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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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【大学の窓】他大学に武者修行? - 博物館学の講義に臨む -

大学の窓




大学キャンパス


 他大学へ!

 毎週非常勤で行っている(仮称)上京大学の授業は、春学期も残すところあと数回。来週は、グループ研究をしている学生たちが、テーマの方向性を発表します。

 そんななか、私はといえば(仮称)杉本大学へ行き、博物館学の講義を1コマ担当します。

(仮称)杉本大学は、関西の公立大学で、戦前の商科大時代からつづく名門です。
 私が勤務する財団と連携協定を結んでおり、各館長や学芸員らが博物館学の3講義を担当しています。

 今回、私が1コマ担当するのは「博物館経営論」。
 春学期だけの授業、ということは全15回だと思うのですが、私は最後から2番目くらいですか。
 内容は<他館・他機関との連携>というものです。


 博物館経営論の講義

 昔話で恐縮ですが、私が学生だったころは、博物館を “経営する” なんてことは誰も考えていませんでした。だから、博物館学の授業でも、そんな科目はなかったわけです。
 博物館学といえば、資料の収集・保管、調査・研究、展示、教育・普及、という4本柱を学びました。
 現在では、ここにマネジメント(経営)が入って来たわけです。20年余り前には、博物館マネジメントに関する学会も設立されており、そのような関心が徐々に高まってきたといえるでしょう。

 私が担当するテーマは、博物館が他の博物館・美術館や地域にある機関・施設とどう連携していくか、というものです。

 実は、これまで私は、広報とか企画とかボランティアとか、博物館の “周縁部”? にあるともいえる仕事を長くやってきました。例えば、広報の仕事なんて、学芸員で自ら進んでやりたいという人はほとんどいないジャンルです。みんな、展示とか調査研究とかをやりたいわけですからね。ただ、そういう仕事も誰かがやらなければならない、でも専門の担当者を置くほどの余裕もないので、「仕方なく」学芸員がやっている、というのが現実ではないでしょうか。

 それを大学生に話したら、いったいどのように受け止められるのだろうか? これは、ちょっと興味深い問題です。
 純粋に、重要な仕事ですね、と思ってくれるかも知れない……

 大学構内

 少なくとも日本の学芸員は、仕事の幅が広い、つまりいろいろな種類の業務をこなさないといけない、というのが現実です。
 言い換えれば、諸外国に比べて、仕事が分化(分業化)されていないといえます。
 はっきり言って、毎日、広報や他機関との連携といった仕事をやっていると、他の業務に割ける時間も体力・気力もなくなってきます。
 
 それを思うと、学芸員志望の学生は、展示をやりたいとか、文化財に触れてみたい、と思っているわけですから、やはり他館・他機関との連携には興味を持たないのでしょうか。

 あと10日ほどで講義なので、いま何を話そうか思案しているのですが、彼らの反応を探るような授業にするのも面白いかも知れませんね。




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【大学の窓】京都で歴史を学ぶ大学生の出身地 2017

大学の窓




クラーク記念館と桜


 今年は意外な傾向が!

 桜も満開の春、4月。

 新学期となり、非常勤で行っている(仮称)上京大学にも、新入生が入学してきました。
 歴史を学ぶ学科は、日本史と西洋史に分かれていますが、今年は 8 対 5 の比率で日本史が例年以上に多かったようです。

 毎年、自己紹介で学生が出身地を言ってくれます。それを記録するのが、この「京都で歴史を学ぶ学生の出身地」です。

 集計を始めて、5年目。
 今年は、ちょっと意外な傾向が出ました。

 さっそく見ていきましょう。

 左端が今年、その右が2016年、2015年とつづき、右端が2013年の人数です。


 【北海道・東北】 3名-4名-2名-3名-3名
  北海道 1-2-2-2-1
  岩手  0-0-0-0-1
  山形  0-0-0-1-0
  宮城  0-1-0-0-0
  福島  2-1-0-0-1
 【関東・甲信越】 12名-15名-7名-7名-11名
  群馬  0-1-1-0-1
  栃木  0-0-1-1-0
  茨城  1-1-0-0-1
  埼玉  0-1-1-0-0
  千葉  0-2-0-0-1
  東京  0-1-1-1-1
  神奈川 0-4-0-1-1
  山梨  1-0-0-0-1
  新潟  2-0-0-1-1
  長野  5-1-1-2-2
  富山  3-0-1-0-0
  石川  0-1-0-0-0
  福井  0-3-1-1-0
 【東海】 13名-5名-6名-9名-11名
  静岡  4-2-0-5-2
  岐阜  1-2-0-1-2
  愛知  6-1-5-2-6
  三重  2-0-1-1-1
 【関西】 38名-23名-42名-31名-28名
  滋賀  0-5-2-3-2
  京都  6-6-7-6-6
  大阪  21-7-14-13-10
  奈良  3-1-6-1-2
  兵庫  8-4-11-8-8
  和歌山 0-0-2-0-0
 【中国・四国】 6名-9名-9名-8名-8名
  岡山  2-2-0-1-2
  広島  2-5-4-3-2
  鳥取  0-0-1-1-0
  山口  1-0-0-1-1
  徳島  1-0-0-0-0
  香川  0-1-0-0-1
  愛媛  0-1-1-1-1
  高知  0-0-3-1-1
 【九州】 7名-9名-3名-7名-10名
  福岡  6-7-1-3-6
  佐賀  0-1-0-0-0
  大分  0-0-1-1-2
  長崎  0-0-0-0-1
  熊本  0-0-0-2-1
  鹿児島 0-0-1-1-0
  沖縄  1-1-0-0-0
 【海外】 0名-1名-4名-2名-2名
  中国  0-0-4-2-1
  香港  0-1-0-0-0
  フランス 0-0-0-0-1

 合計79名で、ここ5年で最高の人数になっています。

 礼拝堂と桜


 大阪が激増!

 昨年(2016年)は、大阪・兵庫勢が減少し、関東・甲信越が増えていました。
 今年は、というと、大阪が21名! と過去最高を記録 ! ! 全体の4分の1を占めました。
 兵庫も8名と復活しています。

 一方、関東は茨城のみで、東京は初のゼロ。甲信越は、長野や富山が増え、山梨出身の学生もいます。
 東海は、愛知、静岡、三重が増えて、過去最高の13名になりました。

 今回、初登場したのは徳島県。
 ただ、他の四国3県はゼロでした。
 青森、秋田、島根、宮崎は、いまだ登場しません。

 また、留学生は、初めていませんでした。

 今年は、東日本出身の学生も多かったけれど、大阪府の突出は意外でした。関西色が強まるかなぁ、という気もします。

 そんな学生のみなさんと、今年も演習スタイルで、“はじめての研究” をやってみましょう!
 きっと楽しいですよ ! !


  啓明館と桜



【大学の窓】卒業式のシーズンに思う

大学の窓




大学


 はかま姿の女子大生も

 先日、街を歩いていたら、袴姿の女子大生を見掛けて、もう卒業式シーズンか、と思いました。

 そう言えば、私が非常勤で行っている上京大学(仮称)も、毎年、昨日今日あたりが卒業式なんですよね。
 もっとも、私自身は卒業式に出るわけもなく、ただニュースなどで、○○大学の学長の祝辞がこんなふうだった、という記事を読む程度です。

 大学の卒業式は、学位授与式、つまり学部なら「学士」という学位を与える式ということです。
 戦前では、学士というとちょっとしたエリートでしたが、今では大学を卒業しても、自分が「○○学士」になったという実感すらないでしょう。

  煉瓦校舎


 4年間での成長

 私の非常勤の授業は、1回生(1年生)が受講生です。演習なので、ふつうの授業より近い距離で接することが多いかも知れません。歴史研究のやり方を初めて実践してもらう入門編的授業です。
 
 いつも気掛かりなのは、この学生たちが4年間大学で学んで、どう成長していくのか、ということです。
 毎年毎年、1回生ばかり教えているので、専任の先生方のようにその成長を追っ掛けていくことができません。なので、彼らの2年後、3年後がとても気になるのです。

 まぁ、常識的に考えて、4年も在籍していれば成長して当たり前、ということで、疑問を持つ方がおかしい。
 と言いつつ、気になるのが “親心” かも知れない……と思います。

 実は、自分の本職(博物館の学芸員)でも、近年、若い人にお話しするとか指導するとかいった機会が増えてきてるんですね。
 自分が年を取った証拠ですが(苦笑)、若い人を育てるということに少し責任感みたいなものすら感じるようになってきました。困ったなぁ、というのが偽らざる気持ちです。

 椅子

 私にとって、1月から3月というシーズンは、新学期を控えて「教育」というものに関心が高まるシーズン。
 いつもこの時期になると、書店の棚の前で教育や授業の本を探してしまう――そういう季節です。

 ところが、今年はなぜかそのような感じが薄くて、不思議です。
 もちろん、昨年の授業がうまくいったから、ではなく……、なんでしょうか、少し割り切れたのかも知れません。

 ただ、今年度ひとつよかったなということがあったのです。
 年に1回、みんなで本を読んで感想を述べ合う時間があります。私の選んだ書物は、石牟礼道子の『苦海浄土』でした。水俣病を取り上げた小説です。

 これは、初めて選んだものでした。
 そのため、学生の感想がどうなのか、少し不安でした。
 結果的には、みんな水俣病に関心を持ってくれ、企業と地域・公害の関係などについて、いろいろ思いをめぐらせてくれたようでした。

 年度末に授業の感想を問うアンケートで、このことを取り上げている学生がいました。
 彼は九州の出身だったと思いますが、『苦海浄土』を読んだことで水俣病に強い関心を抱き、ぜひ水俣にも足を運んでみたいと書いていました。

 こういう声は、とてもうれしいですね。
 授業というのは、文字通り、何を授けるかが問われるのだと思います。その意味で、今年授けたひとつ『苦海浄土』は、我ながらよいチョイスだったなと安堵しました。

 という間に、新学期まであと10日。
 また考えないといけませんね。 



【大学の窓】給付型奨学金が、もうすぐ始まる

大学の窓




京都大学


 ひとり月2万円~4万円

 大学時代に借りた奨学金を返せない若者が増えている、という状況をうけて、国は新年度から給付型奨学金、つまり返さなくてもよい奨学金を導入することになりました。

 もちろん、すべての学生に給付されるわけではありません。
 住民税非課税世帯の学生に限られるということで、比較的所得の低い世帯を救済する制度になっています。

 また、そのすべてに給付されるのでもなく、各学年2万人に限定。金額も、国公立か私立か、自宅生か非自宅生かで給付額が異なり、2万円から4万円の幅があります。
 仮に月4万円もらっても、年額48万円ですから国公立大学でさえ学費の全額はまかなえないことになります。


 5割が大学に行く時代だが……

 いま日本の大学進学率は約5割です。
 しかし、60年ほど前の昭和30年(1955)は、約8%にすぎませんでした。
 この半世紀で、飛躍的に進学率が上がりました。

 OECD加盟国の大学進学率の平均は、62%(2010年)。日本よりも10ポイントほど高くなっています。
 世界の中で最も高い国は、オーストラリアで96%。次いでアイスランド93%、ポルトガル89%、ポーランド84%、ニュージーランド80%となっています。スウェーデンやノルウェーは76%、アメリカは74%、イギリスは63%です。
 
 日本も50%を超えて “増えたなぁ” と思ったのですが、国際比較すると、まだまだといったところかも知れません。
 日本では、大学進学と親の収入との間に相関関係があることが知られています。俗っぽく言えば、お金持ちほど子供を大学に進学させやすい、というわけです。
 つまり、大学へ行くには(入学前の段階も含めて)大変お金がかかる、ということなのです。

 ところで、義務教育はもちろん無償なわけで、いまではほぼ100%の人たちが小中学校で学んでいます。
 ところが、戦前、あるいはもっとさかのぼって明治時代などでは、子供を小学校にやることは必ずしも好まれていませんでした。学校に行かすよりも働かせる方がよいと思っていた親が多数いたのです。

 よく知られた話ですが、明治27年(1894)和歌山県に生まれた松下幸之助(パナソニック創業者)は、小学校中退でした。幼くして、大阪に丁稚奉公に出されたのです。松下さんは大変すぐれた経営者なので、自伝などを読むと若い時分から優秀だったと思いますが、必ずしも小学校に行ける家庭状況ではなかったわけです。
 もっとも、松下さんの時代でも就学率は9割を超えています。その一方で、卒業できない児童も数割存在したようで、松下さんもその一人でした。

 また、現在の高校進学率は約95%もありますが、昭和30年(1955)は約5割にすぎませんでした。それが、半世紀の間に100%近くになったのです。


 50%の「ガラスの天井」 

 では、大学もこの先100%の進学率に近付くかというと、そうは考えられていないようです。
 吉川徹氏によると、大学進学率には50%で頭打ちになるという「ガラスの天井」があるそうです。
 なぜ50%で頭打ちになるかというと、「何が主たる原因なのか、いまのところ確定的なことはわかっていません」(『学歴分断社会』)。

 私は正直言って “頭打ちになるのかぁ” という、残念な感想です。
 ちょこっとですが大学教育にかかわっている一人として、やはり大学で教育を受けることには意義があると思っています。だから、できれば多くの高校生が大学に進んでほしいと願っているのです。

 かつて、大学レジャーランド論さえ唱えられましたが、やはり4年間「知的トレーニング」することは意味があると信じたい。だから、できれば大学でさまざまな専門分野に触れ、その知識を学び、学問的なものの見方や考え方を身につけてほしい--そう思うのでした。

 ただ、それをスムーズに行うために、少なくとも本人や家庭の経済的な負担は軽減してあげたい。できれば、社会がその面倒をみる、つまり公的に負担していく方向にしたい、と考えるのです。
 けれども、その際、<半分の人は大学に行って利益を得るのに、半分の人は大学進学せず直接利益を得ない>というのでは、不公平感が増しそう(もちろん間接的には利益を受けると思うのですが)。それを解消するため、大学進学率を7割、8割へとアップしていければ……と思うわけです。

 現在、公立の図書館は無料で利用できます。図書館法でそう定められているからです。国民が等しく本に接して教養をつけることは無料でできる--ここには国民的なコンセンサスがあるわけです。
 ついでに言えば、博物館も本来は無料で利用できるべきというのが、博物館法の精神です。有料のところが多いのは、やむを得ない事情(つまり財政事情)から徴収しているわけです。

 これと同じ考え方で、誰もが大学等で高等教育を受けられる社会を作れないものでしょうか。

 というと、結局は財政の問題だよねぇ、という話になりそうです。
 ん~、無理なんでしょうか、大学進学率の上昇は。
 ムズカシイ問題ですね。




 【参考文献】
 吉川徹『学歴分断社会』ちくま新書、2009年
 本田由紀『教育の職業的意義』ちくま新書、2009年


【大学の窓】勤労感謝の日に、大学教育を考える

大学の窓




大学キャンパス


 生産財としての学位と消費財としての学位

 今日は勤労感謝の日ですね。
 昔風に言うと、新嘗祭(にいなめさい)ですか。1年の収穫を感謝する日。祝日ということで、お休みの方も多いでしょう。

 少し回顧的になりますが、私は今の仕事に就い、てそろそろ四半世紀になろうとしています。
 世間的には「ベテラン」の類かも知れませんが、自分ではそういう気にはなれません。

 私は、大学の学部(文学部)を出たあと、大学院の修士課程に進み、さらに博士課程に入ったのですが、その途中で今の職に就きました。大学院を中退して就職したわけですが、当時から院生の就職口はたくさんあるわけではなかったのです。
 それでも、先輩や後輩で同業者になった人は多く、現在に比べると、就職はしやすかったのだと思います。ちょうどバブル期から、その直後くらいの時期でしたので。

 当時、大学進学率は30%程度でしたが、現在は約50%です。大学院に進む人も多いのですが、みな職探しには苦労している様子です。

 たまたま読んでいた上野千鶴子さんの『サヨナラ、学校化社会』(ちくま文庫)--少し古くて2002年の刊行ですがーーに、「学位インフレ時代」という言葉が紹介されていました。
 「修士号・博士号の取得者が増えて、学位の市場価値が下がってしまう時代。ひらたく言えば、学位を持っていてもどこにも就職できない人が増加する時代」(同書の注より)なのだそうです(131頁)。

 15年ほど前の著書にこういう指摘がすでにあり、上野氏自身は20年近く前から言われていたようです。

 さらに、上野氏は、学位を<生産財としての学位><消費財としての学位>に分けます。
 職業を獲得する手段になるのが、生産財としての学位。
 そうならないのが消費財としての学位。こちらは「学位を得ること自体が自己目的になる」というものです。つまり、例えば授業を受けていて、それ自体が楽しい、おもしろい、ためになる、という感覚を得られる、といったことですね。

 この点から言えば、就職につながらない修士・博士号は、生産財の学位であろうとして、そうなれなかったものを意味します。
 これは、学部卒の学士についても似たようなものでしょう。大学時代の後半2年間が就活タイムと化し、大卒という称号(?)が職業を得るための手段になっているわけです。

 一方で、上野氏が指摘するように、社会人入学が増え、学位=就職と結び付けない学生が増加すると、生産財としての学位は無意味になってきます。逆に、彼らは、消費財としての学位を求めるのです。
 そうなると、大学(院)の教育の質そのものが問われるようになってきます。そのとき、現在の大学は彼らの期待に応えられるのか?
 
 そこで私は、大学院に通ったことのある社会人にずいぶん取材しました。そういう人に会うたびにつかまえては、満足度はどうでしたかということを聞いてみた。

 そうすると、「若い人にまじって勉強するのが学生時代に返ったみたいでうれしい」とか、「学食(学生食堂)が新鮮」とかいろいろおっしゃるわけですが、そういう体験はどれも教育の周辺利益です。

 周辺ではなく核心ーーつまり、学校という制度が提供できる商品は授業であり、学校という制度のインフラは教育者という人材とカリキュラムですから、それに満足できましたか、ということを食い下がって聞くと、私が大学側の人間だということに遠慮してか、返事があいまいになっていく。
 (中略)
 ある私学の大学院の授業料は年間百万円だそうです。二年間で二百万円。それだけの金を使って修士号をとられたあるかたが、「私は修士号をとりましたが、そのための投資の二百万円に見合うとは思えません」とハッキリおっしゃいました。(133-134頁) 


 こういう認識から、「学校は授業で勝負せよ」、つまり教育自体の質を高めよという考え方につながっていくのです。

 大学校舎


 学生と教師の共犯関係

 日本の大学では、自分自身で研究を行っている研究者が、学生を指導する教育者でもあります。
 言い換えれば、大学教員=研究者+教育者なのです。

 笑ってはいけませんよ、大学の先生は教育者! でもあるのです。
 でも、教育に対してよりも研究に対して熱心な人が多いように見受けられます。そして、それが悪いことだと思われている節はなく、むしろ推奨(?)されているようにも思えます。

 これはたぶん、大学教育を消費財として捉える学生が少数派で、多くの学生は生産財=就職の手段だと捉えていたからだと思います。少なくとも、これまでは。

 大学(教育)を生産財=就職の手段と割り切ってしまえば、授業は手ぬるい方が有り難い。「楽勝」大歓迎!
 学生と教師の “共犯関係” が成立していたのですね。

 ところが、相手が社会人学生となると、これはもう勉強に真剣、勉学自体が目的ですから、共犯関係は成り立たないことになります。
 
 そこで、日本の大学に社会人学生がどれだけいるのか調べてみました。
 文部科学省の資料によると、4年制大学に占める25歳以上の入学者の割合は、わずか1.9%だそうです(2012年)。
 国際比較では、アメリカ約24%、イギリス約19%など、OECD各国の平均は18.1%です。いかに日本が低いかが分かります。

 また、大学院での比率は、18.2%です(2014年)。

 なんだか、まだまだ共犯関係が続きそうな気配が……

 毎年のことですが、1年の授業が終わりに近付いてくると、指導力不足で自責の念にかられる私です。
 他人のことをあげつらう前に、自分の教育力をアップするのが先のようです。




 【参考文献】
 上野千鶴子『サヨナラ、学校化社会』ちくま文庫、2008年
 「社会人の学び直しに関する現状等について」文部科学省、2015年