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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

ARCHIVE

【駅から、ふらっと1時間】京阪・三条駅から東へ、三条通界隈を歩く(その4)~寂光寺・頂妙寺~

洛東




寂光寺墓地


 要法寺の北、仁王門通へ 

 三条京阪から、ぶらっと歩くシリーズ。
 要法寺まで見てきましたが、その西門(高麗門)を出て、北に向かいます。 

 三条周辺行程図

 地図の新高倉通を北へ上がると、突き当たって東西の道に出ます。
 この街路が、仁王門通です。
 地図にも「西寺町」「東寺町」とあるように、このあたりは寺院が密集しています。もとは洛中(鴨川の西)にあったものが、江戸時代の大火の影響などで、ここに移転してきたものです。

 ちなみに、京都の人に「仁王門」と地名風に言うと、だいたいここをイメージしますね。
 バス停でも「東山仁王門」というのがあります。

 仁王門の名の由来は、のちほど訪れる頂妙寺の仁王門から来ています。正確には、二天門と言った方がよいかも知れませんが。

 頂妙寺二天門
  頂妙寺二天門

 その新高倉仁王門を左へ曲がると頂妙寺、右へ曲がると……

 寂光寺
  寂光寺

 寂光寺(じゃっこうじ)です。

 大原(左京区)の寂光院は知っているけれど、寂光寺は知らないなぁ、という方が多いでしょう。
 確かに、余り有名なお寺でないかも知れません。もっとも、今回歩くコースのお寺――檀王法林寺、要法寺、寂光寺、頂妙寺――は、みんな観光寺院ではありませんね。
 でも、結構おもしろいのです。

 寂光寺の門前には、こういうものが立っています。

 寂光寺

 「碁道名人」とあるように、囲碁の本因坊算砂(ほんいんぼうさんさ)の墓所があるのです。

 寂光寺本因坊墓所

 本因坊というと、江戸時代の囲碁の家柄として著名です。
 もともとは、寂光寺の塔頭・本因坊から来た名前です。その塔頭の僧・日海が、囲碁の名手で、本因坊算砂を名乗ったのです。

 寂光寺

 お墓には、「当山第二世/本因坊元祖/経 算砂日海上人」と刻されています。

 寂光寺も法華宗の寺院ですが、囲碁がお好きな方には欠かせないお寺ですね。


 仁王門通を西へ 

 三条周辺行程図

 寂光寺を出て、仁王門通を少し西へ戻ります。鴨川に向かう感じですね。
 すると、北側に立派な門が見えて来ます。

 頂妙寺
  頂妙寺

 頂妙寺(ちょうみょうじ)です。
 こちらも日蓮宗で、かつて京都にあった有力寺院(法華21か寺)のひとつです。

 私は、この頂妙寺が大好きで、ちょこちょこ訪ねています。まあ、ここをしばしば訪れるという人は、そんなにいません(笑)
 このブログにも何度か書いているので、読んでくださっている方もあるかも知れません。好きさが昂じて、見学会でみなさんを連れて行ったこともあります。

 どこがいいかというと、その第一は、やはり二天門ですね。

 頂妙寺二天門

 この門は、「都名所図会」や「花洛名勝図会」といった江戸時代の名所図会にも登場します。
 仁王門ではなく「二天」門と称されるのは、門の左右に持国天と多聞天を祀っているからです。でも、一般には仁王門で通っていたのでしょう。

 通りの名になるほど有名だったわけですが、門の立派さもさることながら、この二天にお詣りするとご利益があると信じられていたからです。

 花洛名勝図会(頂妙寺)
  「花洛名勝図会」より「頂妙寺」

 左の建物が二天門。右の建物が、門の拝殿!
 門に拝殿があるなんて、とっても珍しいですね。割拝殿(わりはいでん)だったので、拝殿の中を通り抜けて参拝できたのです。

 そして、門のまわりをお百度参りの人々がぐるぐる回っています。
 信仰があついなぁ、と思うと同時に、江戸時代の人ってイベント好きなので、こういうのをみんなでやるのも楽しかったのだろうな、とも思わせられます。

 「花洛名勝図会」より頂妙寺 お参りの女性たち

 門自体は、幕末の「花洛名勝図会」と比べても、ほとんど変わっていません。
 ただ、門前にあった拝殿は失われています。ちょっと残念な気分。

 でも、頂妙寺は、日蓮宗のお寺だけあって、本堂のほかにも妙見さんなど種々のお堂があります。
 それらをひとつずつ見ていくと、また1時間では足りなくなる…… ということなんですね。

 なお、二天門については、これまでに書いた記事もご覧ください。

 記事は、こちら! ⇒ <仁王門通の由来である頂妙寺とナゾの絵>、 <仁王門通の由来となった頂妙寺の門の上には、手紙が>
 
 ということで、頂妙寺を見終わったら、西方の鴨川べり(川端通)に出ます。
 川端通に出ると、三条京阪の駅までは3分ほどでしょうか。

 三条京阪
  京阪「三条」駅

 いかがでしたか?

 1時間の旅と言いながら、どうみてももっとかかってしまいそうな……
 でも、歩行距離は2km足らず。

 三条京阪で時間が余ったら、ぜひ訪ねてみてください!




 寂光寺

 所在  京都市左京区仁王門通東大路西入ル
 拝観  自由
 交通  京阪「三条」下車、徒歩約10分



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【駅から、ふらっと1時間】京阪・三条駅から東へ、三条通界隈を歩く(その3)~要法寺~

洛東




要法寺


 日蓮本宗の本山

 三条通を東に向かって進みます。

 三条周辺行程図

 南北に走る電車道(赤線)は、東大路通です。
 その少し手前、スタートの三条京阪から500m弱の地点に、こんな石標が立っています。

  要法寺石標

 日蓮本宗本山、要法寺。

 要法寺(ようぼうじ)は、鎌倉時代末に六条油小路に創建され、京都にあった法華宗二十一か寺のひとつとして勢力を張りました。
 天文法華の乱では堺に移りましたが、のち京都に戻り、豊臣秀吉の時代には寺町二条に寺地を構えました。
 江戸時代の宝永の大火(1708年)で類焼し、その後、鴨川の東の現在地に移っています(『京都市の地名』)。

 京都には、意外に日蓮宗の大寺が多いし、場所も頻繁に移転していて、要法寺もその典型に思われます。
 ちなみに、本能寺の変で有名な本能寺も日蓮宗ですし、たぶん次回訪れる頂妙寺も日蓮宗の大きなお寺です。
 日蓮宗では、その信仰の中心に法華経があり、「南無妙法蓮華経」という題目を唱えます。そのため、お寺の名前も「妙」や「法」のつくところが多いのです。京都で「妙」「法」のついた寺院に出会ったら、まずは “日蓮宗かな” と思ってみるといいですね。
 そう、大文字五山の送り火「妙法」も、もちろんこのことと関係があります。

 三条通からの導入路は、案外狭いです。

 要法寺への道

 進んで行くと、立派な四脚門があり、表門になっています。

 要法寺表門

 南面する表門。立派ですけれど、ここは閉ざされています。どうやら江戸時代から閉じられていたらしい。
 いまでは、便宜のためでしょう、この左の壁に穴門が穿ってあります。

 すぐに入ってもいいけれど、例えばこういうものを見るのも愉しいですね。

 高欄

 上部の水平材は鉾木(ほこぎ)と呼ぶのですが、それを支えている X形の材を握蓮(にぎりばす)と言います。元来はハスの形をしているわけですね。
 高欄の装飾によく見られる意匠ですが、もうハスじゃなくて別ものに変化していますね。こういうのもおもしろいです。
 あとで出て来る幕末の絵には描かれていないので、明治時代くらいに造られたものでしょう。場所柄、北白川あたりの石工の仕事かなと、勝手に想像したりします。


 池もある広い伽藍

 要法寺

 境内の東南隅から撮った写真。
 要法寺の全景写真は、なかなか難しく、撮れた人がいたら天才か魚眼レンズの持ち主ですね(笑)

 代わりに、幕末の「花洛名勝図会」(1864年)の絵図を紹介しておきましょう。

 花洛名勝図会1
  「花洛名勝図会」より「要法寺」

 右ページの端に表門がありますが、よく見ると柵で閉ざされています。「花洛名勝図会」の記述によると、ふだんは左ページの高麗門から入るようになっているそうです。図では「裏門」と書かれています。

 要法寺高麗門
  高麗門  西に向いて建っている

 中心部の拡大図です。

 花洛名勝図会

 ひときわ大きい本堂は、南面して建っています。
 その右に「新堂」と書かれているものがあって、現在の開山堂です。「花洛名勝図会」といった古い史料などには、お釈迦さんを祀る釈迦堂と記載されています。

 本堂の前には池があって、これは清涼池と呼ぶそうです。
 その左右に、鐘楼(右)と経蔵(左)があります。鐘楼は、袴腰のある背の高い典型的なスタイル。経蔵は、宝形造の屋根をした土蔵で、これもよく見るタイプですね。
 鐘楼は先ほどの写真に写っていますが、経蔵は今はありません。明治中期には、すでに山内の西端に移動していたようです。

 経蔵の左側には、手水舎があり、要法水などと呼ばれていたようですが、こちらも現在はありません。


 本堂を見る 

 本堂は、大きいですよね。桁行五間、梁間五間、江戸中期の建物です。
 非常に背が高い印象。江戸時代の仏堂らしい感じです。

 要法寺本堂
  要法寺本堂

 扉などを見てみるのも、おもしろいですね。

 本堂正面扉
 
 正面の五間は、フォールディングタイプ、つまり両折の桟唐戸(さんからど)になっています。桟などもガッチリしていて、大ぶりな造りです。
 
 本堂側面扉

 一方、側面には、横桟のある引き戸、舞良戸(まいらど)がはまっています。ちょっと簡素化したわけです。四間は舞良戸ですが、最後の五間目は花頭窓にしています(写真には写っていませんが)。上部は、菱格子でオシャレですね。

 昔、棟に上げられていた鬼瓦が、客殿の前に置かれています。明和8年(1771)の銘があるそうです。

 鬼瓦

 ちなみに、その横には立派な手水鉢があって、これは「花洛名勝図会」にみえる高麗門内にあったものなのでしょうか?

 手水鉢

 こちらは、寛保2年(1742)寄進と刻まれています。

 さらに、本堂の裏に回ってみました。

 本堂背面

 後ろにも、ちゃんとした向拝と扉がある近世仏堂らしい雰囲気です。
 どうしても気になるのが、樋の雨水を受ける天水桶。花崗岩で造られていて、左右一対です。

 天水桶

 正面には鶴丸の紋。
 少し丸みを帯びた造作で、きっちり脚も付いています。

 天水桶背面

 裏側を見てみると、明治27年(1894)5月に、大阪・蓮興寺の檀越・松原八重野という女性が寄進したことが分かります。
 もう一方の裏には、開山・日尊上人の550年遠忌に際して、ご先祖の菩提を弔うために造ったと記されています。日尊は、康永4年(1345)に没していますから、年も合います。

 1894年というと、歴史の教科書では日清戦争が勃発した年、ということになっています。
 でも、このお寺では、開山の遠忌が執り行われ、全国から大勢の信徒がやってきたことでしょう。そのさまをイメージするのもおもしろいです。

 私は、ここに刻まれた蓮興寺というお寺が気になって、帰ってから調べてみました。
 大阪市北区末広町にある要法寺の末寺で、大塩平八郎が出た大塩家の菩提寺として知られているようです。
 京都には本山寺院が多いので、大阪をはじめ各地の末寺から寄進が行われることも多く、お詣りしていると出会うこともよくあります。

 こういう石造物や奉納物を見るのは愉しいですよね。
 いろいろと想像が拡がりますし、調べると意外なつながりが分かったりもします。調べが付かないことも多いのですが、それもまた一興。昔の信仰の様子をうかがえる存在です。


 池と垣 

 本堂の前には、清涼池と称される四角い池があります。

 清涼池と本堂

 清涼池

 架かっている石橋は、救済橋というそうで、確かに親柱に「救済」の2文字が刻まれています。

 救済橋

 私が気になるのは、またしても石造物で、池を囲う垣です。
 上の写真にもあるように、小さな石製の柱を鉄棒でつないでいます。

 このひとつひとつに寄進者の名前が記されているのです。

 玉垣

 よく見ると、「大阪 中井○○」とあるでしょう。たぶん中井さん一族が各人の名前で寄進しているわけですね。
 
 玉垣

 別の箇所ですが、「大阪 津田○○」とありますね。こちらも一族ですね。

 四周ひとつ残らず見たのですが、全部大阪なんですよ!
 
 おそらく、先ほどの蓮興寺のような大阪の末寺の檀徒さんたちが、集団的に寄進したのではないでしょうか。

 要法寺のウェブサイトに掲載されている明治26年(1893)の全景図には、この垣は描かれています。
「大坂」でなく「大阪」と書いていることから、まずは近代のもので、明治時代の前半に建てられたものだと考えられるでしょう。

 参考までに、大阪で要法寺末の日蓮本宗の寺院がどれぐらいあるか、調べてみました。
『大阪府宗教法人名簿(平成3年版)』によると、大阪市内では蓮興寺、圓頓寺など5か寺、府内に2か寺あるということです。

 そんな感じで、いろいろ愉しめる要法寺。
 本堂の左には、江戸後期の開山堂もあります。

 本堂と開山堂

 要法寺開山堂

 天保頃のもののようですが、裳階(もこし)が付いた一見二階建風の造りで、背が高い建物です。
 正面の唐破風も、時代を感じさせますね。

 ということで、要法寺だけでも1時間くらい掛かりそう(笑) 
 全体を1時間でという企画に違反しますので、急いで次に歩を進めることにしましょう。


(この項、つづく)




 要法寺

 所在  京都市左京区法皇寺町
 拝観  自由
 交通  京阪「三条」下車、徒歩約10分



 【参考文献】
 「花洛名勝図会」1864年
 『日本歴史地名大系 京都市の地名』平凡社、1979年
 三好貞司編『大阪史蹟辞典』清文堂出版、1986年
 『大阪府宗教法人名簿』大阪府宗教連盟、1991年



【駅から、ふらっと1時間】京阪・三条駅から東へ、三条通界隈を歩く(その2)

洛東




三条通の長屋


 増えていく更地 

 前回、三条京阪の駅をスタートし、篠田屋や檀王法林寺をのぞいてみました。

 さらに、東へ向かいます。

 いろは旅館跡
  三条通 東を望む

 道路右側(南側)の空地は、いろは旅館が建っていたところです。
 いろは旅館は、2015年12月に閉館しました。

 私は京都に住んでいるので泊まったことはありません。修学旅行生などがよく宿泊していた印象です。旅館の前には空港バスのバス停があって、ここから早朝、伊丹空港へ向かったことをなぜか覚えています。

 跡地には、ホテルが建設されるということです。


 2軒の家屋
 
 いろは旅館跡の東側に、2軒の木造家屋があります。

 三条通の長屋

 長屋のような二階屋。
 実は、右の建物は有名で、「伏見」という居酒屋でした。

 伏見

 看板に「味の店 伏見」とあります。
 ここも入ったことがないのですが(すみません)、BSの「吉田類の酒場放浪記」などで見たことがあります。
 カウンターのある狭い店で、ボリュームのある料理を出す店と見受けました。

 こちらも、2016年5月末に閉店。
 京都新聞によると、昭和30年(1955)頃から60年にわたって営業してきたと言います。

 2軒の家の間には、路地があったようです。

 通路

 入口の上には、今では無用になった奥に住んだ人たちの表札が掛けられていますね。

 壁

 壁も年季が入っています。

 この2軒の隣りには、フェンスが立てられています。

 伏見と空地

 その向こうには広大な更地が拡がっています。

 空地

 先ほどの新聞記事には、「道路や公営住宅を整備する市の住宅地区改良事業」が行われると記されています。
 この空地にも、近いうちに高層住宅が建つのでしょう。
 

 さらに東へ 
 
 「伏見」から東へ進むと、仕出し店の辻留(北側)や、千鳥酢の村山造酢(南側)など、特徴ある顔ぶれが。

 辻留
  茶懐石 辻留

 村山造酢
  村山造酢

 辻留は明治35年(1902)の創業。初代は辻留次郎、二代目は有名な辻嘉一です。
 仕出し店は、いわば “出張” して料理を出されるので、店構えは普通の仕舞屋です。でも、名店であるのが京都らしい。
 仕出しは、京阪でよく使われるもので、家などに料理を取るスタイルですよね。辞書には「料理などを、注文に応じて調理して届けること。また、その料理」とあります(『日本国語大辞典』)。
 京都には仕出し屋さんが多いので、街を歩くときに気を付けて見るとおもしろいと思います。

 一方、村山造酢は、江戸中期の享保年間からご商売をなさっていると言います。なにげない店でも老舗が多いという、こちらも京都らしいですね。
 だいぶん前に社屋を建て替えられたのですが、古い建物のときは三条通に酢のにおいが漂って、少しばかり強烈な印象でした(笑)

 道沿いを見るだけでも、あきない三条通。
 こういうなにげない通りを歩き、ちょっとだけ脇にそれながら歴史を考えることが、実は大切。目的地に一目散ではなく、できるだけキョロキョロ、ウロウロして、感じることが大事です。

 そうこうするうち、左側にこんな標柱がありました。

  要法寺石標

 「本山 要法寺」。
 
 ここもちょっとおもしろいのですが、つづきは次回に。


 (この項、つづく)




 伏見

 所在  京都市東山区三条大橋東入ル二町目
 見学  外観自由(営業は閉店)
 交通  京阪「三条」下車、徒歩約3分




【駅から、ふらっと1時間】京阪・三条駅から東へ、三条通界隈を歩く(その1)

洛東




檀王と篠田屋


 鉄道ターミナルだった三条京阪 

 駅から、1時間ほどで愉しめるコースを紹介する<駅から、ふらっと1時間>。
 前回は、京阪・四条駅 ⇒ 三条駅 の見どころを取り上げました。

 今回は、そのつづきと言うべきでしょうか、京阪・三条駅から歩くコースです!

 京阪・三条駅
  京阪・三条駅

 京都では、京阪電車の三条駅あたりのことを「三条京阪」と言い習わしています。
 ちなみに、四条駅あたりは、もちろん「四条京阪」と言います。
 なぜだか分かりませんが「京阪三条」とか「京阪四条」とは言わないのですね。そう言えば、「四条河原町」とは言うけど「河原町四条」とは言わないとか、いろいろ言い癖があるものです。

 この三条京阪、かつては京阪電鉄(本線)の起終点でした。
 京阪は、大阪・淀屋橋駅と京都・三条駅を結んでいた鉄道でした。それが、京都方面を出町柳駅まで延伸し、あわせて七条ー出町柳間を地下線にしたのです。昭和64年(1989)のことで、鴨東線(おうとうせん)と称します。

 つまり、昔は四条や三条のあたりも、鴨川べりの地上を電車が走っていたわけで、なんとなくのどかな風景でした。学生の頃、先生らと一緒に、まだ地上を走っていた電車に乗って、京都国立博物館に行ったのを覚えています。

 そういうことで、三条駅も地上にありました。
 
 三条京阪
  かつて京阪・三条駅があった場所

 三条大橋の東詰、南側です。
 路線が敷かれていたところは川端通になり、ホームなどのあったスペースは、2017年3月現在、駐車場になっています(少し前まで「響宴」という飲食施設が建っていました)。

 当時、ここは本線のターミナルであると同時に、大津線の起終点でもありました。
 三条通を路面電車が東に向かって走っていたわけです。
 こちらも、現在では地下化され市営地下鉄となりました。
 
 
 三条大橋から歩く

 三条駅から地上に上がると、三条大橋を望むことができます。

 三条大橋
  三条大橋

 ここは東海道の起終点です。
 「都名所図会」(1780年)には、鴨川にダイナミックに架かる三条大橋を描いています。

 「都名所図会」より三条大橋
  「都名所図会」より「三条大橋」

 今日は、ここから歩き始めましょう!
 まず、ルートマップです。

 三条周辺行程図

 見づらくて、ごめんなさい。青い線がルートです。

 三条大橋(青丸)から、三条通を東(右)に進みます。東大路の手前で少し北上し、さらに仁王門通に出ると西へ。
 最後は、鴨川沿いの川端通を南下して、三条駅に戻って来るコースになっています。
 距離は、2km弱というところでしょう。

 スタート時、誰かと待ち合わせするなら、おなじみの高山彦九郎像の前で。

 高山彦九郎像

 江戸中期の尊皇家で、御所に向かって拝礼している姿です。
 そのため銅像は、北西を向いています。

 高山彦九郎像銘

 写真のように、徳富蘇峰も「高山彦九郎先生 皇居望拝之趾」と書いていますよね。お間違えのなきよう。


 お寺と食堂

 では、小旅行のスタートです。
 彦九郎像の前から、道路の向い側を見ると、目に飛び込んでくる2つのものがあります。

 それが、お寺と食堂です。

 だん王と篠田屋

 お寺は、檀王法林寺(だんのうほうりんじ)と言い、浄土宗の寺院です。通称「だんのうさん」。

 壇王法林寺

 そして、食堂は篠田屋。

 篠田屋

 篠田屋は、昔からここにあるように思います。「あるように」というのは、私たちも余り意識していなかったわけですが、最近はテレビに取り上げられたりして有名になりました。だから、近所でお仕事の方以外に、観光客も入っているようです。

 篠田屋

 実は、私は入ったことがないのですが(すみません)、BSの「ニッポン百年食堂」という番組などで見ましたね。
 京都によくある普通のうどん屋さん、という感じですが、看板には「中華そば、うどん、そば、皿盛」とあります。この皿盛が名物らしいですね。興味ある方は、ググってみてください(笑)
 観光の方でも入りやすいと思います。

 余談なのですが、京都では、うどん屋というのが昔はたいへん多くて(そば屋ではなく)、「大力餅食堂」とか「千成食堂」とか、力が付きそうな、景気がよさそうな名前だったものです。
 「大力餅」なんて名前から分かるように、餅を一緒に売っていたのですね。私事ですが、うちのジイサンは「弁慶」といううどん屋をやっていて、名前も力強いですが、昔は餅を置いていたようです。店内に、すでに使っていない餅つき機が鎮座していました。

 まぁ、こういうお店は、だいたい、うどんと丼を出すのが相場で、かつての昼食はそんなものだったわけです。


 ターミナルにある古寺

 西隣の檀王法林寺は、入口の高麗門をくぐっていくと、立派な楼門が聳えています。

 壇王法林寺

 この楼門には、四天王が祀られていて、少し珍しいですね。4面とも、のぞいて見比べてみてください。

 境内も意外に広いのですが、江戸時代には主夜神尊(しゅやじんそん)という神さまを祀っていました。もともとは夜の神さまなので、夜道を歩くとき盗賊に遭わないように守ってくれるとか、暗い海を航海するとき安全に進ませてくれるとか、そういうご利益があったようです。もっとも、江戸時代になると現世利益的なお願いも受け付けて? くれたのかも知れません。参詣者で、たいそうにぎわったようです。

  壇王法林寺 本堂前の灯籠

 本堂はふだんは閉まっていますが、お願いすると拝観させていただけます。
 私も昨年、予約して参拝しました。大勢でお詣りしたので、ご住職がお話をしてくださって、たいへん楽しかったです。「町寺」の面白さを感じてください、ということでしたね。

 最近では、招き猫でも有名です。

 壇王法林寺

 壇王法林寺

 本堂は、毎月1日にも開放されるということです。
 また、主夜神尊は、毎年12月第一土曜日の法要時に開扉されます。

 ということで、スタートした途端、篠田屋さんでゴハンを食べて、だん王さんで本堂参拝すると、1時間くらいすぐに経ってしまいそうです(汗)

 企画の趣旨に反しますので(笑)、先を急ぎましょう。


 (この項、つづく)





 檀王法林寺

 所在  京都市左京区川端通三条上る法林寺門前町
 拝観  境内自由(本堂参拝は毎月1日、または予約で、200円)
 交通  京阪電鉄「三条」下車、すぐ




 【参考文献】
 「都名所図会」1780年





まいまい京都で、粟田口を歩いてきました!

洛東




白川橋


 粟田口の光秀饅頭

 3月になり、少し暖かくなってきましたね。

 最初の土曜日、いつもお世話になっている<まいまい京都>さんの見学ツアーで、粟田口周辺を訪ねました。

 以前、1回やったことがあるのですが、行き逃した! という方も多いので、再度実施となりました。
 約20人の参加者と歩いたコースは、こんなふうです。

  地下鉄「東山」駅スタート
  白川橋
  明智光秀首塚
  植髪堂(青蓮院内)
  尊勝院
  粟田神社
  佛光寺本廟 


 だいたい三条通の1本南側あたりを歩く感じです。

 このあたりは、幕末の「花洛名勝図会」に詳しく描かれ、また「都名所図会」にも絵があります。現在の様子と名所図会を見比べながら、タイムトラベル気分を味わおうというツアーでした。

  明智光秀首塚 明智光秀首塚

 まず、明智光秀公の首塚にお参り。
 本能寺の変の後、無念の死を遂げた光秀公。いまでこそ織田信長が人気ですが、江戸時代には判官びいきの雰囲気もあって、光秀公は庶民の共感を集めていました。

 光秀饅頭 光秀饅頭

 首塚を護っておられる和菓子店・餅寅さんの「光秀饅頭」。
 家紋である桔梗の紋が焼印されています。
 あまりにおいしそうなので、その説明をする前に、即食べ! した方もいた ! !  餡ちがいの2色があります。


 不思議なシカ像

 そこからは、東へ。
 坂本龍馬とお龍さんが内祝言を挙げたという金蔵寺の跡(ここはかつて庚申堂として有名だった)を進みつつ、青蓮院の方へ。

 青蓮院の中には入らずに(ちょっとマニアックなツアーなもので…)、親鸞聖人の植髪堂をお参りします。
 お忙しい中、お寺の方が親切に解説してくださいました。

 そして。

 植髪堂 親鸞聖人遺髪塔

 昭和15年(1940)に建立された親鸞聖人の遺髪塔。その前に座っているシカ像についても、詳しく教えてもらいました。
 遺髪を収めた塔のところに、どこからかシカがやってきて、動こうとしなかったそうです。これは聖人に御縁のあることに違いない、ということで、シカは近所の京都市動物園に預け! 代わりに像を造ったと言います。不思議な話ですね。

 そのあとは、山を上って尊勝院へ。
 ホテルオークラ別邸粟田山荘の上にあります。

 ここは元三大師を祀った寺院で、加えてかつて下にあった庚申堂もお祀りされています。

 尊勝院

 御所周辺の市街地が一望。
 左大文字や船形も見えるし、いま話題の府立医大病院も見える! たいへん優れた眺望です。

 山を下りて、お隣の粟田神社へ。

 粟田神社

 ここのところ、女性の間では刀剣ブームで、今日も若い女性がたくさん参拝。朱印をもらっておられました。
 粟田口は、刀鍛冶が多かったところ。三条小鍛冶宗近ゆかりの場所でもあり、ここにも鍛冶神社が祀られていますし、向いには合槌稲荷神社もあります。

 私は、刀剣の方には不案内なので、もっぱらマニアックに石造物や奉納品を説明していきましたが……

 最後に、佛光寺本廟を訪ねて終了。

 2時間半のコースでしたが、参加者によると、わずか1,000歩くらいしか歩いていないとのこと。
 確かに、たくさん寺社はあるのですが、歩行距離にすると近いんですね。

 お天気にも恵まれ、参加者の方にも満足いただけた粟田口コース。
 みなさんも、歩いてみられてはいかがでしょうか。




 明智光秀首塚

 所在  京都市東山区三条白川下る梅宮町
 拝観  自由
 交通  地下鉄「東山」下車、徒歩約3分