その場所で営業中です。

  弁天堂 辨天堂

 その少し南の西側に、麺類の更科本店があります。

 更科本店
  更科本店

 明治7年(1874)創業の老舗。名物は、きしめんだそうで、京都では珍しいですね。

 蛸薬師に近づくと、地図では東側に、「朝日クラブ」(朝日倶楽部)と「キネマクラブ」(キネマ倶楽部)という2つの映画館が記されています。のち、京極日活(→京極弥生座→シネラリーベ)と菊水映画劇場(菊映)につながる館です。もっとも、今ではどちらも映画館ではなくなっています。

 その向い側に、眼鏡研究社玉垣と鞄館タニムラがあります。両店は、昭和9年の地図にある「玉垣メガネ」と「谷村袋物店」でしょう。

 眼鏡研究社玉垣 眼鏡研究社玉垣

 鞄館タニムラ
  京都新京極 鞄館タニムラ

 タニムラは、明治初期から商いをされているそうです。戦前の「袋物」という表現が時代を感じさせます。
 どちらも、店構えは新しいのですが、老舗ですね。

 蛸薬師
  蛸薬師 永福寺

 ということで、三条通から蛸薬師通まで見てきました。

 明治初期から現在まで、同じ場所で同じ商いをされている店は、わずか10軒余りでした。
 やはり繁華街らしく、入れ替わりが激しいのが特徴です。

 珠数や組紐、和菓子といった伝統的な品を扱う店もありますが、洋服店、眼鏡店、理髪店、すき焼き店など文明開化で登場した業種もみられます。こういった混在ぶりが面白いですね。

 次回は、蛸薬師通以南の老舗を探ります。

 
  安田念珠店 安田念珠店




 新京極商店街、寺町京極商店街

 所在 京都市中京区新京極通三条下ル桜之町ほか
 交通 阪急電車「河原町」下車、徒歩約10分



 【参考文献】
 「京極と其の附近案内」市民風景社、1934年
 新京極商店街振興組合ウェブサイト
 寺町京極商店街ウェブサイト


変わる河原町、BALビルも建設工事中





BALビル建設工事


 H&M、FLYING TIGER……、新店が続々と

 最近の河原町の話題といえば、11月20日にFLYING TIGER COPENHAGEN(フライングタイガー・コペンハーゲン)がオープンし、さらに11月29日にH&M(ヘネス・アンド・マウリッツ)がオープンしたということ(2014年)。
 前者がデンマーク、後者がスウェーデンと、どちらも北欧の企業。私も機会があったので早速のぞいてみたのですが、FRYING TIGERは、なにか楽しそうなお店、H&Mはオープン初日の夕方に行ったせいもあって、ちょっと狭いかなぁ、という印象でした。詳しいレポートは、たぶんこのブログの領域ではないので、他に譲りたいと思います。

 そんな中、昨年閉店したBAL(バル)ビルが建て替え工事を進めていました。
 2015年8月に完成予定だそうです。

  BALビル建設工事 BAL建設中!

 なにかにつけて、古い書物の記事を探してしまう私は、「まっぷる2001-02年版 京都へでかけよう」(2001年刊)の「河原町通」のページをめくってしまいました。
 そこには、BALもちゃんと載っています。

 オシャレと快適生活のヒントに…
 BAL[バル]
 若い男女に注目のファッションビル。5階の全フロアと4階にショップ展開している「無印良品」や地下1・2階のCDショップ「ヴァージンメガストア」をはじめ、有名ブランドブティックから雑貨店まで、人気ショップが集結している。
 最上階の8階にはエステティックやギャラリー、ヘアーサロンなどもある。


 文体が時代を感じさせますが、2001年すでに無印良品が入っていたのですね。
 私が持っているかつてのBALの印象は、古い表現ですが、高感度なファッションビルで対象は女性、というもの。だから、ほとんど立ち入ったことはありませんでした。
 しかしいつからかジュンク堂書店ができたので、よく行き、無印良品とともに愛用していました。


 なくなったビルの数々

 「まっぷる」には、いまでは姿を消したビルも、数多く登場しています。

 「まっぷる 京都へでかけよう」
  「まっぷる 京都へでかけよう」

 毎日行きたい雑貨マーケット
 ソニープラザ
 季節商品や流行の品々を飾った大きなショーウインドーが、道行く人を楽しませている。店内には雑貨、小物をはじめ、ステーショナリー、化粧品、洋服やバッグなどなど、実用品からアイデアグッズまでカラフルは品々で埋めつくされ、にぎやかだ。
 なかでも、ネイルケア用品やコスメグッズの豊富さはダントツ。チョコレートやビスケットなどアメリカ、ヨーロッパからの輸入菓子も種類、品数とも充実している。


 四条河原町上ル西側にあったソニープラザ。
 いまでいえば、FLYING TIGER ですね。ただし、北欧ではなくてアメリカ的な商品を扱っていました。HERSHEY(ハーシー)のチョコレートを売っていた印象が強いです。私は、ここで買ったビニル製のペンケースを高校時代使っていたような記憶があります。

 ヤングカジュアル洋品が充実
 河原町ビブレ
 河原町通から西へ入った、蛸薬師通に面して立つファッションビル。「45rpm」などを代表とするヤングカジュアル系ブランドが人気。流行の雑貨や小物も揃い、いつも女子高生の姿で賑わっている。
 4階のメンズセレクトショップ「DISH」では吉田カバンなど人気ブランドがトータルに揃う。5階の楽器店「ミュージックランドKEY」も、アマチュアからプロまで納得できる品揃えだ。


 蛸薬師通の北側にあったVIVRE(ビブレ)。
 ビル取り壊し前は、ここにLoFtが入っていましたね。確か、VIVREになる前はニチイ(スーパー)でした。

 現在、ここも工事中で、マンションになるようです。

 ビブレ跡
  VIVRE跡の工事現場

 そして……

 洋書の品揃えの良さが定評
 丸善 京都河原町店
 地上8階建ての大型書店。1階には、話題の本や新刊本、地図や旅行ガイドが揃う。2階は文芸書。3階では、心理学・宗教や哲学・思想、教育・保育などの人文書を扱っている。
 4階では文具やギフト雑貨も販売。5階は洋品やメガネ売場、6階のフロアには、看護や介護、医学書が充実。また、コンピュータ、情報処理、土木や建築の専門書も揃っている。7階はギャラリースペース。8階には洋書や児童書が充実。ひと息入れるなら、3階の喫茶「理文路[りぶろ]」が便利だ。


 言わずと知れた丸善。河原町蛸薬師の東側にありました。
 この紹介文は、丸善の全容と凄さを余すところなく伝えています。
 私が学部生の頃は、まだ8階建にはなっていなくて、階の上り下りも階段でした。読めもしない洋書のコーナーで米国の歴史書を立ち読み? したり、2階の洋品フロアで革靴を買ったり、丸善は知的な憧れの聖地でした。
 いまそのビルは、カラオケ店に。時代の変化を象徴的に表していて、少し悲しいです。

 映画をじっくり鑑賞するなら
 京都朝日シネマ1・2
 関西初の完全入れ替え制、劇場内での飲食禁止を実施している映画館。京都朝日会館の4階にあり、単館系ロードショー、ヨーロッパ、アジアなどの作品を厳選した独自のラインナップ。とくにモーニングショーやレイトショーは、社会的メッセージがあるものや日本の若手の作品などがずらり。(後略)


 朝日シネマ。三条河原町上ルの朝日会館にありました。現在では、京都シネマ(烏丸四条下ル、COCON KARASUMA 内)に継承されています。

 たった13年前なのに、ずいぶん変わりましたね。
 私は決して新しいものを否定する立場ではないのですが(むしろ新しいもの好きですが)、河原町や新京極から書店と映画館が軒並みなくなったことには、哀惜の念を感じずにはいられません。時代が変わった、と言えばそれまでだけれど、大切なものを失ったような気もするのです。




 河原町通

 所在 京都市中京区四条河原町上ルほか
 交通 阪急電車「河原町」下車
 


 【参考文献】
 「まっぷる2001-02年版 京都へでかけよう」昭文社、2001年