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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

ARCHIVE

【新聞から】形を変えるラジオの宗教番組

寺院




ラジオ


 教え説くラジオ 時代の波
 東本願寺、64年の番組に幕
 朝日 2015年9月23日付 


 日頃、京都の神社仏閣を訪ねていると、数々の文化財に目を奪われ、その美しさに感動します。
 しかし、そのような体験を重ねるにつれ、素晴らしい文化財を生み出した信仰の心、ひいては宗教について、関心を抱くようになってきます。

 お寺や神社を参拝した際、関係の方と少々の会話をすることはありますが、宗教や信仰について深くお話することは、なかなかありません。
 そのため、文化財には詳しくなるけれど、それぞれの宗教、宗派が持つ肝心の「教え」を学ぶ機会は少ないとも言えます。

 教えを学ぶ簡便な方法に、テレビやラジオの視聴があります。NHKでは「心の時代」(テレビ)や「宗教の時間」(ラジオ)をオンエアしていますね。私も、放送は時間が合わないのですが、テキストを買って読んだりします。

 ところが、意外なことと言うべきか、各宗派などでも独自にラジオ放送を行っているのです。仏教、神道はもちろん、キリスト教や新宗教も。

 例えば、

 「法然さまの時間」(浄土宗)
 「西本願寺の時間」(浄土真宗本願寺派)
 「東本願寺の時間」(真宗大谷派)
 「高野山の時間」(真言宗)
 「伊勢神宮便り」(伊勢神宮)
 「天理教の時間」(天理教)


 などなど。

 海外でも宗教放送はさかんですが、日本にも結構あるのですね。

 東本願寺 東本願寺

 そんな中、朝日新聞に「東本願寺の時間」が放送終了になるという記事が出ました。
 ラジオの朝日放送で、昭和26年(1951)に放送開始。これまで64年間、3,400回にわたって続いてきたそうです。約10分の短い放送ですが、全国13局ネットと言います。

 朝日放送では午前4時50分からのオンエア、KBS京都でも5時からということで、さすがに聴いたことはありません。宗教番組は、早朝に放送されるものが多いので、なかなか聴く機会がないですね。

 記事によると、最後の放送は朝日放送が9月24日、KBS京都が9月25日。
 10月からは、ウェブサイト「浄土真宗ドットインフォ」内で動画配信を始めるそうです。

 一方で、「みほとけとともに 西本願寺の時間」は、昨年8月、番組のスタイルをリニューアル。ジャズボーカリストで真宗寺院の坊守でもある徂徠真弓さんをパーソナリティーに起用。ウェブでも聴くことができます。

 さっそく、試しに聴いてみました!

 8月に放送された「ドイツ生まれのお坊さん」(ラングナー寺本さん)や、9月放送の「若者に「戦争」を伝えるには」(藤丸智雄さん)などを聴きました。
 基本的に、ひとりのゲストの方が1か月(4回ほど)出演されるようで、時間は各6分ほど。
 ラングナーさんの回は、プロテスタントから浄土真宗に入られた女性が、お寺でどういうことを行っているのか、仏教に入ったきっかけは、といった話題を語っています。
 大学でも教鞭を執っている藤丸さんは、若者の戦争への意識を紹介しながら、どのように歴史を次代へ伝えていくかを述べておられます。

 聴いた感想は、もちろん宗教的、真宗的な話は出て来るのですが、そんなに宗教色は濃くなく、すっと入っていける内容でした。もちろん、ふつうのラジオ番組に比べると、話題は結構まじめ…… でも、NHKよりは遥かに柔らかいです(笑)

 西本願寺 西本願寺

 今回 “体験聴取” してみると、なかなか新鮮で、おもしろく感じられました。朝早い生放送だけだと接しづらいけれど、ウェブで聴けると、時間や場所を問わないので便利だと思います。

 6月に出演された釋徹宗さん(真宗寺院住職、大学教授)は、伝統的な宗教教団がラジオ番組を継続していく意味として、

・浄土真宗は、かっちりと枠があるタイプの宗派だが、そこを少し低くする役目を果たしている
・真宗では「お聴聞」が大事だが、ラジオは草の根型で、聴く姿勢を育てる

 
 と述べています。

 確かに、本願寺に行くと、気軽に堂内に入ってお詣りできるけれど、法話を聴く機会は余りないですよね。
 それをいつでも聴けるのですから、敷居が低くなるし、傾聴する姿勢も身につくでしょう。

 蛇足ながら、聴いていると、やはりしばしば真宗ならではの用語が登場します。
 上に記した中でも、

  「坊守」
  「お聴聞」 


 などが、そうですね。

 簡単に言うと、「坊守」(ぼうもり)とは<住職の奥さん>、「お聴聞」(おちょうもん)とは<法話を聴くこと>のようです。
 私は、「坊守」という言葉は初耳でした。釋さんの解説(2014年8月放送)でおかしかったのは、禅宗などは長く妻帯が認められていなかったので、奥さんを指す言葉がなく、最近では 「ジテイフジン」 などと呼ぶということ。

 私は、てっきり「自邸夫人」だと思いました。自宅にいる奥さんという意味で。
 ところが、調べてみると「寺庭婦人」なのだそうです……

 いろいろおもしろい宗教ラジオ。機会があれば、ぜひ聴いてみてください。




 東本願寺

 所在 京都市下京区烏丸通七条上る常葉町
 拝観 自由
 交通 JR「京都」下車、徒歩約5分


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きょうの散歩 - 近江で京都ゆかりの建物に会う - 2015.9.15 -

寺院




大通寺


 ぶらり近江散歩

 ふだんは京都市内をぶらつくことが多い私ですが、今日は近江(滋賀県)へ。

 京都に本山がある西本願寺と東本願寺は、全国に別院を持っていますが、近江にももちろん、いくつかの別院があります。
 特に気になるのが、湖北にある東本願寺(真宗大谷派)の別院、五村別院と長浜別院大通寺です。

 実は、今日訪れたのは、このふたつの別院でしたが、なぜかとても近くにあるんですね。
 クルマで10分程度でしょうか。距離を測ってみると、わずか4㎞しか離れていません。

 五村別院
  五村別院 本堂(重文)

 そして、いずれも本堂が重要文化財に指定されているのです。
 上の写真の五村別院本堂は、桁行九間、梁間七間という大きなお堂。享保15年(1730)の建立です。

 一方、長浜の街中にある長浜別院大通寺。

 大通寺
  大通寺 本堂(重文)

 こちらも、大きな本堂ですね。奥には、重文指定の広間などが連なっています。
 この本堂、寺伝では京都・伏見城から移築された建物とされています。欄間彫刻など彩色も美しく、これだけ立派であれば、さもありなんという感じですね。遠く湖北で、京都とつながりのある建物に接して感無量です。

 もっとも、こちらに限らず、史実としての “伏見城の遺構” がどこかにあるのか、という話はまた別です。
 文化庁のデータベースなどによると、大通寺の本堂は明暦3年(1657)に建築されたと考えられています。

 さらに素晴らしいのが山門。

 大通寺
  大通寺 山門(長浜市指定文化財)

 天保12年(1841)に竣工しました。
 上層には、釈迦三尊像が祀られているということです。

 興味深かったのは、門の解説板に書かれていたこと。
 この山門が、京都・東本願寺の門を模して造られたという話です。
 それはありそうなことなのですが、東本願寺の御影堂門はその後、幕末に焼失してしまいます。ところが、その再建時に、大通寺の山門が逆に参考にされたというのです。

 なるほど。
 確かに、今の東本願寺の御影堂門(明治44年=1911 竣工)も、こんな雰囲気です。“コピーのコピー” というわけでしょうか。

 近江にも京都あり、という逸話でした。




 五村別院

 所在 滋賀県長浜市五村
 拝観 自由
 交通 JR「虎姫」下車、徒歩約10分

 長浜別院大通寺

 所在 滋賀県長浜市元浜町
 拝観 自由 (広間などは有料)
 交通 JR「長浜」下車、徒歩約10分


90年前の拝観料は? - 京都の有名寺院をさぐる -

寺院




銀閣寺


 物価が急上昇した大正時代

 寺院の参拝には、拝観料がつきもの。
 近代になると、定額の拝観料を徴収するようになりますが、今回は大正末の金額を書いた史料を紹介しましょう。

 その前に、約90年前の当時の物価を現在と比較する必要があります。
 私がいつも使っている換算レート? は、“昭和初期は2,000分の1” というもの。
 つまり、80~90年ほど前の10円は、現在の2万円ほどに相当するというものです。

 ちなみに、大正時代(1912~1926)は、その間に第一次世界大戦(1914~1918)をはさんでおり、輸出も伸びて好景気となり、物価は急上昇しました。インフレは庶民を苦しめ、大正7年(1918)の米騒動につながりました。米騒動は、よく「富山の漁村の主婦たちが……」と言われますが、その後、全国に波及し、京都も早い段階で米騒動が起こっています。

 このため、物価がいくら? を考える際にも、大正の初めと終わりとでは、ずいぶん異なります。
 このあと紹介する史料は大正14年(1925)のものですから、米騒動後の昭和初期並みと考えておきます。

 大正時代は、「大正デモクラシー」などプラスのイメージも強いと思いますが、庶民にとっては結構苦しい時代でもあったのです。


 松川二郎 『名所回遊 四五日の旅』

 松川二郎。
 “花街ライター”として著名な人物ですが、たくさんの旅行案内も執筆していました。
 私も何冊か著書を持っているのですが、今回紹介するのは、大正14年(1925)に東京・有精堂書店から出版された『名所回遊 四五日の旅 改版』というものです。

 松川二郎『名所回遊四五日の旅』
 『名所回遊 四五日の旅』
 「京都見物」のページ

 全国の名所を「東京見物」「房総海岸めぐり」「善光寺まゐり」といったふうに、テーマ別にまとめている案内書。ちなみに、この本自体は490ページもあって、金2円です。現在に換算すると、4,000円くらいということで、ちょっと高いかなぁ。

 当時、2円出せば、<目薬10コ>、<とんかつ10杯>、<タバコ28箱>、<たいやき133コ>買えました。意外にタバコが安いですね。


 有名寺院の拝観料は?

 では、京都の寺院の拝観料はいくらだったのでしょうか?

 金閣寺 金閣寺

 まず、金閣寺ですが、次のようになっています。

  金閣寺  特 50銭、並 20銭

 「特」と「並」の区別が !? 
 値段も倍以上で、どう違うんだろう?

 特なら、1,000円。当時なら、<うな重1杯>と同じ値段。<コーヒー10杯>飲めました。
 うな重と同じなら、さぞかしなサービス……でしょうね。推測では、これは金閣の内部に入れたのではないでしょうか? 昔、なかに入れたという話はよく聞きます。

 並なら、400円。
 現在の拝観料と同じ! すばらしいですね、90年間据え置きです。

 つづいては、銀閣寺です。

  銀閣寺  特 30銭、並 20銭

 こちらも、特と並です。
 現在の拝観料は500円ですから、ちょうどこのくらい。

 さて、ここからは値段別に。
 20銭、いまの400円クラスは、次の寺院。

  三十三間堂、仁和寺  20銭

 20銭といえば、当時<かけそば2杯><ビール ジョッキ1杯>飲食できました。
 いま三十三間堂は600円、仁和寺は御殿拝観が500円です。微増ですかね、こちらは。

 つづいで、10銭、現在の200円クラス。

  平安神宮、知恩院、大仏殿(方広寺)  10銭

 平安神宮 平安神宮

 昭和の初め(1933年)の話ですが、大阪で初めて地下鉄が開通したとき、運賃は10銭でした(梅田-心斎橋)。最近まで200円でしたが、2014年4月から180円に値下げされています。

 平安神宮は、現在、神苑が500円。倍増です。
 知恩院は、庭園拝観が300円。
 方広寺の大仏は、焼けてしまいましたね……

 次は、5銭、いまの100円クラスです。

  大徳寺、八坂の塔(法観寺)  5銭

  八坂の塔 八坂の塔

 大徳寺は、いまは塔頭ごとの拝観です。八坂の塔は、400円みたいですね。でも、ここは塔内に入れて、とてもおもしろかったです!

 最後に、無料(笑)

  東本願寺、西本願寺  無料

 無料のところは、他にも多いでしょう。両本願寺は、いまでももちろん無料です。
 
 ちなみに、博物館(京博)と動物園は5銭でした。

 どうでしょう? 相場的には現在より少し安めかな、という印象です。
 拝観料の問題は、かなり興味深いので、また時間があれば調べてみたいと思います。


  松川二郎『名所回遊四五日の旅』装丁




 【参考文献】
 松川二郎『名所回遊 四五日の旅 改版』有精堂書店、1925年
 週刊朝日編『値段の明治大正昭和風俗史』(正・続・続続・完結)朝日新聞社、1981~1984年



昭和9年の室戸台風は、京都の文化財にも大きな被害を与えた

寺院




室戸台風の被害(「上方」より)


 昭和9年9月21日の風水害

 最近の異常気象は、自然の猛威の恐ろしさを感じて余りあるものがあります。歴史的に振り返ると、いつの時代も激しい災害に見舞われており、私たちの歴史は自然との共存と闘いの歴史であったともいえます。

 台風の災害でいえば、終戦後の昭和20年代に強い暴風を伴う台風が数多く襲来し、大きな被害を与えたことが知られています。その前駆というべきでしょうか、昭和9年(1934)9月21日の朝に関西を直撃した室戸台風は、多くの人命や財産を奪い、人々の記憶に深く刻まれた風水害でした。
 最低気圧は911ヘクトパスカル、瞬間最大風速60メートル、死者・行方不明者は3037名にのぼりました。

 この台風は、殊に大都市・大阪に甚大な影響をもたらしたのですが、それを象徴的に表す出来事が、四天王寺五重塔の倒壊でした。
 一般にお寺の塔は倒れないものと相場が決まっており、幸田露伴の「五重塔」にも描かれています。
 ところが、室戸台風は四天王寺の五重塔を倒したのでした。倒壊後、塔自体の造りに不備があったのではという見解も出されるのですが、とにもかくにも強烈な暴風が吹き荒れたのでした。


 京都の文化財の被害 

  「上方」表紙

 大阪の南木芳太郎が編集、発行する郷土雑誌「上方」は、昭和9年(1934)10月号を<上方大風水害号>と特集を組みました。その表紙は「大台風四天王寺五重塔倒壊図」(長谷川小信画)。倒壊現場と、包帯を巻いた仁王さんが描かれています。
 巻頭で南木は、「今度突如襲来せし台風高潮は未曽有の事とて近畿地方の蒙れる惨禍は実に甚大にして戦慄の外無之候(これなくそうろう)」と述べています。

 「上方」は、ふだんは大阪を中心とした郷土誌ですが、この回は関西一円の台風被害についてページを割き、京都についても、文化財の被害を中心に詳しく触れています。特に、京都の被害写真は20葉にものぼります(冒頭の写真は「京都東福寺境内山門の袖破壊」)。
 いくつか紹介しましょう(キャプションは「上方」掲載のまま)。

 室戸台風の被害(「上方」より)
 「京都嵐山散策道附近の倒木」

 保津川に沿った遊歩道の様子です。

 寺社にも被害が出ました。

 室戸台風の被害(「上方」より)
 「京都法然院山門の倒壊」

 室戸台風の被害(「上方」より)
 「京都醍醐寺三宝院純浄観の倒壊」

 室戸台風の被害(「上方」より)
 「京都大徳寺境内の倒木と塀の破壊」

 室戸台風の被害(「上方」より)
 「京都豊国廟下の日吉神社の拝殿倒壊」

 室戸台風の被害(「上方」より)
 「荒れはてた南禅寺境内の倒木」


 同誌は、大阪毎日新聞の記事を引用し、国宝建造物の復旧に要する費用は12万7000円余と記しています。その内訳は……

 賀茂別雷神社 上屋全壊 7000円
 建仁寺 方丈全壊 10万円
 醍醐寺三宝院 純浄観全壊 1万5000円
 荒見神社(久世郡)本殿全壊 5000円
 賀茂御祖神社 橋殿・御供所半壊 金額調査中


 それ以外に、被害のあった主な社寺をあげると……

 石清水八幡宮/平野神社/吉田神社/北野神社/八坂神社/平安神宮/(伏見)稲荷神社/松尾神社/妙心寺/西本願寺……

 などを含め、全部で25社寺が被害を受けています。


 北尾鐐之助のコメント

 この大阪毎日新聞の報道を北尾鐐之助も引用し、『京都散歩』中の「台風破壊の跡」に次のように記しています。

 これ等の建物の被害は、直接風力によつて破壊されたものは至つてすくなく、多くは四囲の樹林や大木などが倒れ、その下敷になつて屋根などを打ち砕かれたものである。しかし、京都府下には、凡そ三百棟に近い国宝建造物があるが、その大部分は破損を免れ、殊に最も風力を受けた筈の市内の木造塔婆が、一ツも倒壊しなかつたのはまるで奇蹟のやうであつた。(348ページ)

 大阪では五重塔が倒れましたが、京都では木造塔婆、すなわち五重塔や三重塔などがひとつも倒れず「奇蹟のようであった」と述べています。
 また風致林の被害は激しく、殊に清水の音羽山は「背後の山が殆ど坊主山になつてしまつた」と記しています。

   室戸台風の被害(「上方」より)
  「京都音羽山(清水寺奥ノ院)の倒木惨状」(「上方」より)

 北尾は、8ページにわたる報告を、次のように締めくくっています。

 京都の市中をとり廻らす風致林の色彩が、今後何十年かして、或ひは一変するやうなことになるかもしれない。また、倒れた古建築も、やがて修理をして再び立ち上るであらう。しかし、一旦傷けられたものは、形態はとも角として、時代のもつ感覚や、気品が非常に減退するやうな気がする。あの一時間にも足りない一吹きの嵐が、すべての景観を破壊し、一千年に亘る間の人類の仕事の中で、最も高きものゝいくつかを奪ひ去つた。
 自然の愛は限りがなく、自然の暴虐もまた限りがない。(353-354ページ)



 小学校の倒壊

 最後に、ぜひ触れておきたいことがあります。それは学校の被害です。
 室戸台風が、京阪神を襲ったのは午前8時頃でした。折しも登校してきた児童たちが倒壊した木造校舎の下敷きとなり、それを救おうとした教員もまた犠牲になりました。京都市内でも南部の小学校を中心に校舎の倒壊が数多く見られ、尊い命が失われました。

 室戸台風の被害(「上方」より)
 「京都西陣小学校の倒壊」(「上方」より)

 西陣小学校の旧校舎の倒壊の模様です。この写真は、児童たちを救出しているところを撮影したもののようです。
 当時、10教室で学んでいた約500名の児童と教員が下敷きになり、41名の児童が亡くなりました。

 校舎の復興は昭和11年(1936)になされ、風水害にも耐える鉄筋コンクリート造3階建の校舎が竣工しました。

  西陣小学校
  西陣小学校 校舎

 上京区のホームページには、「学区案内」が掲載されています。
 桃薗学区、すなわち桃薗小学校は、私も記憶にあるのですが、大宮今出川を上がってすぐの場所にありました。西陣学区の南隣の学区です。
 ホームページには、卒業生の思い出が載せられていますが、一様に室戸台風の思い出を語っているのです。

 私たちの学校は台風の直前に鉄筋コンクリートの校舎ができて無事だったが、お隣の学校では大勢の友達が亡くなった、と。

 ほんの一足早く鉄筋校舎が出来たために助かった児童たちと、木造校舎で命を落とした児童たち。
 関東大震災以降、校舎をはじめ、建造物や橋梁では耐震耐火化が必須の課題でした。しかし予想外にも、台風が関西を襲うことになったのです。人生の不条理というには余りにも悲しい出来事で、言葉を失います。



 【参考文献】
 郷土雑誌「上方」46号(1934年10月号)
 北尾鐐之助『京都散歩』創元社、1934年
 京都市上京区ホームページ



きょうの散歩 - 奈良で京の仏像に会う - 2013.9.15

寺院






  みほとけのかたち展


 奈良に行って京の仏像に会うというのも、乙なもの。
 今日は、台風が接近するなか、奈良国立博物館に行き、特別展「みほとけのかたち-仏像に会う-」を見てきました。ほとんどが奈良の仏像だったのですが、数件だけ京都の仏さまも出ていました。

  『概説三十三間堂』表紙
  『概説 三十三間堂』表紙

 私が出会った京の仏像は、三十三間堂の千手観音菩薩立像です。
 
 出品されていた像は、運慶の子・湛慶の作になるもの。
 いつも三十三間堂に行くと、南の端の方の仏像に不在があるのに気付きます。彼らは、京都、奈良、東京の国立博物館に“出張”されているのですが、おそらく今日の仏さまも“奈良出張”の方なのでしょう。

 三十三間堂内陣(『日本地理大系』7より)
  三十三間堂内陣(『日本地理大系』7より)

 ふだんはこのように、千体並んでおられるので、単体でお目にかかることはありません。
 ところが今日は、展示室の中で、たった独りで立っておられたのです。実に珍しい光景でした。

 そこで、私が気付いたいくつかのこと。

(1)すごくスマート
 思いのほか、ほっそりとしておられます。像高は166cmと等身大ですが、横から見ると腰の位置が極めて高く造られています。まさに人間離れしていて、スマートです。

(2)顔の大きさが変わる
 いつもは、割合近い位置から拝見しています。ところが、展示室で5mも離れて見ると、頭も小さくて細い体躯です。ところが、徐々に近づいて2mとか1mとかで見ると、頭が物凄く大きく見えます。
 一方、立って見るよりも、しゃがんで見る方が顔は小さく見えます。
 顔が大きいと迫力があり、小さいとコンパクトに感じられます。実際の御堂の中では、参拝者は低い位置から雛壇上を見るわけですから、顔は小さく見えているのでしょう。
 仏師は、どのように思って造ったのか、気になります。

(3)下から見上げると、もっとスマート
 しゃがんで全体を見ると、脚がより長く見えて、とてもスマートです。
 こちらも、制作の際、どういう計算で造られたのか不明ですが、おもしろい発見でした。

 という感じで、いつもと違う空間で、異なった見方をすると、見慣れた仏さまも多彩な表情を見せるのでした。
 この展覧会では、千手観音菩薩は「持物」の説明コーナーに登場されていたのですが、私は持物そっちのけで、前に行ったり後ろに下がったり、立ったりしゃがんだりと、忙しく御像を拝見したのでした。

 仏さまは別に美術品ではありませんし、博物館の中に安置されるものでもありませんから、お寺の御堂の中でどのように見えるか、信心されるかを考えるのがよいような気がします。
 今日は、そのあたりを再考するヒントをもらったような感じでした。また、三十三間堂を訪ねた折に、再確認してみましょう。


 奈良の鹿

 特別展「みほとけのかたち-仏像に会う-」 2013年7月20日~9月16日、奈良国立博物館



 【参考文献】
 『みほとけのかたち』奈良国立博物館、2013年
 『日本地理大系』7、改造社、1929年
 『概説 三十三間堂』三十三間堂本坊妙法院門跡、1976年