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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

ARCHIVE

祇園祭宵山と変わる街





白楽天山


 前祭の宵山へ

 祇園祭が、前祭(さきまつり)と後祭(あとまつり)に分かれて行われるようなって、今年(2017年)で4年目。
 高度成長期より以前の形に戻り、かつ “2度楽しめる” という利点もあって、慣れて来ると、このスタイルもいいよね、となります。

 占出山
  占出山

 今年、くじ取り式(7月2日)のニュースで驚いたのは、山のうち1番最初に巡行する「山一番」を引き当てたのが、占出山(うらでやま)だったことです。
 というのも、占出山は2014年にも山一番を引き当てていて、3年後にまた、というのは、かなりくじ運のいい人がおられるのですね!

  山一番 山一番を示す

 そう思いながら、各山の町内を歩いていると、こういうのが掲出されていますね。

 山三番

 「霰(あられ)天神山  山第参(3)番」とあり、八坂神社の印が押されています。これが “公文書” なんですね。

 こんなところも、ありました。

 京都市広報板

 市の広報板に貼ってる!
 芦刈山。微笑ましいです。


 町並みも変わる

 鉾町をぶらぶら歩いていると、町並みの変化も目に付きます。

 四条通室町下るにある鶏(にわとり)鉾。
 こちらは、東向いに京都産業会館があったのですが、取壊しになって「京都経済センター」(仮称)が建設される予定。完成は2019年で、そのため今は更地です。

  鶏鉾 鶏鉾 右側が更地

  経済センター予定地

 COCON KARASUMA(古今烏丸)の裏側が見えたりして(!)、おもしろいですね。

 四条通より南ではマンションやコンビニの建設も目に付きました。
 こちらは、白楽天山です。

 白楽天山 白楽天山

 昨年はどうだったか。いずれにせよ近年、道路の両側がマンションになって、山が挟まれる形になりました。
 西側の南は、昨年まで駐車場だったのですが、コンビニが開店していました。

 これ以外にも、ホテルや旅館の建設予定地も、いくつか見受けました。海外からの旅行者が増えている影響ですね。

 また、今年特に目立ったのが、マンションの敷地内などに見物の人が入れないようにするフェンスです。

 マンションのフェンス

 みんな入って来て居住者には迷惑ですし、マナーも悪かったりするのでしょうね。
 フェンスの形や色はさまざまで、上の白楽天山の写真では緑色、下はオレンジと黒のトラマーク。こういうのが増えました。

 人も町も祭りも生きているのだから、年々変化していきます。
 古いことを墨守するだけが善ではなく、かといって何もかも新しくするのも善ではなく…… ひとつひとつのことについて丁寧に考え、判断していくことが必要ですね。




 祇園祭 前祭

 所在  京都市中京区~下京区一帯
 交通  地下鉄「四条」下車、すぐ



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大正・昭和の大阪画壇の輝き -「北野恒富展」を見る -

人物




北野恒富展


 あべのハルカスに行く

 先日、大阪・天王寺公園にある大阪市立美術館の公募展「全関西美術展」に行く機会がありました。

 その帰り、向いにそびえる高層ビル・あべのハルカスを訪ねました。

  あべのハルカス あべのハルカス

 そして、この高さ300mのビルの16階にある、あべのハルカス美術館で開催中の「北野恒富展」を見てきました(2017年7月17日まで)。

 北野恒富(きたの つねとみ)。

 なんだか風雅な名前ですね。本名は、富太郎というそうです。
 主に大正時代から昭和戦前にかけて、大阪で活躍した日本画家です。 

 明治13年(1880)、金沢の士族の家に生まれ、少年期より版下彫刻に従事しました。
 これを深めるため、17歳で大阪に出、稲野年恒に師事。明治30年代には、新聞の挿絵を担当しました。当時、新聞小説は当たれば大流行になるコンテンツでした。新聞小説から芝居に波及し、関連商品が売れたりすることもありました。つまり、恒富は、時代の潮流に乗った仕事に就いていたといえるでしょう。
 
 その後、明治末から昭和初期にかけて、20年ほどにわたってポスター原画を描いています。これは展覧会でも、多くの作品が展示されていました。
 新聞挿画といい、ポスターといい、なかなか時代の先端をいく業界に身を置いた恒富。
 日本画家というと古風なイメージがありますが、恒富はデザイン感覚や時代感覚を十二分に身に着けていたわけです。


 女性を描いた画家

 北野恒富展

 入口の看板にあるように、今年が没後70年に当たります。

 そして、ポスター、チラシに使われている作品が、この「星(夕空)」(大阪市立美術館蔵)。
 家屋の上にある物干し台から、夜空―花火か何か―を眺めている若い女性。着物の柄が、花火なのだそうです。

 代表作のひとつですが、昭和14年(1939)、還暦の前年に描かれたもの。
 恒富の画業は、本画でいえば大正初期から始まるわけですが、「星」は随分モダナイズされた作品だと感じます。

 恒富の著名な作品というと、

  大正2年(1913)  道行 ……紙屋治兵衛と遊女小春
  大正3年(1914)  願いの糸 ……七夕の女性
  大正4年(1915)  鏡の前・暖か ……対になる作品。芸妓
  大正9年(1920)  淀君 ……花見の淀君/落城の淀君
  昭和6年(1931)  宝恵籠 ……今宮戎の「ほえかご」
  昭和11年(1936)  いとさんこいさん ……船場の姉妹
  昭和14年(1939)  星(夕空)
  
 といったところでしょうか。

 とにかく、展示室の最初に置かれている「道行」、これは素晴らしい作品で、屏風の右隻に治兵衛と彼に寄り掛かる小春を立たせ、左隻に羽根を広げて争う2羽の烏を描きます。人物は画面の右端に寄り、左隻はほぼ空白。背景のない平面的な絵なのですが、動きを感じさせます。

 大正時代の恒富は、芸妓さんや歴史的な女性を多く描いているので、顔なども個性がない感じです。
 それが昭和になると変化を見せ、展示されている「雨後」、これは開いた傘を持った横顔の女性の半身像ですが、解説でも「写実的要素が感じられ、特定の人物を描いているかのよう」で、「恒富作品の中でも他に類例を見ない画風」と指摘されています。

 「雨後」は、ぱっと見て、昭和らしさを感じる作品ですね、大正とは違った感じの。
 このことは大切で、そのあとに展示されている「いとさんこいさん」、それを考えるヒントを与えてくれます。

 いとさんこいさん

 展示場前の撮影コーナーの看板。ちょっと拝借、これが「いとさんこいさん」です。
 この作品は、昭和11年(1936)の作なのですが、どうも女性の顔が写実であると感じられます。

  いとさんこいさん

 これも場外の看板なので色が飛んでますが(笑)、顔は特定の人物ではないでしょうか?
 
 ちなみに、姉妹の着物の柄は、あざみ(薊)になっています。他の作品解説に書いてあったのですが、あざみは美人の印だとか。そいういう意味でも、この姉妹は特定の女性なのではと憶測してしまいます。


 恒富の後継者たち

 恒富を継承する画家たちも「画塾『白耀社』の画家たち」として紹介されています。
 私には、このコーナーもよかったですね。

 近代の大阪画壇では、女性画家の活躍が著しいのですが、有名なのは島成園でしょうか。代表作は「祭りのよそおい」(大正2年)ですが、私の行った日にはすでに展示替になっていました。

 島成園の父・栄吉は堺の絵師(襖絵師)だったそうですが、以前、雑誌「演芸画報」を見ていたら、島文好という人が「昔の見物と今の見物」という随筆を書いていました(大正4年2月号)。明治初期の観客について書いた文章なのですが、この人が成園の父のようです。つまり、お父さんは結構な芝居好きだったらしい。

 今回展示を見て感じたのは、大阪の画家は、みんな芝居を結構見ていて、画題や描き方に芝居の影響があるのではないだろうか、ということでした。

 成園と並ぶ大阪の女性画家・木谷(吉岡)千種、この人の夫は木谷蓬吟(ほうぎん)で、浄瑠璃や芝居に通じ、ことに近松門左衛門の研究家で、『道頓堀の三百年』『文楽今昔譚』などの著書がある人。
 だからというわけではないですが、今回、千種の代表作「をんごく」を改めて見て、これは芝居の舞台面のようだなぁ、という印象を持ったのです。まるで、客席から見る舞台を逆にした(つまり舞台上から客側を見た)みたいだと思ったのでした。

 油屋の店内から、千本格子越しに、道を歩く「おんごく」(盂蘭盆の行事)の子どもたちが見えます。それを家人の娘が格子の隙間から覗いている構図。娘と外の子どもたちは画面左側におり、画面の右は格子と暖簾などが描かれています。
 図版では感じないのですが、実際の作品を見ると、左右に長く感じさせる画面が、まるで舞台のようなのです。

 七夕

 あと興味深かったのは、橋本花乃「七夕」(昭和5、6年)ですね。
 7人の女の子、小学生くらいの子どもたちが、短冊に字を書いたり、笹に付けたりしている、そんな作品。
 ここに登場する女の子の髪型は、みんなおかっぱです。
 
 おかっぱは、女の子が髪を結んだり編んだりすることが多かった当時、とても都会的(モダン)な髪型でした。絵には、刈り上げられた青いうなじも描かれています。
 特に、右から2人目の女の子は、ヘアピンで髪を留めて耳を出しています。新しい感覚ですね。

 左から2人目の女の子の着物は、紅葉が流水に流れる柄ですが、それが鹿の子絞りのように表現されています。
 これはおそらく、昭和初期に流行った疋田(ひった。疋田絞り)だと思うのですが、絞っていなくて染めている簡便なもの(絞りのフェイク)です。これが大阪でも大流行だったのですが、たぶんそういう柄なのでしょう。

 こんなふうに見ていくと、この「七夕」という作品も、画題は古風ですが、とてもモダンな都会の子ども風俗が描かれていることが分かります。

 そんなことを考えながら拝見した「北野恒富展」でしたが、素晴らしい展覧会でした。
 私は最近、大正時代のお芝居のことや社会事情などを調べているので、その意味でも大いに興味が湧いたものです。

 会期末まであとわずかですが(7月17日まで)、ぜひご覧いただきたいと思います。

 
 いとさんこいさん




 北野恒富展 なにわの美人図鑑

 会場  あべのハルカス美術館
 所在  大阪市阿倍野区阿倍野筋
 交通  JR「天王寺」、近鉄「大阪阿倍野橋」下車、すぐ



【大学の窓】他大学に武者修行? - 博物館学の講義に臨む -

大学の窓




大学キャンパス


 他大学へ!

 毎週非常勤で行っている(仮称)上京大学の授業は、春学期も残すところあと数回。来週は、グループ研究をしている学生たちが、テーマの方向性を発表します。

 そんななか、私はといえば(仮称)杉本大学へ行き、博物館学の講義を1コマ担当します。

(仮称)杉本大学は、関西の公立大学で、戦前の商科大時代からつづく名門です。
 私が勤務する財団と連携協定を結んでおり、各館長や学芸員らが博物館学の3講義を担当しています。

 今回、私が1コマ担当するのは「博物館経営論」。
 春学期だけの授業、ということは全15回だと思うのですが、私は最後から2番目くらいですか。
 内容は<他館・他機関との連携>というものです。


 博物館経営論の講義

 昔話で恐縮ですが、私が学生だったころは、博物館を “経営する” なんてことは誰も考えていませんでした。だから、博物館学の授業でも、そんな科目はなかったわけです。
 博物館学といえば、資料の収集・保管、調査・研究、展示、教育・普及、という4本柱を学びました。
 現在では、ここにマネジメント(経営)が入って来たわけです。20年余り前には、博物館マネジメントに関する学会も設立されており、そのような関心が徐々に高まってきたといえるでしょう。

 私が担当するテーマは、博物館が他の博物館・美術館や地域にある機関・施設とどう連携していくか、というものです。

 実は、これまで私は、広報とか企画とかボランティアとか、博物館の “周縁部”? にあるともいえる仕事を長くやってきました。例えば、広報の仕事なんて、学芸員で自ら進んでやりたいという人はほとんどいないジャンルです。みんな、展示とか調査研究とかをやりたいわけですからね。ただ、そういう仕事も誰かがやらなければならない、でも専門の担当者を置くほどの余裕もないので、「仕方なく」学芸員がやっている、というのが現実ではないでしょうか。

 それを大学生に話したら、いったいどのように受け止められるのだろうか? これは、ちょっと興味深い問題です。
 純粋に、重要な仕事ですね、と思ってくれるかも知れない……

 大学構内

 少なくとも日本の学芸員は、仕事の幅が広い、つまりいろいろな種類の業務をこなさないといけない、というのが現実です。
 言い換えれば、諸外国に比べて、仕事が分化(分業化)されていないといえます。
 はっきり言って、毎日、広報や他機関との連携といった仕事をやっていると、他の業務に割ける時間も体力・気力もなくなってきます。
 
 それを思うと、学芸員志望の学生は、展示をやりたいとか、文化財に触れてみたい、と思っているわけですから、やはり他館・他機関との連携には興味を持たないのでしょうか。

 あと10日ほどで講義なので、いま何を話そうか思案しているのですが、彼らの反応を探るような授業にするのも面白いかも知れませんね。




二条城の釘隠と “のし” の関係は?





花熨斗形釘隠


 二の丸御殿で飾り金具を見る

 前回は、久々に二条城を訪問し、ソテツについて考えた話を紹介しました。

 今回は、二の丸御殿を彩る飾り金具についての話です。

 東大手門
  二条城 東大手門

 ところで、建築を見るときに一番頭を悩ませるのは、意匠なんですよね。
 例えば、お寺などでも、建物の各所にいろんな彫刻がしてあるでしょう。浮彫りとか透かし彫りとか。
 で、それが植物、お花だったとして、何の植物、何の花なのか、なかなか分からないのですね。
 
 まぁ、ボタン(牡丹)くらいだったら、すぐわかるんです、桃山時代の人は好きですし。
 でも、例えば、ブドウみたいに見えるけど、実はオモト(万年青)だった、といったケースがあるんです。こういうものになると、よほど慎重に調べないといけないし、知識の積み重ねも必要になってきます。
 
 私は、天沼俊一先生の『日本建築細部変遷小図録』などを参照して勉強させてもらうのですが、何でも網羅されているわけではありません。
 特に、今回問題にする金物(金具)については、ほとんど取り上げられていないんですね。困ったものです(笑)


 豪華すぎる釘隠

 建築の金物というと、釘や鎹(かすがい)といった実用的なものと、飾り金具に大別されます。
 飾り金具には、扉に付けられる八双(はっそう)金物や、長押や扉に付けられる釘隠(くぎかくし)などがあります。

 特に釘隠は、六葉(ろくよう)といった六角形のものや、門扉でよく見る丸っこい饅頭(まんじゅう)金物などが著名です。
 ところが、二条城の二の丸御殿で見た釘隠は、そのレベルをはるかに超えたものだったのです。

 二の丸御殿
  二の丸御殿(国宝)

 二の丸御殿の最初の建物、遠侍(とおざむらい)の長押に打たれていた釘隠は、三つ葉葵の入った饅頭金物を基本にしたものでした。これでも、よく見る六葉の釘隠などに比べると凝っています。
 ところが、先に進んで、大広間や黒書院に入ると、さらに独特の形をした大型の釘隠が登場したのです。それは驚きの豪華な釘隠でした。

 二の丸御殿は撮影禁止ですが、特別公開の東大手門内(撮影OK)で、同じ釘隠が陳列されていたので、それを撮影させてもらいました。ガラスが反射して見づらいですが、こんなものです。

 花熨斗形釘隠

 花熨斗形釘隠

 細部意匠が微妙に違うのですが、大きな形は同じです。

 こういった意匠こそ、どういうものなのか分からない、困りものなのです。

 しかし、ありがたいことに、二条城ではこの金物について「花熨斗形釘隠」と説明してくれています。
 別のものを調べると、花熨斗桐鳳凰文釘隠とあります。

 桐鳳凰文(きりほうおうもん)は、いいんです。植物の桐(きり)と架空の鳥・鳳凰(ほうおう)を組み合わせた図柄ということです。
 写真では見づらいですが、中央下部に、鳳凰と桐を取り合わせた意匠があるのです。

 問題は、花熨斗(はなのし)です。
 花熨斗って何だ?


 花熨斗とは?

 まず、花は分かりますよね。
 釘隠の左右の端に、花の意匠がありますね。たぶん、牡丹でしょう。
 
 問題は、熨斗(のし)。

 そもそも、熨斗とは?

  熨斗袋 熨斗袋

 みなさんもお使いになる熨斗袋。祝儀を入れるものですね。この右上に付いているのが、熨斗なのです。

   熨斗 熨斗(折り熨斗)

 熨斗は、もともとは縁起のよいアワビが用いられていましたが、現在では上のような紅白の紙を折った折り熨斗が一般的です。

 とすると、花熨斗とは、これと関係があるのか……

 もう一度、先ほどの釘隠を見てみましょう。

 花熨斗形釘隠

 分かりますか?

 そう、熨斗の形が隠れていますよね、横向きに。

 花熨斗形釘隠

 ちょっと落書きしてみました。
 実は、牡丹の花が熨斗紙に包まれているデザインだったのですね!

 ほんとうに、忠実に熨斗で花を包んだ意匠になっていて、それを横倒しにして左右に配するという、得も言われぬ発想です。
 もっとも、着物の世界では、この花熨斗の柄が用いられることがあるので、江戸時代の人にはお馴染みの意匠だったのかも知れません。


 紋の世界にも

 ほかにも、熨斗がないかなと思って見回してみると、書棚にある紋帳『紋之泉』に多数発見できました!

 紋の泉 『紋之泉』

 なんと、熨斗を用いた紋が56種類も収録されています。

 例えば、こんなもの。

 熨斗輪桔梗 熨斗輪桔梗

 熨斗輪桔梗(のしわききょう)。
 熨斗で作った輪の中に、桔梗を入れたものです。
 実は、熨斗紋では、この熨斗輪を使ったものが大多数。『紋之泉』では、56種中、45種類が熨斗輪かそれに類するもの(結熨斗)です。

 ほかには……

 違い折熨斗 違い折熨斗

 違い折熨斗。
 2つの折り熨斗をクロスさせた、わかりやすい図様ですね。

 違い熨斗 違い熨斗

 違い熨斗。
 輪にせずにクロスにしています。

 熨斗桐 熨斗桐

 これは、カッコいい!
 桐紋を熨斗で作っているんですね。まったく見たことない、超珍しそうな紋ですが、ステキですね。

 それにしても、奥深いですねぇ。
 私は、二の丸御殿で、この花熨斗の意味を理解するのに、随分長い時間をかけてしまいました……

 江戸時代の武士たちは、御殿でこの飾り金具を見て、果たしてその意匠を理解できたのでしょうか?




 二条城 二の丸御殿(国宝)
 
 所在  京都市中京区二条通堀川西入
 見学  有料 大人600円ほか
 交通  地下鉄「二条城前」下車、すぐ



 【参考文献】
 濱島正士『寺社建築の鑑賞基礎知識』至文堂、1992年
 吉野竹次郎『紋之泉』洛東書院、1926年


二条城の庭にあったのは、南国の象徴・ソテツの木





二の丸庭園


 東大手門の修復が完成

 二条城。
 「古都」京都のなかにある “お城” として、ちょっと異色感もある場所。
 今回、東大手門(重文)の修復が完成したので、私も久しぶりに訪ねてみました。

 東大手門
  東大手門(重要文化財)

 7月31日(2017年)まで、内部にも入れます(入城料+400円)。
 そこで見たものは、たぶん次回紹介するとして、今日はずっと先に進んで、二の丸御殿へ。

 二条城といったら、やはり国宝・二の丸御殿がメインですね。
 大規模かつ代表的な書院造の建築です。

 二の丸御殿
  二の丸御殿(国宝)

 この御殿には、5つ、6つのスペースがあって、入口側から、

  遠侍(とおざむらい)
  式台(しきだい)
  大広間
  蘇鉄(そてつ)の間
  黒書院
  白書院 


 と、つながっています。
 
 どの場所もとても興味深いのですが、写真はNG。
 でも、私が気になったのは、「蘇鉄」の名が付いたスペース「蘇鉄の間」なのです。

 ここは、大広間と黒書院を結ぶ廊下なのですが、杉戸に大きな蘇鉄の絵が描かれているので、蘇鉄の間と呼ばれているようです。
 現在、原本は別の場所に保管されており、複製が置かれていました。


 庭の蘇鉄

 蘇鉄(ソテツ)というと、「恋の涙か蘇鉄の花が」という春日八郎の「長崎の女(ひと)」を思い出すのは、年齢がバレますが、長崎の歌に出てくることから分かるように、蘇鉄というと南国の植物というイメージです。

 蘇鉄の間の外に拡がる二の丸庭園には、蘇鉄の木が植えられています。

 二の丸庭園の蘇鉄
  二の丸庭園の蘇鉄 建物は大広間

 この蘇鉄が見えることも命名の由来なのでしょうか。

 ところで、堺市(大阪府)に妙国寺というお寺があって、ここは立派な蘇鉄が庭に群棲している寺として有名です。
 あくまで伝説ですが、織田信長がこの寺の蘇鉄を安土城に持って行って植えたところ、夜な夜な「帰りたい」と泣いたとか。それほど著名だったわけです。

 一説には、国内で蘇鉄が植栽されるようになったのは、その安土城あたりが最初といわれています。

 作庭家・重森三玲の『日本庭園の観賞』には、次のように記されています。(適宜改行しました)

 この外桃山時代からは、蘇鉄を庭木として植ゑ始めてゐるが、安土城の庭などに植ゑたのが先(ま)づ始の様であつて、これは文明頃に始めて日本に伝へられたことが文献に見られ、それを非常に珍重してゐるので、桃山時代から漸やく庭樹として用ゐかけたらしい。

 安土城のものは、後堺の妙国寺へ移植されて今日に伝はり、一休寺方丈前庭、三宝院庭、本派本願寺虎渓庭、坂本来迎寺庭などの桃山から江戸初期へかけてのものには何(いず)れも用ゐられてゐる処を見ると、桃山時代の豪華な芸術に受けたものと云ふことが考へられるが、後にはあまり用ゐられなかつた。紀州の円満寺のものなどは特に蘇鉄としての超大木である。(86-87ページ) 


 本派本願寺というのは、西本願寺のことです。
 西本願寺の対面所の蘇鉄は、江戸時代から知られていて『都林泉名勝図会』にも描かれています。

 西本願寺対面所の蘇鉄
 「西六条本願寺対面所林泉」(部分) 『都林泉名勝図会』より

 10本たらずでしょうか、妙国寺などと同様に蘇鉄が群棲しています。

 実は、二条城二の丸庭園の蘇鉄も、現在では1本しかありませんが、江戸中期には多数あったことが分かっています。

 大工棟梁・中井家に残された絵図のなかに、「二条御城中二之丸御庭 蘇鉄有所之図」というものがあります。
 享保15年(1730)調べの図です。
 それによると、池の周りや蓬莱島、鶴島に15本の蘇鉄が植栽されていたことが分かります。
 1本ずつの絵もあり、例えば「壱(1)」番の蘇鉄は、1丈2尺(約360cm)、7尺(約210cm)、4尺(約120cm)の3株からなっていたことなども判明します(『世界遺産をつくった大工棟梁 中井大和守の仕事』)。

 庭の点景として、蘇鉄が効果的に配されていたのです。

 二の丸庭園

 かつては、この庭のなかに、点々と蘇鉄が姿を見せていたわけです。

 桃山時代から江戸初期の感覚では、蘇鉄は “モダン” な植物だったのでしょう。
 障壁画などにも、題材として見掛けることがありますね。

 二条城の庭に蘇鉄がたくさんあったとは、蘇鉄好きの私にはうれしい限りです。




 二条城二の丸庭園(特別名勝)

 所在  京都市中京区二条通堀川西入
 見学  有料 大人600円ほか
 交通  地下鉄「二条城前」下車、すぐ



 【参考文献】
 「都林泉名勝図会」1799年
 重森三玲『日本庭園の観賞』スズカケ出版部、1935年
 図録『世界遺産をつくった大工棟梁 中井大和守の仕事』大阪市立住まいのミュージアムほか、2008年